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プロローグ

腕に刻まれたタトゥーは、物心ついたころにはそこにあった。

両腕に刻まれたトカゲのような生物。それは伝説に出てくるという架空の生物、竜。物語では大いなる敵、または神として登場し、時に絶望を、時に希望をもたらす、超自然的存在の化身として扱われる。

竜の化身を、古くから信仰し、自らを竜のようにするために、鍛錬を重ね、闇に生きる。それが、私が幼いころより育ってきたこの組織の設立の目的である。

完全なる肉体と精神を得ること。そして、それによって人を超越する。そんなことを組織の大人たちは盲信していた。ひたすらに彼らは訓練を重ね、自身の子供や、孤児、奴隷などにもその信念、教育を施してきた。

闇の組織は、裏で多くの国と関係を持ち、多くの事件にかかわってきた。彼らの技術、身体能力は情人をはるかに凌駕したものであった。そのため、彼らは傭兵として重宝された。

神を目指す彼らはそうやって多くの国の政治・社会に浸透し、今なお暗躍していた。

組織の名を『ヒュドラー』という。

そして私はヒュドラーによって幼いころより訓練を施された殺人兵器であった。

私のほかにも数人の子供がいたが、その多くが死亡した。

訓練とは名ばかりの地獄のような日々を生き残れたものはほんのわずかだった。


赤子のころより食事には毒が盛られ、耐性をつけさせる。耐性ができなかったものは、日々弱り、最期には惨めに死ぬ。

ここで生き残ったら次は訓練だ。組手やまと当て、精神統一、断食。怪我をしても治療はされず、精神を乱せば容赦ない拳が襲い、空腹に倒れてそのまま餓死を迎える。

それが、この組織では当たり前。弱いものは死んでいく。そこに同情も慈悲もない。あるのは、闇だけ。

私たちには名が与えられない。名など、記号に過ぎないからだ。

闇に生きる私たちに名はない。あるとするならば、ヒュドラーだけだ。

そんな生活を、何年も続けてきた。

私の身体は他の同年代のものよりも成長が遅く、12歳を超えたにもかかわらず、身長は140にも届かない。他のものと同じ食事をしているはずなのに、私だけは成長が遅いのは、毒による後遺症だそうだ。

