ソード算【壺算】⑩
「領主様! 大丈夫だべか?」
「領主様」
「領主様」
「領主様」
狂人ラッカ達が風の様に去り、酒場に残された人々。村人が心配そうに領主の周りを囲む。
その様子をぼんやりと眺め、領主は声を絞り出す。
「何だよ……。お前達……。何なんだよ」
そして、その表情はみるみる怒りの感情で染められていく。
「何で……言う通りにしねえんだよ! だからのろまだってんだろうが! 馬鹿野郎トロル共が!!」
怒り猛る領主。だが、それを聞いた村人の一人がのんびりとした口調で、当然の様に言った。
「でも、領主様。領主様を置いて逃げる訳にはいかないべ」
「…………何を言ってんだよ。俺がどれだけお前達を馬鹿にしてきたか分かってんのか? お人好しにも程があるだろうが。だからのろまなんだよ、クズが」
罵詈雑言を並び立てる領主だが、それに比例して村人達はみるみる笑顔になっていく。
「いやあ、お人好しだべって? 皆、聞いたかい?」
と顔を見合わせて嬉しそうに頷きあう始末。
「お、おい。何をさっきから笑ってんだよ。ふざけんなよ」
そこで、酒場の店主がとうとうその一言を口にする。
「いや……だって一番のお人好しは、領主様だべ?」
「な…………!」
その言葉に領主は絶句した。
「んだ。口が悪いのはうわべだけだべ?」
「おいら達にはどうやってんのか分からんけど……。普段、勘定が実際よりも多くあったり、高価な品物が増えていたりするのは、領主様のお陰なんだべ?」
「!!」
その問いかけに領主はハッと顔を上げる。
「どういう訳か、領主様が買い物をした後に、そういう風に勘定が合わなくなる事が頻繁にあるべさ。魔法を使ってらっしゃるんだべとおいら達は言っているけど、本当に感謝しとるべさ。頭が上がりませんだべ」
「…………何の事を言ってんのか、さっぱり分かんねえな」
「ほら、そう言った!」
領主の返答に、全員が弾かれた様に笑った。
「領主様は絶対にそう言うって、絶対に認めないって、皆で賭けてたんだべ。まあ、賭けにもならんかったけどもな。お礼を言おうにも、領主様が知らないと否定されたら、おいら達の頭では到底理解も出来ないし、認めさせる事も出来ないから、どうしたもんかと皆で悩んでいたんだべさ」
「だから、とにかく何かあったら領主様の為に力を合わせようって、普段から言っていたんだべ」
「んだんだ」
「…………」
領主の顔がみるみる赤くなる。
のろまな筈のトロル人達に全てを見透かされ、彼は既に、何の言い逃れも出来なくなってしまっていた。
◇ ◇
その様子をナナセは空の上から遠視魔法で眺めていた。すっかり感心してクランエを熱い視線で見つめる。
「クランエ様、初めから全てを分かっていたんですね。見損なっただなんて、申し訳ありませんでした」
しおらしく頭を下げるナナセに、クランエは片手を上げて笑顔を見せる。
「トロルの血が入った人々は、確かに頭は廻りませんが、決して愚かではありません。悪い人間か、そうでないかを見極める目や直感は、実は誰よりも優れているのです」
「でも、何で勘定が少なくなくて、多かったんですか? 領主は一体どうやったんです?」
頬に人差し指を当て、素朴な疑問を口にするナナセに、クランエが答える。
「それは、ナナセさんが落語に引っ張られ過ぎたのですよ」
「ていうかお嬢ちゃん、武器屋であれだけ注意深く見ていたのに分からなかったのかよ」
「え? え?」
ナナセには全く訳が分からない。
「思い出してみろよ。領主が酒場で金を渡す所を。そして、武器屋で剣を渡す所を」
「…………ん? どういう事ですか?」
要領を得ずに首を傾げてばかりのナナセ。ラッカはガクッと項垂れた。
「いいから。よーく思い出しな。まずは酒場で酒を飲んだ後の勘定。『クロノ・チンチローネ』になぞらえたアレな」
「はい」
ナナセは、あの酒場での出来事を思い出してみる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おお、飲んだぞ。おい、居酒屋トロル。勘定は?」
「ええ、9マドカピアヒップだす」
「金が細かいんだ。手を出しな」
「ええ」
そう言うと、領主は店主の差し出した手に順番にトントントントントンと、マドカピアヒップを置いていく。
「12345…………おい、居酒屋トロルよ、今何時だ?」
そこで時間を訊ねる。店主は時計を見て、それに答える。
「ええと、確か今は……ヘビーザザロックだすな」
「789、だな。渡したぞ」
