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甘い香りを私は口いっぱいに吸い込んだ。
私の身体を抱きしめる彼女に、私は微笑みかけた。薄暗がりの中、私の愛する彼女も私を見て微笑み返す。その顔により一層愛おしさがこみあげてきて、その紅い瑞々しい唇に私は想いっきりキスをした。
彼女は、サクヤは私のそれを驚きながらも受け入れた。
そして、より情熱的に私たちは絡み合う。
長旅もあり、疲れを見せていたサクヤだが、明日には王都につくと聞くと安堵した様子であった。
ローザやアイリーン、ジェームズも明日には王都につく、と言うことで今日はゆっくりと過ごしていた。私もサクヤと街をしばし散策して早々に宿に戻ってきた。
夕餉を食べて自分の部屋でのんびりと軽い運動をしているとサクヤが珍しく訪ねて来たので何かあった勝とうと、紅い顔でもじもじとしていた。そこで私は大体のことを察し、彼女を自分の寝台に招いた。
すやすやと眠るサクヤの顔を見て、私はクスリと笑う。不思議なくらい、心は穏やかである。王都につけば、おそらく私にはこのような穏やかな時間を過ごす余裕もなくなるであろう。ヒュドラ-、そしてアンドラス。彼らへの復讐のため、私は戦いの中に飛び込むのだから。
腕の中で眠るサクヤ。彼女だけは、傷つけたくはない。愛する人。かつて失った親友のような最期を、彼女にだけは迎えさせるわけにはいかなかった。
するりと寝台を抜け出して服を着ると、私は夜の空気を吸いに外に出た。
月明かりの下、私は静かに空を見る。雲一つない晴れた夜の空には満月が浮かんでいる。それを綺麗だと思えるようになったのも、サクヤやローザと暮らすようになってからだ。道具として育った私には、それまで見ることのできなかった多くの光景が世界には広がっていたことを知ることとなった。
改めて私はローザやサクヤに感謝した。
王都で、忌まわしき運命をすべて清算する。
私はそう決意して再びサクヤの待つ部屋へと向かっていった。
翌日。
昼過ぎ頃に宿を出て、馬車を王都に向ける私たちは同じような馬車で王都に向かう人たちを見た。
彼らと会話したアイリーンは彼らが商人やパレードを見に来た人々である、ということを教えてくれた。
今年は特にこの国の節目の年、ということで例年のパレードよりもひときわ豪華なものになるようで、国内外からも多くの著名な人物が来る。商売のために多くの商人が王都に向かっているようで、アイリーンの話した人たちもそのような人たちであった。
そのような人の出入りが激しい今ならば、アンドラスらも苦も無く王都まで入れるだろう。いくら警備が厳しいとはいえ、これだけの流入を見切れるわけはないし、そもそも王都にも彼らの協力者はいるだろう。
だからこそ、私たちも入ることができる、と言うわけなのだが。
「すごい光景ね!」
サクヤが馬車から少し身を乗り出して前方に見える街を見る。随分と距離は離れているが、ここからでもその規模がよくわかる。
ラウシルンを優に超える規模であり、中央には大きな城が立っている。サクヤの祖国ラウシルンとはまた違う作りの城と街に、彼女は目を輝かせている。私は何度か任務で似たような光景を見ているが、それでも王都の規模は桁外れだと、近づくごとに思った。
ローザやアイリーンは何度か来たことがあるらしく、特に反応はしていない。基本的な感じはラウシルンと同じ、とローザは言う。
もっとも、人の数も流通もラウシルンの日ではないだろうが。
ジェームズが御者台で言った。
「それにしても、疲れたなあ。久々どっかで羽を休めるかあ」
そう言うと彼の腕に泊まっていたツァールが一鳴きした。
ジェームズも若い男であるから、いろいろとあるのだろうな、と私は想い特に何も言わなかった。ジェームズの方も特に言葉を求めているわけではないようで、一人鼻歌を歌っている。
暖かな陽の下、私たちを乗せた馬車はゆっくりと、だが着実に王都に向かっていた。
王都に入ったのは、夕方ごろ。