私は他のものとは違う人種らしく、身体の特徴も若干違うらしい。

だが、別にどうでもよかった。私には自我、というものはほとんどなかったし、殺しのための道具でしかなかったから、考えることなんてなかった。

日々教えられる殺しの業と知識。


だが、私とは違い、ほかの同世代のものは感情があるようだった。

私の一番の親友だった黒い髪の少女は、夜、私とともに寝ていた。

彼女は泣いていた。そして、私にキスをしてきた。私はそれを受け入れた。そうしなければ、彼女は今にも折れてしまいそうだったから。

私にも、少しばかりの情はあった。道具であった私は、彼女に死んでほしくはなかった。

つい先日も、仲間が一人死んだ。死因は発狂して自身の命を絶ったのだ。

森の中に道具もなしに放たれ、一週間生き延びる訓練であった。私や彼女は、それでも生き残ったが、彼は無理だった。

食事もなく、孤独が襲った。空腹と幻覚で、彼は自身の腕にかじりつき、そして、自ら命を絶った。

その前も、仲間たちは死んでいた。奈落の上での綱渡りでの転落、彼の死体はついに見つからなかった。

訓練とは名ばかりの実戦訓練で、教官の刀で首を斬りおとされた彼女。教官は彼女の首を蹴飛ばし、私と剣を交えた。

年上の少年は、耐えきれずに脱走し、大人たちに捕まり、生きたまま犬に食われた。


私たちは、彼らに支配され続けるのだろう、死ぬその時まで。

私の隣で眠る、裸の少女の黒髪を私は撫でた。同い年でありながら彼女の方が身長は高く、まるで兄弟のようだったが、彼女は私の親友であった。

彼女が死んだとき、果たして私はどんな顔をするのだろう?悲しむか、それとも、無表情に彼女の死を見るのだろうか。

彼女の死を、見たくはない、と私は思っていた。



私たちは十四歳になった。生き残ったのは、私を含めて12人。ヒュドラーでは14歳が成人。これで私たちは訓練を終える。だが、それは地獄の始まりだ。

訓練は鍛錬と名を変えより過酷に、そして傭兵として戦場に行き、人を殺す。そんな日々が始まる。

そうやって、皆、人間性を失い、道具となっていく。人を超えた化け物へと変わっていくのだ。

私たちもそうなるのだと、誰もが知っていながら、その運命に逆らうことができなかった。

長年の刷り込みと恐怖が、それを不可能にした。

私の隣で彼女は手を握る。私はその手を握り返した。そして、ぎこちなく微笑んだ。彼女もそれを見て笑った。

そして、私たちは寝室のシーツの上に寝そべり、肌をかわす。

それを、大人たちが見ているとは知らずに。



私と彼女はある紛争に駆り出された。

大人のいない初めての実戦であった。私たちはしかし、逃げられないことを知っていた。逃げようとすれば監視役が殺すだろうことはわかっていた。

私たちは互いの無事を祈り、頷いて戦場へといった。

仲間の一人が、敵の奇襲で死んだ。全身を弓矢で貫かれ、苦しみながら逝った。

軽装の槍兵が前方で陣を作っていた。彼らは私を見て、槍を構え、突き出す。

だが、死ぬわけにはいかなかった。私の身体能力は並みの大人以上だから、避けるのは容易だった。

薬物による身体強化と、鍛錬。それは私を化け物にしていた。

私は迫りくる槍を紙一重でかわすと、懐から取り出した苦無を投げつけ、兵士たちの首を貫く。

後ろからくる敵を見向きもせずに刀を抜き、切りつける。胴体に亀裂が入り、滑り落ちた。

兵士たちは恐怖し、逃げ出す。だが、逃がすわけにはいかない。

ヒュドラーを見た者には死を。それが闇の組織の取り決め。生きて返すことは許されない。私も死にたくはないからだ。

私を見て恐怖し、怨みを抱く者の目。私が普通ならば、罪の意識を感じただろうが、私はとうに狂っている。

私は腕に付けたカタールで、眼前の兵士の顔を貫くと、その生命を絶った。

怯え逃げ出す者たちを、無慈悲に私は追いかける。

刀を振り、苦無を投げる。毒の塗られたそれらは掠っただけでも致命傷だ。

毒に苦しみ、もがく兵士を、私は一思いに殺してやる。せめてもの情けだ。

こうして、一方的な虐殺劇は終わった。

戦場に立つのは、ヒュドラーの闇の戦士だけであった。

血塗られた大地の上で、私は彼女を見た。

死んでいない。安心して、私は彼女を見る。



ある日、彼女は戦場から帰ってくると、私の部屋に来て私を抱きしめた。

「ねえ、もう、耐えられない」

彼女はそう言い、私に言った。戦場で彼女を見る、無数の目。怨嗟の声が、聞こえるのだという。死んだはずの兵士の怨みが、日に日に彼女の精神を削った。

私はもう限界なのだ、と悟った。彼女にはもう、ここで生きることはできないのだと。

私は彼女を連れて、ここから出ようと思った。私は組織でも優秀なものとして信用されているし、大丈夫だ、と自分に言った。

本当はそんなこと思っていなかった。だが、仮に死んだとしても彼女とならいいかもしれない。私はそう思っていた。


夜。大人たちは多くが出払っていた時、私たちは逃げ出した。

組織の本拠地を抜け出て、森に差し掛かったところで、私は彼女を見た。緊張してはいたが、安どの表情を浮かべていた。悪夢からの解放と自由を信じていた。彼女の顔は希望で光っていたようにさえ見えた。