トントントントントントントンと、領主はテンポよく店主の手のひらに残りのヒップを置くと、そう言った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…………あ」
そこでナナセは気が付いた。
「数が合わない。『トントントン』の数が多い……」
その答えにラッカは頷く。
「何の事はない。あの領主。時間を聞いた時にもヒップを渡してたんだよ。勘定より多めにな」
「つまり、誤魔化すは誤魔化すでも『多く支払ったのを誤魔化す』為に、時間を聞いていたんですよ」
「確かに、3つ『トン』が多かった。あの時、3マドカピアヒップ多く支払っていたんですね。しかもいつも……」
そう、酒場の店主は領主が店に来たらいつも勘定の際に時間を訊ねてくると言っていた。つまり、いつも多めに金を出していた、という事なのだ。
「じゃ、じゃあ武器屋での出来事は? あれの何が、武器屋さんの利益になったというんですか?」
「うーん。じゃあ、それも思い出してみろよ」
「はい」
ナナセは武器屋での出来事を思い出す。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「じゃあ、このついさっき買った100マドカピアヒップの銅の剣をお前に渡せば、100+100で占めて200マドカピアヒップって訳だ」
そう言って領主は、腰に差している剣を抜いて店主に渡した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あ……。あれ? 自分の腰の剣? それって……その前に買った、銅の剣を、渡していない?」
ラッカがしっかりと頷く。
「その通りだ。領主は銅の剣と偽って、元々自分が腰に下げていた、金剛の剣を店主に渡したんだよ。あの領主が見た目が分かり難い、地味な金剛の剣を持っていたのは、その為だったんだよ」
銅の剣ではなく、値打ちの高い金剛の剣を、武器屋にあげていたのだ。
『だから、さっきあいつが抜いた剣は金剛じゃなくて、銅の剣だったって訳だ。そいつはオレが保証するぜ』
オクラホマスキャンダラスサービスが笑いながらそう言う。
「落語に於ける誤魔化す件を、逆の意味で誤魔化す為に利用していたんです。つまりナナセさんは、落語を知っているからこそ、悪い方向に誤魔化したと決めつけてしまったという訳です」
「村人達にバレないように気を使っただろうぜ。まあ、まさか領主がそんな事をしているなんて、分かる訳はないよな」
「村人達は、手段はともかく、何となく気が付いていたみたいですけどね。領主はそうやって、富の再分配を行って、村人達がなんとか生活出来る様にさせていたんですよ」
その真実にナナセは驚いて口をあんぐり開ける事しか出来なかった。
「…………何なんですかあの領主……様。物凄く良い人なんじゃないですか」
「だから村人は皆初めからそう言ってたじゃねえかよ」
「でも、でも、何でそんな回りくどいやり方を? 単純に税を減らしてあげれば良かったのに……」
「さあ、うちの姫さんみたいな人種なんだろうよ。人に素直に好意を表せない、な」
「と言いますか、そもそも税なんて殆ど徴取していないにも等しいらしいですよ。それでも不器用な彼らの生活は潤わない。だから領主は影で彼らを支える事にしたのでしょう。ひょっとしたら亡くなったお父上も似た様な事をされていたのかもしれませんね」
「そんな」
「だがまあ、それも全てクラに丸裸にされちまったけどな」
領主の性格と顔を思い浮かべ、愉快痛快に笑うラッカ。
「あの村、これからが見物だな。いや、それにしてもクラ。なかなか良い芝居だったぜ。流石魔王の息子」
「ラッカ兄さんこそ素晴らしい狂人っぷりでした。完全なる悪党でしたね」
二人で顔を見合わせて笑いあう。
「それに引き替え、嬢ちゃんの芝居は吐き気がでる程酷かったな」
「だ、だって、二人とも突然悪党みたいな事言い出して、訳が分かんなかったんだもん」
顔を真っ赤にさせる。
「『ま、まじょのちからを、えー、ごらんなさいな』」
「ハハハハハハハハハ!! 兄さん、よく似ています」
「…………!! もーーーー!! 勇者様もクランエ様も、嫌い!」
二人にからかわれ、ぷりぷり怒るナナセであった。
「結局、お嬢ちゃんも領主も、全てはクラの思う壺だったって事だな」
ラッカがそう言うと、クランエは笑って頷いて、言った。
「ああ、それがまさしく――」
◇ ◇
全てを村人達に気が付かれていた事を知った領主は、たまらず項垂れてしまい、片手で顔の半分を抑えている。
