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シルクの話すドレルノの話をアイリーンは静かに聞き、「悪党は叩きのめさないとね」と特に疑念もないようすで言っていた。アイリーンとしても、下衆の塊のようなドレルノを生かしておくことは益になることはない、ということがわかっていた。今まで通り、彼女は悪党を殺し、その罪を贖わせるだけだ。
シルクが別の意味で危惧していたマツリとの対話も、アイリーンは特に問題なく済ませた。時に別の女性とシルクが話していると、嫉妬さえ見せるのに、どういうわけか今回は別にそのようなそぶりは見せなかった。それどころか、出会って一時間もたたないマツリと仲良さ気に話していた。面倒がなくてシルクとしては助かったが、よもやこうあっさりと済むとは、とシルクは思った。
シルクは準備やらもろもろあるため、マツリとアイリーンを残してどこかへと出かけていった。が、別段アイリーンは心配することはなかった。この街には彼女を相手にできる者はいないし、ドレルノはこちらのことは知らないのだ。恐れることは何もない。
アイリーンは静かに、目前の少女を見る。
「それで、あなたは一体何者?」
シルクからは「依頼主」と言われていたが、それだけではないことはわかっていた。シルク外来など受けることがないことは知っているし、この少女の持つ雰囲気は普通ではない。シルクを安心させるため、表面上は取り繕っていたが、この少女の「底知れぬ何か」にアイリーンは無意識に構えていた。
どこかシルクと似た、けれど決定的に違う「何か」を感じながらアイリーンは問うた。
「何者、と問われても、私はただのマツリ。それ以上でも以下でもないわ」
「・・・・・・・・・・・」
アイリーンの強い視線を受けても、少女は平然とその瞳を見つめ返す。
「・・・・・・・・・・・いいわ。けれど、憶えておきなさい。もしもシルクに害をなすようなら、私があなたを殺す」
「ええ、それでいいわ」
ニコリと笑い、マツリは手を差し伸べる。
「仲良くやりましょう?」
「ふん・・・・・・・・・・・・・・・」
渋渋、その手を握ったアイリーンは胡散臭げな眼でマツリを見る。得体の知れない少女は、ただ妖しく笑った。
マツリの話に聞いたドレルノについて早速情報を集めたシルクは、彼女の話が嘘ではないことを証明した。そして、マツリが話した以外の悪事にもいろいろと手を染めているのだ、ということを。
権力を手に、公然とその罪を赦されているドレルノ。よくもこれだけの悪が放っておかれるものだ、とシルクは思う。
人は弱い存在だ。権力に怯え、法の抜け穴を利用している。法は弱者の為ではなく、強者のためのものンと成り下がり、強者が我が物顔で人の命を奪い、財産をためていく。
そんな状況が赦されるはずはない。シルクは胸の中で、無念に死んだ人々の声を聴いた気がした。
『復讐せよ、無念を晴らせ、殺せ』という声を。
その声に、シルクは身をゆだねた。
シルクにできることは、殺すだけ。世界を変えることなんかできない。けれど、それでいい。
誰かを救うことができるならば、この手を血に染めることは厭わない。それは、あの運命の十六歳の誕生日の時から、彼女が歩んできた運命であった。
翌日。
リザの街に向かうため、宿を後にした二人はマツリと合流した。
旅のための外套に身を包んだ三人は、徒歩でリザに向かうことにした。下手に馬車などでリザに向かえば、ドレルノのいらぬ注目を集めることになるだろう、ということであった。この三人であれば、ドレルノや彼の雇う兵隊如き、どうとでもなるが、それでは意味がない。
恐怖を植え付け、徹底的に痛めつけ、己が罪を悔やみながら殺していく。それを彼女たちは狙っていた。
ただ殺すのでは意味がないのだ。
権力に溺れた「男」。三人はそれぞれそういった「男」の腐りきった根性を知っていた。