だが、事態はそうそう簡単にいくはずもない。

森を出た私たちを待っていたのは、ヒュドラーの指導者、アンドラスであった。

彼は刀を引き抜くと、彼女を切り伏せた。

その動きを、彼女は見ることさえかなわず、一刀のもとに切り伏せられた。

彼女は信じられない、といった目で私を見ていた。そして、彼女の身体は、分断された。

彼女の肉片と血しぶきを呆然と見る私を、無言でアンドラスは見た。

彼女が死んだのは、私を組織に引き留めるためだ。弱い彼女を利用して、永遠に私を引き留めるための。

私は彼に刀を向け、今すぐ後を追おうと思い、しかし、できなかった。

恐怖が身体を支配し、彼への反抗を辞めさせた。彼の合図で大人たちが現れ、私を引きずっていく。

彼女の死体はそこに放置された。呆然と見ていた私は、彼女の死体が舞い降りた猛禽類に啄まれるのを見た。



それからは死んだように生きていた。ただただ、命じられたままに人を殺し、鍛錬し、人を殺し・・・・・・・。

そうやって生きていた私は、次第に気力を失くしてきた。失って初めて、彼女の大きさを私は知った。

泣きはしなかった。涙はとうに枯れたから。

ああ、どうしたものか。

刀を握る手に、ついに力が入らないまでに私はなっていた。

アンドラスの視線が私を見た。ああ、終わった。



私は、ヒュドラーから出された。ほとんど裸に近い服装で、地獄のような砂漠に。

昼は灼熱、夜は凍土。それが砂漠であった。

ここに放り込まれ生きて出た者はいない。ヒュドラーの暗殺者とて例外ではない。

大サソリや猛禽類、ジャッカル。恐るべき生物の前に、人間はかなわない。まして、食料も水も私はない。丸腰なのだから。


私はアンドラスの視線を忘れない。最後に見た彼は、何の感情すら浮かんではいなかった。

私たちの運命を好き勝手しておきながら。ぎり、と唇を噛んだ私は、砂漠を歩き出す。

いいだろう、後悔させてやる。私を殺さなかったことを。そして、復讐してやる。

彼女を殺したことを、私たちを利用したことを、その報いを。


だが、運命は無情だ。数日間、歩いた私だったが、いつまでたっても終わりは見えなかった。

食料はないため、サソリを食らった。その血で喉を潤した。サソリの毒が静かに身体に回るのも気に駆けずに。

周囲のジャッカルは私の死を今か今かと待っている。頭上の鷹も私の死を待っている。

夕日は沈みそうだ。灼熱の悪夢が終わり、極寒の地獄がやってくる。

さすがに、ここで限界か。

私は砂漠に倒れた。だが、まだ何とか死んではいない。まだ、ジャッカルも鷹も襲ってはこない。だが、死も時間の問題だ。

喰われるか、衰弱するか。それは些細な差にすぎない。

意識は、次第に薄くなっていく。

ここで、死ぬのだろうか、復讐すらままならないまま、惨めに、孤独に。

彼女の笑顔が浮かんで、消えた。

走馬灯、というやつだろうか。今までの人生が思い浮かばれる。辛い訓練と日々、その中で、どれだけ彼女は私を救ってくれていたのかを、今になってわかる。

ああ、これが私の最期か。

ごめんね、仇も何も取れないよ。そう心で詫びた彼女は、自身を覆った何かの影に気づく。

誰だろう。

組織の人間か、それともジャッカルか。

そう思い、顔を上げた私は驚いた。

私が見上げたその人は、とても美しい人だった。

深紅のフードとマントから見える紅い髪と美貌。瞳は慈悲深く、少女を見つめていた。

二十代ほどの大人の女性だが、その雰囲気から恐らくそれ以上の時を生きているのだと思う。

彼女は静かに笑った。

「どうやら、あなたはまだ、死ぬわけにはいかないようね」

そう言い、しゃがみ込んだ女性は私の目を覗き込む。そして、その美しい腕を伸ばす。

「この手を掴めば、あなたのほしいものが手に入る」

私はその手を見て、彼女を見た。

「・・・・・・・・・・・・・命、か?」

そう言うと、彼女は笑った。そして、その目が語りかけてくる。何もかも、と。

望むならば、復讐でさえ、とその目は言っているようだった。

私は彼女の目の奥に宿る、強い炎のようなきらめきを見た。それは、とても強い光を放ち、私を惹きつけた。

「望むならば、復讐を・・・・・・・・・・・・・・」


不敵に笑った女神を見て、私は迷いなくその手を掴んだ。

たとえ、彼女が悪魔だろうと、奴らに復讐できるのならば、構わない。

そんな私を、彼女は深紅のマントを脱いで、かぶせて抱きしめる。

死んだ彼女とは違った温もりに、私はこう思った。

母がいたとしたら、きっとこんな感じなのだろうか。

紅い髪の女神は静かに私を見ると、微笑み、私の視界を閉じた。

そして、私の意識は深い闇、眠りへと落ちて行った。



深い、深い、闇の底に、光が見えた。




これが私と彼女、ローザ・ヴェラスコスとの出会い。

そして、『VENGEANCE』の始まりの瞬間であった。

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