20.過剰な条件
何事にも慎重なアレクスティードは、シャルロッテが簡単に自分との婚姻を承諾してくれると思うほど自惚れてはいなかった。しかし、この手の届く距離にいて逃す気はもっと無かったのだ。
彼はにっこり微笑むと、皿の上にあったチョコレートを一粒手に取る。
「まず、シャルの家の借金を全て肩代わりしよう。」
「は?」
言われたことの意味が分からず聞き返したが、彼に説明する気はないらしく、これが結婚する時の条件ということのようだ。
そしてシャルロッテに視線を向けると、もう一粒チョコレートを手に取った。
「次に、弟君の学費もこちらで支払おう。もちろん制服や教材費など学業に必要なものは全てだ。」
すっと二つ目のチョコレートを並べた。
「それと、当面の生活費も潤沢に支援しよう。」
三つ目のチョコレートもまた同じように隣に並べる。
「最後に、シャルがうちに来てくれたら、毎食手の込んだ食事を用意するし、午後のティータイムには好みの菓子を用意する。もちろん自由に使えるお金やその他必要なものは全て与えよう。…どう?とても魅力的な話だと思わない?」
綺麗に整列した4粒のチョコレートを前に、アレクスティードは両手を広げ、自信たっぷりの表情でにこにこと笑っている。
(…あとは彼女が頷くのを待つだけ)
彼は彼女の答えを待った。
提案されたシャルロッテは、美しい眉をハの字にして何やら考え込んでいる。
「どうだろうか?」
一方、断るわけがないと確信しているアレクスティードが彼女に承諾を促す。少しでも首を縦に振れば、ジャケットの内ポケットに忍ばせている婚姻届を取り出すつもりだった。
「これって絶対…」
「ん?」
「詐欺よね。或いは何か裏がある。そのくらい私にでも分かるわ。」
「う…そう来たか…………」
長い沈黙の後シャルロッテの口から飛び出したのは疑いの言葉だった。即刻飛びつくだろう条件を並べたつもりの彼がガクッと肩を落とした。
「いやまぁ、そうだよな…」
しかし冷静になればなるほど、自分の並べた条件は都合の良いものばかりで怪しさ満載だと自分でも思えて来たのだった。
(らしくない。少しガッツき過ぎたな…)
反省した彼が次の攻め方を考えている間に、シャルロッテは並べられたチョコレートを端から手に取ってむしゃむしゃと食べ始めた。
その様子を見たアレクスティードは苦笑しながら、諦めたような顔で口を開く。
「……正直に言うよ。シャルに惚れたから君と結婚したいって思ったんだ。だから君が食いつく条件を並べてる。カッコ悪いけど、結構必死。」
急に素の表情になったアレクスティードがチョコレートを口に運んだ彼女の手を掴み、素直な気持ちを吐露した。
いつもの飄々とした態度を止め、心の内に巣食う激しい想いを隠さずにシャルロッテの瞳を見つめる。その視線は心が焼けつきそうなほど熱い。
「そ、そんなこと言われても良く分からないし、困るわよ。」
困惑したシャルロッテが視線を逸らした。
「俺としては、困るくらいなら無視して押し進めたい。さっき提示した条件に不満ないなら承諾してよ。ね?」
彼女も薄々気付いてはいたが、アレクスティードは押しが強かった。ぐいっと迫るようにして、逸らした彼女の顔を覗き込んでくる。
「なんでそんなに私に構うのよ…こんな面倒な貧乏貴族に。お金ばかり掛かって良いことなんて何もないわ。アレクはお金を掛けてまで苦労をしたいの?大概ね。」
つい本音を漏らすシャルロッテ。
言い過ぎを自覚して気まずくなった彼女が手を振り解こうとしたが、彼は離してくれなかった。仕方なく、限界まで顔を背けて彼から遠ざかる。
「たぶん一目惚れ。」
「はぁ!?」
驚いて勢いよくアレクスティードのことを見たが、顔を隠すように逆方向を向いている彼の耳がほんのりと赤く、シャルロッテは振り向いたことを激しく後悔した。
つられて赤くなりそうなことに腹が立ち、紛らわすように紅茶を一気飲みする。
「初めて賭博場で見かけて単純に凄いなって思って眺めてたら、どう見ても歩き方や所作が女の子でさ、どんな子かなって気になって跡をつけたんだ。」
照れたように話すアレクスティードだったが、シャルロッテは軽く引いていた。
「…やっぱりあの時憲兵に突き出すべきたったかしら。」
「ごめん嘘、今のは忘れて。」
慌てて否定した彼は、誤魔化すようにシャルロッテにお代わりの紅茶を用意した。
「なんか全てが新鮮だったんだ。美味しそうに食べる姿は無邪気で可愛いのに、人に頼らない凛とした気高い美しさがあって、君は望んでないと思うけど、初めて守ってあげたいと思えたのがシャル、君だったんだ。」
「それ、私みたいな人種が物珍しいだけだったんじゃなくて?」
「そうやって真に受けず、すぐに絆されないところも好ましいと思っているよ。」
まだ信じられないシャルロッテは驚いた顔をしているが、アレクスティードはその反応さえも嬉しそうに甘やかな瞳で眺めている。
「だからさ、もう諦めて。」
「とんでもない求婚の言葉ね。」
微塵も断らせる気のないアレクスティードに、シャルロッテが呆れて返した。だがその顔に嫌悪の感情は見当たらず、言葉の割にはどことなく楽しそうであった。
「はい、ここにサインして。」
「それ詐欺師がやることよ。」
婚姻届を取り出して肝心の文面を腕で隠し、署名欄だけ見えるようにしてサインを促して来たアレクスティード。流れるような無駄のない動きだった。
「はぁ…分かったわ。」
「………っ!!ありが」
「こうなったら、私の弟に決めてもらいましょう。」
「は・・・・・・・・」
好きとも嫌いとも言われず人任せにしてきたシャルロッテに、アレクスティードは開いた口が塞がらない。
押し問答に疲弊した彼女はめんどくさくなり、大切な自分の人生を弟の判断に任せることにしたのだった。




