13
刀が振り下ろされた瞬間、死を覚悟していたはずの私は急に死が怖くなった。
そして私の身体は勝手に動いた。死にたくないという、私の無意識がそうさせたのだろう。
私の右腕がアンドラスの刀を受ける。肉を斬られる激しい痛みに私はあえぐ。
アンドラスは、私の右腕から刀を抜いた。その隙に私は距離を取って、獲物を左手に掴む。
「そうまで命に執着があったとはな、人形の分際で、まだ命を惜しむか」
アンドラスは不快そうに言い放った。
「浅はかな・・・・・・・・・・!」
「知るか」
私はそう言って、左手に刀を持つ。右腕が完全に使えないことを惜しむ余裕はなかった。
死にたくない、死にきれない。その思いは、強くなるばかりであった。
『復讐を』
あの声はまだ、私の中でくすぶり続けている。
「右腕のない状態で、お前が私に勝てるというのか?」
「油断するがいい、アンドラス。その首を落としてやる」
「その前に、貴様の命が散るのが先だがな」
アンドラスが刀を構える。そして、向かってくる。
しかし、アンドラスはその瞬間、虚空に向かって剣を振るう。何かが刀とぶつかり、激しい音を立てて闇の中へと飛んでいった。私の目には、アンドラスが切り払ったものは、短剣のように思えた。
そして、アンドラスは上を見上げた。つられて私もそちらを見た。
月を背に、夜の家屋の上に立つ、深紅の人影。鮮やかな紅い髪と、同色のドレスを着たその人物。
強い眼には底知れぬ激情が現れていた。
「・・・・・・・・・・貴様は」
アンドラスは刀を構えたまま、彼女を見る。彼女もまた、アンドラスを見る。
両者の視線が交差する。互いに敵意を抱いている。私が入り込めないほどの異様な空気がそこにはあった。
「ヴェルベット・シスノ・ラヴィアン・・・・・・・・・・!」
「ずいぶんと懐かしい名前で呼ぶのね、アンドラス・マケドニアス」
彼女、ローザはおそらく彼女の名の一つであろうものを言われてそう答えた。アンドラスは、険しい表情でローザを睨む。
「なんだ、この人形を救いに来たのか?」
「ええ、そうよ」
ローザはそう言うと、屋根から飛び降りる。普通ならば降りれないはずだが、彼女はうまく近くの家の屋根やでっぱりを利用して私のすぐ横に降り立った。
そして、何も持たないその身で、アンドラスを見た。アンドラスは刀を構えてローザを見る。
何時でもアンドラスは責めることができるはずなのに、両者はともに動かずにいた。
「貴様、数年前と全く変わらぬな。人間か?」
「失礼ね、あなたと違い、私は人間を辞めたつもりはないわ」
ローザはそう言うと、妖艶に微笑んだ。大人の色香が漂うが、そのようなものに惑わされるアンドラスではない。
「なぜ、その人形を庇う?自分を重ねたか、ヴェルベット」
「その名で私を呼ぶな」
ローザはいつもよりも低く、恫喝する調子で言った。
「虫唾が走る」
彼女の目は、見たことのない色であった。その目の中のものを、言い表すことが私にはできない。
「まあいい、私は貴様と事を荒立てる気はない、今はまだ、な」
そう言うと、アンドラスは刀を鞘にしまう。
「私が逃がすと思うのかしら、アンドラス」
そう言うと、ヴェルベットはどこからか取り出した二本のナイフを構えた。
「思わんな、『VENGEANCE』。復讐の死神よ。だが、いかに死神であろうとも、戦いの神、竜の戦士である私には敵わぬ」
そう言い、アンドラスは嗤った。
「数年前のように、また敗北をさらすだけだぞ」
「精々驕っているがいい、アンドラス」
ローザは私を庇いながら言った。
「わが名は『VENGEANCE』・・・・・・罪なき者の復讐を果たすもの。貴様の罪を贖わせるものだ」
アンドラスはローザに背を向けると、銀髪をなびかせながら、闇夜に消えていく。
「貴様こそ、精々人形遊びをしているがいい。そして、次に会った時、必ずや貴様を葬り去ってやろう・・・・・・・永久に」
そして、私に向けて視線を一瞬向けた。
彼は去っていった。
私は、血を流しすぎたのか、意識が呆然としていた。極度の緊張状態も相まって、私の意識は切れた。
深い闇に落ちる前に、私の名を呼ぶ「母」の声が聞こえた気がした。
次に私が覚醒した時、そこは私の部屋だった。無個性な部屋で寝台と棚があるだけの質素な部屋。
寝台の横にはセレナがうずくまっていた。
きっと、ずっとこうしてここにいたのだろう。私は左手でセレナの頭を撫でた。
右腕の感触があまりないのは、仕方のないことなのかもしれない。ひじから先はアンドラスの刀によるダメージが大きく残っており、固く固定されている。動かそうとしても動かない。神経が駄目になっているのかもしれない。