「ああ、領主様の様子がおかしい。やっぱり、ラクゴにやられたのかもしんねえべ」
「誰か、医者を呼んできてくれ」
領主はそれを手で制する。
「いや、大丈夫だ」
そうは言いながらも、目を押さえて、うめき声を上げる。
「ああ…………ラクゴをくらっちまった……。これが、ラクゴなのか。クソッタレが……何て恐ろしいんだ」
「領主様……」
忌々しそうに髪の毛をくしゃくしゃにしてから――キッと顔を上げると、懐から札束を取りだし、バンとテーブルに置いた。
「いいかお前達。今度から、この金で仕入れをするんだ。いいか。俺の言ったルートで仕入れてくるんだぞ。無茶苦茶な値段を吹っかけてきたら直ぐに俺の名前を出せ。いや、もう最初から出せ。この村の全員、今後はジャクソン=ジャックの名前で仕事をしろ」
そう言って、武器はどこの町の何々という卸問屋、売る際にはあそこの町の冒険者ギルドに口を聞いて……等と、それぞれの店主に適確な指示を出し始める。
「この金はくれてやる。もうけが出たら……一割でも寄越せばいい。だけど最初は自分の懐に入れろ。店の改装や身なりを整えるのに使え。汚くて臭いトロルがやってる店で、物は買わねえからな」
「あの、領主様。さっき、おいら達の名前を……」
おずおずと言う村人をキッと睨みつけ、領主が口を開く。
「ああ? 領主だからだよ。自分が治めている土地のヤツ等を知らない領主がどこにいるんだよ。特にお前等みたいな出来損ないの領民を持つと、大変なんだよ。分かったか、オスカル?」
そこでジャックはとうとう、開き直る様に言った。
彼の小さなプライドは、粉々に破壊されていた。
この瞬間、彼らと共に歩んでいく決意を、領主はしたのだ。
「で、いつまでてめえらは俺の事を『領主様領主様』って、紙に判で押したような通り一遍等な名前で呼ぶんだ?」
ニヤリと笑う領主。その意味が分かった村人が、満面の笑みを浮かべて、大声で叫ぶ。
「…………はい! ジャック様!!」
今後、この村は「のろまなトロル村」とは言われなくなる。
才覚溢れる領主と、心優しい村人によりマドカピアの窓口として、貿易で栄え、「おもてなしの村、マドワン」と呼ばれる事となる。
全ては「ラクゴ」の思う壺であった。
☆ ☆ ☆ ☆
「ぼっちゃま! このじいめも、最後までついてまいりますぞ!」
付き人の中年も意気揚々と領主と村人達の輪に入る。だがそこへ領主が冷静に声をかける。
「じい、お前はクビだ」
「え…………?」
絶句する付き人。
「どこにでも行くがいい」
「いえ、そんなぼっちゃま。何故そんな事を仰るのですか? 今まで私がお使いした日々、共に歩んできたブリリアントロードを……お忘れですか!?」
そう、涙ながらに訴えかけるが、領主の方は呆れた表情で言い返す。
「……いや、お前、なんか昔から、まるで俺が幼い頃から世話してきたみたいな接し方してきてたけど……一番浅いから。お前雇ったの、ほんの数日前だろう? 丁度あのチック、いや、ラッカと同じ日に付き人の面接したじゃねえか。ていうか、お前ダマヤだろ?」
「!! ぐ……バレた! 何故それを……」
そう、付き人の中年男の正体は、狂人ラッカ一行の仲間、人呼んで「何の変哲もないとにかくダメなおじさん、ダマヤ」であった。
クランエやナナセ達は彼が領主側にいる事に気が付いていたが、特にそれで悪い影響がある筈もない(むしろその方が自分達の面倒が減るとも思っていた)事を知っていたので、黙っていたのだ。
「クソ! 逃げろ!」
ここで捕まってはたまらないと、ダマヤは慌てて駆け出した。
絶対強者の領主に媚び諂い、村人達に偉そうな顔をして散々どやしつけるだけという、まさに天職を見つけたと思っていたのに。
――だから旅になど出たくはなかったのだ。何故こんな事になってしまったんだ。我が安寧の地は遠い……!!
ダマヤは走りながらむせび泣いた。
「良かったんですかい?」
のそのそ走り去っていくダマヤの背中を眺めながら、酒場の店主が言うと、領主はふんと鼻で笑った。
「いや、完全に乗せられたんだろうよ、俺は。何考えてたんだか分からねえが。ラクゴか……。多分これもそのラクゴってのの、思う壺なんだろうな」
そこで、逃げ出したダマヤがくるりと振り返り、大声で叫んだ。
「そう! それが今回の落語の原典『壺算』の、本来のサゲです!」
番外編でした!
壺算の解説をしたい所ですが、それは、実際の壺算を御覧下されば。
それが解説ということで。
この作品が、皆様と落語を繋ぐものになることを、願っております。




