21.ヘルテルの苦難
普段なら今頃は寝る前に好きな本を読んでいるもっとも寛げる時間のはずなのだが、突如客間に呼ばれたヘルテルは顔面蒼白で血の気がなく、最悪の気分だった。
なぜなら、シャルロッテの隣に座しているアレクスティードが開口一番物凄く真剣な顔で、『シャルロッテを俺にください』とヘルテルに許可を求めて来たからだ。
「………姉を借金のカタにするのでしょうか?そんなに着飾って…相手は貴族の好色家ですか?どうして姉さんばかりが犠牲にっ…」
ようやく重い口を開いたヘルテルは、ガタガタと恐怖で身体を震わせながら、か細い声と焦点の合わない絶望した顔で尋ねて来た。唇の色が真っ青だ。
「嘘だろ…ねぇ俺ってそんなに悪人顔なの…?そんなことするような奴に見える?」
対する誰もが認める好青年のアレクスティードは、今まで持たれたことのない第一印象に大ダメージを受けていた。こっちはこっちで死にそうだ。
「いいえ?整っている綺麗な顔立ちだと思うわ。」
「今欲しい励ましはそうじゃないけど…うん、でも嬉しいから素直に受け取っておく。」
シャルロッテの見当違いなフォローで少し元気を取り戻したアレクスティード。
気を取り直して、ヘルテルからの嫌疑を晴らすように初めから懇切丁寧に説明し始めた。
ヘルテルは最初、あのクズから姉を救ってくれたことに涙を流して感謝したが、次に分不相応の結婚に尋常じゃないほどの恐怖心が芽生え、最後には自分にその決断を委ねられたと知り、白目を剥き口から泡を吹きそうになっていた。
「何でそんな重要なことを僕に…?ちょっとほんと吐きそう…うぅ゛…」
「だって貴方が疑えってよく言うでしょう?私には判断がつかないから、ヘルテルに決めて欲しいのよ。」
「結婚って大事なこと、そんな人任せでいいの?慣れないことで恥ずかしくなって僕に投げただけじゃないの?」
「………………そんなことないわ。」
図星だったシャルロッテがそっぽを向いた。その分かりやすい反応に、隣のアレクスティードが吹き出す。
「ヘルテル君の方で懸念があれば、それを全て解消して安心してもらった上でこの結婚を進めたい。だから気になることは全て言って欲しい。」
表情を改めたアレクスティードが、ヘルテルに意識して柔らかく声を掛けた。
ヘルテルはしばらく逡巡した後、怯えながら消え入りそうな声で恐る恐る尋ねてきた。
「あの、公爵家の方がわざわざ言ってくださったので、そこに騙す意図や悪意はないって信じます。でもただただ疑問なんです…本当にこの姉で良いんでしょうか?」
慎重で疑い深いヘルテルの猜疑心は、姉であるシャルロッテへと方向を変えた。
ヘイズ家の借金や彼の学費は半端な額ではない。いくら公爵家とはいえ、相当な負担になるはず。そうまでしてシャルロッテを手に入れたいのか、どうしてもその点が腑に落ちなかったのだ。
あのクズと比較する間でもなく、話した途端アレクスティードは信頼に置ける素晴らしい人柄だと思った。だからこそ、わざわざこんな貧乏くじを引かずとも、姉以外に選ぶ相手はいくらでもいるだろうと思えてならないのだ。
「うち公爵家のくせに、親から政略結婚を反対されてるんだよね。母親が恋愛至上主義のせいなんだけどさ。」
アレクスティードは足を組み、絵になるような優雅な所作でティーカップに口を付けた。
「だから何度か出会いの場に顔を出したんだけど、年頃の令嬢達は皆同じ顔に見えるし、少し笑顔で話しただけで気があると勘違いされるし、すぐ女性同士で諍いを始めるし…辟易としてたんだよね。で、その憂さ晴らしで出掛けた時に見つけたのがシャルだったんだ。」
にこっと口角を上げて微笑むアレクスティードだが、ヘルテルは悲しそうな表情で彼の話を聞いていた。
「それでシャルに声を掛けたらクズ呼ばわりされるし、容赦なく奢らされるし、話を聞いたら婚約者のことを利用して捨てるとか言うし、本当にもう魅力的で参ったよ。だから手に入れたいって本気だ思ったんだ。」
アレクスティードは好きになったきっかけを話しているはずなのに、ヘルテルには不敬罪の告発にしか聞こえなかった。またもや顔色が悪くなる。
「姉が本当に本当に申し訳ありません。…ただそのように感じたのは、あまり周りにいないタイプの人間だから物珍しかっただけではないのでしょうか…?」
不敬罪にビビり散らかしながら、恐々と尋ねるヘルテル。すると、アレクスティードは目を瞬いた後破顔した。
「ははは!君達ちゃんと姉弟だね。安心して、シャルのことは一人の女性として惹かれていてちゃんと好きだから。」
シャルロッテと同じ見解をしてくるヘルテルに、アレクスティードが声を上げて笑っている。その瞳が親しみと優しさに満ちていて、ヘルテルはこの方なら大丈夫だと強く安心感を覚えた。
「お気持ちを疑うような真似をしてすみません…重ねて非礼をお詫び申し上げます。」
「いいよ。それで、ヘルテル君から見た俺はどうだったかな?シャルロッテの結婚相手として認めてもらえそう?」
本題に戻そうとアレクスティードが気負わせないよう気軽な口調で尋ねてきたが、ヘルテルからは息が詰まるほど重苦しい空気が漂っている。
相手が素晴らしいことは分かったのだが、ここで返事をすることの重さに心が押し潰されそうになっていたのだ。どうしていいか分からず、上手く言葉が出てこない。
すると、ずっと黙って聞き手に回っていたシャルロッテがポケットから一枚の硬貨を取り出し、ヘルテルを見た。
「こうなったら、コイントスで決める?」
手の甲にコインをスタンバイさせた彼女の目は本気だった。
「いやそんなの絶対ダメでしょう!!姉さん何言ってるの!」
「はははっ。弟任せの次は運任せか。悪くないけど、とりあえずここに名前を書いてからにしてもらえる?」
青い顔でシャルロッテのことを止めるヘルテルと、笑いながら婚姻届へのサインを強請ってくるアレクスティード。二人の反応は対照的てあった。
「表と裏、どっちを承諾にする?ヘルテルが決めて良いわよ。私が投げるから。」
「ちょっと待って姉さん!それだけは絶対にダメだって!……もう分かったよっ決めた!この求婚受け入れよう!!」
「え…その勢い任せの感じの方がダメじゃない?」
「サインさえ貰えれば何でも良いって。」
どっちもどっちだったヘイズ姉弟。
こうして最後は、ひどく投げやりなヘルテルの一存でアレクスティードとシャルロッテの結婚が無事決まったのだった。