復讐の三女神は、楽には殺しはしない。
数日間の歩きの旅。野宿には三人とも慣れている。愚かにも野盗の類が三人を襲うが、逆に返り討ちにされ、その命を散らすこととなった。多くの人々の命と財を奪った野盗は、まさかこの三人がこれほどの腕の人物とは思わなかっただろう。
制約により、殺しはできないマツリを除く、二人の紅い復讐者により凄惨に殺された野盗たちをしり目に、三人は眠りにつく。
三人はそれぞれ、異なる夢を見ていた。ある者は悪夢を、ある者は幸福な夢を、そしてある者はかつての過去の夢を。
悪夢から目を覚ましたのは、マツリであった。寝汗を掻いたマツリは、静かに立ち上がると未だ寝ている二人の側から離れ、近くの川に向かう。
夜の星々の輝きを反射した神秘的な水辺を、胡乱な表情で見つめるマツリは服を脱ぎ、その川辺に身を沈める。そして、星を見た。
しばらくそうやって時間を過ごし、彼女は座禅を組み、心を落ち着かせる。近くに置いていた鞘から刀を抜き、顔に近づける。刀身に映る自分の姿は、かつてと変わらない。どれほどの時が経とうとも、変わることはない。そして、彼女の犯した罪も、赦されることはない。時間がそれを薄めてくれるが、その罪が消えること自体はないのだ。
「・・・・・・・・・・覗き見はよくないわよ」
そう言ったマツリの後ろには、アイリーンが立っていた。アイリーンは静かに裸の少女を見ると、口を開く。
「うなされていたわね」
「あら、起きていたの?」
てっきり寝ていると思った、とマツリが言うと、アイリーンは「あれだけうなされていたらね」と返す。肩を竦め、マツリは目を閉じた。
「悪夢を、見ていたのか?」
「悪夢、ね。そんな言葉では片つけられないけれど、そうね。人はあれを、悪夢と言うのでしょうね」
「よければ、相談に乗るが」
アイリーンの言葉に、うっすらと笑いを浮かべるとマツリは首を振る。
「いいわ。これは私の問題、私に課せられた罰。・・・・・・・・・・けれど、ありがとう」
マツリはそう言い、アイリーンを見る。
「あなたこそ、大丈夫?」
「・・・・・・・・・・・ああ。大丈夫さ。今の私には、シルクがいる。それだけで、私は大丈夫さ」
アイリーンはそう言い、見ていた夢を振り払う。忌むべき過去、裏切られた思い。けれど、それは過去。
今はもう、そんな過去にとらわれない。彼女は、一人ではないのだから。
「そう。フフ、案外、私たちは似ているのかもしれないわね」
「そうだね」
アイリーンはそう言い、マツリに近づくと、その唇に自分のそれを押し付けた。それを拒絶するわけではなく、むしろ受け入れるようにマツリはアイリーンの腰を抱き、頭を寄せた。
傷をなめ合っている、と二人は感じていた。けれど、それは酷く居心地がよかった。
マツリがなぜ、シルクやアイリーンを頼ったのか、なんとなくアイリーンはわかってきた。そして、自分でもわからなかったそれを、マツリも確信していた。
シルクの眠るところに戻ってきた二人は、再び眠りについた。眠りについた二人は、もう悪夢は見なかった。
シルクは一人、そんな二人の姿を見ると笑い、そして彼女自身も夢の中へと戻っていった。
夢の中の彼女は、幸せそうに子供を抱えていた。隣には愛する夫、そしてもう一人の子ども。愛する親友たちに囲まれ、幸福にあふれている。
夢の中の彼女は、愛した男とともに夕日を見ている。明日を無邪気に信じていた二人は、それが永遠に続くと錯覚さえしていた。その温もりは、永遠に続くように感じられた。
夢の中の彼女は、自分が殺してしまった少女と、死んでしまった仲間たちとともにその日を迎えていた。新たなる門出。それまでの思い出が蘇る。親友となりえた少女と笑い、彼女たちは歩き出した。
けれど、夢はいつか終わる。
夢から醒めた彼女たちは、現実に存在する悪を討つために、その歩みを進める。