私は自分の身体の傷を見るために、服を脱いだ。子供のように凹凸の少ない身体。鍛えているためか、負筋肉がそれなりについているため引き締まっている。
腹や背中には無数の切り傷があるが、致命的なものは少ないようだった。
そんな時、私の部屋の扉が開き、黒髪の少女が入ってきた。
彼女は青い薄手のワンピースを着ていた。片手には盆を持っている。どうやら私の飯のようだった。
そんな彼女は上半身裸の私を見ると、顔を赤くした。
「あなたは、何をしているんですか?」
少女はそう言い、盆を近くにあった椅子の上に置くと、私の下に来て私に服を着せようとする。
「痛っ」
「あ、ごめんなさい」
私の右腕に彼女の腕が当たり、私は痛みを感じた。ジイン、と響く痛みが、生を実感させた。
「そうか、生きているのか」
私は今いる私が現実だと、安堵した。
「私はどれくらい眠っていた」
「一日よ」
「そうか」
それっきり私は黙ってしまったため、相手も沈黙していた。とりあえず、私は上着を着た。
黒髪の少女はしばらく迷った風な顔をすると、何かを決心したように潤いのある唇を開いた。
「その、この前は悪かったわ。あなたのことを、否定するようなことを言って」
「?」
私は咄嗟に何を言っているのかわからず、きょとんとした。
「その、ローザさんから聞いたわ。あなたのこと。・・・・・・私、あなたのこと何も知らなくて、だから」
「別にかまわない」
私は言った。そうだ、どうせ、彼女には関係のないことなのだから。
「私とあなたは、いつかは別の道へと進む。関係のないことなのだから」
「私は!」
黒髪の少女は、声を上げた。
「私は、国から出たことだって、ついこの間までなくって、我儘で、理想ばかり語る、固い女よ。だから、先祖代々の伝統とかそう言うものは守るのよ」
それとこれとどう関係あるのだろうか、私はそう疑問に思った。
「だから、人と人の『縁』とか、そういうものを、蔑ろにしたくはない」
「縁?」
「すべての事象に意味がある。小さなことも、大きなことも。そのすべてが『私』を構成し、『世界』を作り出す。私の国ではそう考えられてきた」
そう言って、彼女は私の左手を両手で包み込む。ひんやりとした手は、しかし、冷たくはなかった。
「あの時、あなたが私を救ってくれた。これはきっと、意味があることなのよ」
サクヤコノハナノミコトはそう言って、深い茶色の瞳で私を見る。
意味。私と彼女の出会った意味。そんなもの、私にはわからない。
意味。遠い夜空の下で、その言葉を発した黒髪の親友。その姿がふと、彼女と重なった。
なぜか、私の両の目からは涙が零れた。
声を上げずに泣く私を、黒髪の少女は静かに抱きしめた。
『独りじゃないよ』
彼女の声が、聞こえたような気がした。
サクヤに助けられながら食事を終えると、彼女は食器を持って去っていった。曰く、薬の調合や包帯など、やることは多いらしい。
感謝の意を伝えると、サクヤは笑って手を振った。
しばらくまた一人の時間が続く。やがて起きたサレナは私が外に行くように言うと、心配そうにしながらも外へと駆け出していった。時たま戻ってきては、花を置いていっているようだった。
私は私を心配する人の存在が、これほど嬉しいものだとはわからなかった。一人では、決してわからなかっただろう。
扉がノックされた。
「入っていいかしら、ヴェンティ」
ローザの声。私は「うん」とだけ答える。扉が開き、ローザはゆっくりと私の部屋へと入ってくる。
「調子はどう、ヴェンティ」
「おかげで楽だよ」
私は右腕を見て彼女に問う。
「右腕は使えるようになる?」
「・・・・・・・・・はっきり言って、以前ほどは使えないわ」
ローザは少し迷った後、そう言った。
「右腕の骨は治るでしょうし、肉も大丈夫。けれど手の方は・・・・・・・・・」
なんとなくわかってはいた。親指を除く指が動かないから。
「最善は尽くすけれど」
「そう、ありがとう」
彼女を責めるのは間違いだ。こうなったのは、彼女のせいではない。
「ローザ」
私はローザの目を見て言った。
「なに?」
「私は確かにここにいる。人形なんかじゃない」
私は確かめるように言った。別に、ローザに肯定してもらいたいわけではない。ただ、そう言うことで、私は私でいられる。
「そう、あなたはここにいる。ここで確かに生きている」
そう言って、ローザは私を抱きしめる。
深紅の髪が私の顔をくすぐる。
「ヴェンティ、あなたが無事でよかった。私は、もう私の目の前でだれかを見殺しにすることを・・・・・・・」
彼女はそう言い、強く、強く私を抱きしめた。
彼女の涙が、ポツリと落ちて、私の頬を濡らした。
「母さん・・・・・・・・・・・・」
その姿を、扉の隙間から見てサクヤは笑うと、静かに閉めて去っていった。




