10
口の中は血の味が広がる。噛みしめた唇から流れる鉄の味。それは私の無力の証明であった。
目の前で繰り広げられる悲劇を止めることが、私にはできない。ただ、見るだけだ。
泣き叫ぶ女性たちは、衣服ともいえぬ粗末な襤褸に身を包んでいた。そんな彼女たちを、次々と売りさばくマクシミリアンらと、買い手の屑ども。
美しい女性を欲望にこもった目で見る。子供の身体をじろじろと見る変態野郎ども。
この手で殺したいと思うが、抑える必要があった。
より大きな悪、ヒュドラー、そしてアンドラスを殺すため。そう、自分に言い聞かせて。
右手はあまりに力を込めていたせいか、爪が食い込み、血が出ていた。
私をローザが見て、まだだと制する。こんな状況でも彼女は冷静であった。
落ち着け、落ち着くんだ、ヴェンティ。昔のお前なら、取り乱すことはなかったじゃないか。
そんな私の目の前で、奴隷取引は続く。闇夜に響き渡る饗宴の歓声が、私の神経を逆なでる。
「さて、これまでも多くの奴隷を見てきた私ですが、その中でもこの奴隷は一級品と言っていいでしょう。東方の至宝!漆黒の髪は、この世のものとは思えない!自信を持って、皆様にお披露目いたしましょう!」
マクシミリアンがそう言うと、今回の目玉である奴隷が連れてこられる。私は彼女を見る。
透き通る白い肌は、傷一つなく、そこに輝いていた。地につくほどの長い髪は、漆黒で、煌めいている。
茶色の瞳は、強い意志を秘めていて、舞台の上にいながら気丈であった。彼女の中には、平民にはない誇りや芯の強さがあった。東方のいわゆる貴族層の出身なのだろう。年のころは、私とそう変わらないであろう。彼女の姿は、かつての親友の姿とは重ならなかったが、同じような漆黒の髪に、私は親友の面影を感じていたのかもしれない。
彼女は首輪につながれた鎖によって無理矢理に引きずり出された。なおも彼女は抵抗していた。
ある者は彼女の美しさに見惚れ、ある者は彼女を屈服させる妄想に浸った。
「さあ、この高貴な奴隷をどうかご自身のものとしませんか?私が最高のものと保証します!」
そう言い、マクシミリアンは少女の顎を掴み、嗤って言った。
「もちろん、まだ生娘です・・・・・・・さあ、それでは・・・・・・・・」
「離せ!」
マクシミリアンの言葉を遮り、少女は大きな声で言った。そして、マクシミリアンに向かって唾を吐きかけた。
「我が国民を解放しろ、野蛮な西方民!」
「・・・・・・・少々、手がかかりますが、まあ、それも奴隷をしつける醍醐味でしょう」
マクシミリアンはそう言いながら唾をふき取り、言った。さすがに今までもこういったことは経験しているのだろう、手慣れたものだった。
群衆の熱気が高まる。一気に金額は上がり、それまでの最高金額を易々と超えてしまった。
そして、一人の男、巨体を誇る大男が彼女を落札した。
男はマクシミリアンに金を払うと、いきなり少女を抱え上げた。
マクシミリアンはニヤリと笑う。
「おや」
「なんだ、ここでやっちゃあならんか?」
大男はマクシミリアンを見てそう言う。マクシミリアンはいやらしい笑みを浮かべる。
「いいえ、その奴隷はもうあなたのモノですし、まあ、別にいいですよ」
マクシミリアンの了承をもらい、男はニヤリと笑う。
男に抱えられた少女の、心もとない布切れが、一気に引きはがされ、子ぶりながら形のいい乳房が露出する。少女の顔は恥辱に染まり、悲鳴が上がる。
「さあて、それじゃあ、この娘の初めて・・・・・・・みんなに見てもらおうじゃあないか!」
男はそう言い、舌なめずりをする。群衆は興奮の渦にあった。ここにいる者たちは真っ当な趣味を持っているものなどいない。この悪趣味なショーを楽しみにさえしていた。止めるものなど、いない。
少女は迫りくる危機に、涙を浮かべている。見知らぬ異国の地で、見知らぬ男に奪われようとしているのだ、当然であろう。
その顔を見て、私は、抑えきれなかった。
荷物の中から出した深紅のフードとマフラーに身を包む。ローザが私を見て制するが、私には聞こえない。
右腕の竜は私に囁く。少女を救え、と。私は従う。
走り出す。群衆の中から飛び上がり、群衆の背中を渡りながら、少女の下へと。
群衆はパニックを起こす。警備の兵がやってくるのを横目に見ながら、私は短刀を取り出す。
舞台の真下に降り立つと、三人の兵士が私に剣を突きつけてくる。それを叩き落とし、喉笛を掻き切った。血しぶきをあげて兵士が倒れる。
マクシミリアンは呆然とそこに座り込み、少女を犯さんとしていた男も、少女を抱えて固まっていた。