夕方だというのに、王都の人の波はまるで昼間のように溢れている。これもパレードの影響だろうとローザは言う。普通ならばもう少し人の入りが少ないのだが、やはり今年は特別な年、と言うことだろう。
これだけ人がいる中、ヒュドラ-は本当に王子を殺すのだろうか。
よくはわからないが、見過ごせることでもない。
そんな風に思いながら、サクヤとともに王都の風景を私は見ていた。
私たちがこれから住む場所、とローザが示したのは王都の西側にある一つの屋敷である。ローザの所有する屋敷であるらしい。名義人は別の人物の名前だが実際はローザなのだという。年に数回しか使用しないのだが、定期的に掃除がされているらしい。今まで私たちが暮らしていたあそこと比べてしまうと狭いが、それでも十分な広さである。ローザ曰く、庭がないことだけが唯一にして最大の不満だという。とはいえ、何年も滞在するわけではないから、薔薇は我慢する、と苦笑していた。
女ばかりの同居人ばかりで、ジェームズはさぞ気後れしているかと思いきや、特段そう言うわけではなく、さっそく荷物を置いてどこかに出かけてしまった。いったい何をしに行ったのやら。
私はサクヤとともにこれから住む部屋に荷物を置き、整えていた。
寝台などの基本的な家具は揃っているし、部屋も十分な数がある。私たちの部屋は隣り合っている。
寝台に寝転がり、サクヤはふんふん、と鼻歌を歌っている。サクヤの黒髪を撫でながら、私は彼女を見る。
「ねえ、ヴェンティ。ここには遊びできたんじゃない、ってわかっているけど、明日くらいは楽しんでもいいよね?」
「いいよ、サクヤ」
さすがにずっと、ただ気楽に過ごしてはいられないが、明日くらいならば。そう思い私が返事をすると、ヴェンティは嬉しそうに顔を輝かせる。
「大好きよ、ヴェンティ」
「私も、愛しているよ、サクヤ」
そう言って、私たちは抱擁した。
翌日。
朝早くから出かけた私たちは王都を回った。広い王都故に、一日でそのすべてを見回すことはできない。それに、まだ王都のことはわかっていないから、へたに歩き回らないようローザからも言われていた。王都と言えども、浮浪者の多い地区もあるし、高級商店街などもあるらしい。私といるので大丈夫だが、サクヤの外見に目を付け、攫おうとする者もいるかもしれない、と言われていた。
最低限の護身具を持ち、私はサクヤとはぐれないよう、その手を握り歩く。これならば、はぐれてしまう心配もない。
照れた様子のサクヤを見て、私は彼女には二度と心配も怖れも抱かせない、と強く思った。
私たちが西地区を歩いていた時、サクヤがふと足を止め、人通りの少ない通りの方を見た。私は不審に思い、サクヤを見ると彼女は指を差した。
「あの子」
サクヤが指差す方向には、一人の少女がいた。可愛らしい服の子どもで、年はまだ十歳にも満たないだろうか。銀色の美しい髪を結い、涙で両目を真っ赤に腫らしていた。
「迷子、かな?」
「かもね」
放っておくことはできないのか、サクヤは私を見る。しょうがないな、と肩を竦めた私はサクヤとともに少女のもとに向かう。
「ねえ」
サクヤが声をかけると、少女は涙を浮かべたままサクヤを仰ぎ見た。
「あなた、お母さんかお父さんは?」
ヒック、としゃくりあげて少女は答えた。
「わかんない、いつの間にかいなくなっちゃったの」
「それで、ここにいたのね?」
「・・・・・・・・うん」
少女は頷くとまた俯き、泣き出す。サクヤは少女の髪を撫でるとよしよし、となだめる。
「お姉さんたちが一緒にお母さんたちを探してあげるから、泣かないで。ね?」
「本当?」
期待に満ちた目で私とサクヤを見る少女に、本当よ、と笑うサクヤ。私も不器用ながら笑みを作り、少女を見る。果たしてちゃんと笑えていたかは不明だが、少女は泣きやんで私とサクヤを見て笑う。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
そう言った少女の、血のような真紅の瞳が、なぜか私の心をざわつかせた。だが、それは気のせいだろう。少女はいたって普通の少女であり、私たちとは違う、と。
少女を間に挟み、その手をつなぎ、私たち三人は歩き出した。