私は跳びあがり、少女を掴むその醜い腕に、刀を振り上げた。俊足の刃に男は対応できなかった。
男の両腕が宙に舞い、舞台の死体へ弧を描いて落ちる。
重力に従って落ちてきた少女の身体を掴む。私よりも少し高い身長の彼女を抱きとめると、私は懐から出した数本の苦無を大男目がけて投げつける。
大男の右目、額、喉仏を苦無が貫き、男は後ろに崩れた。
群衆が叫んで、一斉に逃げ出す。せっかく買った奴隷や、連れてきた奴隷を置いて、我先に、と。
先ほどの兵士とは違う、訓練された動きの黒装束のものたちが私に迫る。
「ヒュドラーか・・・・・・・・!」
鉄の爪や刀を持った黒装束の攻撃を私は交わす。腕の中の少女を庇いながら。
「おい、なんだ、なんだこれはぁ!?」
マクシミリアンの叫びが聞こえる。
もう、どうでもいい。こいつを殺してやる。そう思い、私は奴目がけて苦無を投げる。だが、それは黒装束によって弾かれる。
「ち」
黒装束が五人、私を囲んでいた。目元のみが露出している。
「貴様、何者だ」
黒装束の一人が私を見て言う。顔が見えないからか、私のことがまだわかっていないようだった。だが、私は顔を見せるつもりはなかった。
「『VENGEANCE』」
そう一言言って、私は黒装束の一人に向かっていく。少女に布の切れ端をかぶせて。
この程度なら、すぐに片をつけられる。
黒装束が反応したが、遅い。ほかの四人が動くころには、死体が一つ出来上がっていた。
私は殺した相手から剣を奪うと、それを近づいてきた一人に突き刺し、短刀で心臓を突き刺した。
「はあぁ!」
そして、三人目の足を払い、左手の指で目つぶしをする。眼球が沈み込み、白い液体と血が舞った。
この状況を見て不利と悟ったのか、二人の装束が身を翻した。
逃がすつもりはない。私は地をけり、走り出す。成人男性よりも小さい私は小回りが利く。
体力的なハンデはあるが、短期的な戦いなら負けない。
呆気なく一人に追いつくと、背中から袈裟切りにして、その首を斬りおとす。
闘争できぬと悟り、五人目が急旋回して、私に向かってくる。
「貴様、まさか・・・・・・・・」
私の動きを見て、敵は私がなんなのかを知ったようだ。
「死んだはずではなかったのか・・・・・・・・・・!」
つばぜり合いしながら、男は忌々しくつぶやいた。私は男を見て言う。怯えを浮かべたその目を見ながら。
「死神が私を助けてくれた。お前たちに復讐するために」
「まさか、我らの仇敵がお前を拾おうとは・・・!だが、お前は死ぬんだ、ここでな」
そう言うと、男は左手にも刀を持ってそれで私を斬りつけようとする。
だが、そんなのはわかっていた。私は左手の苦無を投げつけ、男の左手を貫いた。
力が抜けた瞬間に、刀を吹き飛ばし、右手の刀で男の顎に向けて刀を突き刺す。
信じられないという顔を男は浮かべた。私は少しの力を込めて刀で男の頭蓋を貫いた。
血を吹き出して、黒装束は倒れた。
私はマクシミリアンのいたところを見る。だが、奴はもういなかった。
逃がしたか、と思った私だったが、そこにローザが現れた。
変装はもうやめたようで、深紅のドレスと同色の髪を揺らしていた。
頬は血に染まり、彼女が歩いてきた方向には、数体の死体が転がっていた。
「ローザ」
彼女は何かを引きずっていた。それは、気を失ったマクシミリアンであった。
「ヴェンティ」
「・・・・・・・・・・ごめん」
私は頭を下げた。当初の計画通りなら、不要な騒ぎを起こすことなく、マクシミリアンを捕まえられたであろうから。
そんな私を、ローザは責めなかった。
彼女は私の頭に手を置いた。
「よく、あそこまで我慢した、というべきかしらね」
そう息をついて、彼女は言う。
「あなたは間違っていないわ、ヴェンティ。私はあなたの行動は責めないわ」
そう言い、ローザは私から座り込む漆黒の少女に目を向ける。
「さて、それより、これからどうしようかしら」
「ほかの奴隷たちは?」
「逃がしたわ、無事、帰りついてくれるといいのだけれど」
いくらかの武器と食糧は渡した、と彼女は言う。もとは戦士だった男奴隷もいるから大丈夫とは思うとローザは言う。とはいえ、何人かは奴隷商や買い取り手に連れて行かれてしまったようだが。
「彼女、どうする?」
漆黒の少女を見て、私はそう言った。
「とりあえず、ここから去りましょう。こいつから話を聞くのもそのあとね」
マクシミリアンを指してローザは言う。私は頷くと、黒髪の少女の方へと歩いていく。
夜が明けようとしていた。




