《余話》遺されるもの
「少し話をしようと思って」
そう言ってミゼットが訪れたのは、リーたちが出発した翌日の夜のことだった。
なんの話か心当たりのあるラミエは、いいよと返して自室に招く。
「私は済んでるけど、食事は?」
「大丈夫よ。あ、でも」
荷物の中から酒を取り出すミゼット。
「お互い口を軽くするためにも。つきあってね」
「明日も仕事なんだけど…」
そうぼやきながらも、グラス取ってくるねとラミエは笑った。
グラスふたつと軽くつまめる物を間に向き合うふたり。ミゼットが濃い赤の液体をグラスへと注いだ。
「…で、わざわざなぁに?」
「わかってるくせに」
組織に入ってからの二年間、そして食堂勤務になってからの十年間。自分の教育係だったということもあり、ミゼットには様々な相談事もしてきた。
人との関係に悩む自分に、ミゼットは人と添い遂げた己の話をしてくれた。懐かしそうに、そして寂しそうに語るミゼットに、それならどうしてと何度も思った。
どうして、その人でなければならなかったのか、と。
エルフの寿命は約三百年。対して人は、百年もない。
どうしたって、残されるのはこちらなのだ。
「色々あったわねぇ」
酒を揺らし、少し含んで。吐息とともにミゼットが呟く。
「…ラミエにも、色々あったでしょう?」
答えず手元に視線を落とし、ラミエは自分もグラスを傾ける。
喉が焼けるような熱を感じ、一度グラスを置いた。
暫く何も言わずに飲んでいたミゼットが、ふっと瞳を伏せる。
「ヴォーディスでの話はしたわよね」
ラミエを見ないまま呟く声は、いつもよりも低く。それが酒のせいだけではないことは、ラミエにもわかっていた。
「リーが主体に取り込まれたあの時。ラミエの顔が浮かんだの」
「私の?」
少しずつ飲むうちに慣れてきた喉に、含んだ一口を流し込んでから尋ねる。
「ええ。あなたの顔と、あの人の顔が浮かんだわ」
どうして自分とその人を並べるのか。
気付いたラミエはゆっくりとグラスを置く。
ミゼットの危惧は、自分の抱くそれと重なって。
「つらいわよ?」
うつむいてしまったラミエに、追い打ちをかけるようなミゼットの声。
「私たちは遺される。…私もそうだからよくわかるの」
既に夫といた時間よりも亡くしてからの時間の方が遥かに長くなってしまったミゼットは、夫の遺した請負人組織を守ることを支えに生きてきたのだと。
組織内では見せることのない、泣き出しそうな瞳で語ったことがあった。
その時と同じような瞳を向け、ミゼットは手を伸ばし、言い聞かせるようにラミエの頬に手を添える。
「ラミエ。あなたはまだ三十年しか生きていない。あまりにもその先が長すぎるわ」
静かなミゼットの声はゆっくりと胸に落ち。
ラミエはきゅっと、手を握りしめた。
初めてリーに気付いたのは、リーがまだ請負人になる前、養成所に入るために訪れた時だった。
まだ幼さの残る顔付き。小柄なこともあり、酒を出すのをためらった自分に。
ちゃんと成人してるからとふてくされるその様子に、ほかの人のような媚びも好感もないことに驚いた。
請負人となってまた店に訪れるようになったリーは、自分のことを気にする様子など微塵もなく。いつまで経っても顔すら覚えてくれないことに、驚きを通り越して嬉しくなった。
来るたびに目を向けて。
返されない視線に寂しさを感じるようになったのはいつ頃からだったか。
明らかにほかの人とは違うリー。
目で追う理由は、珍しいから、だと思っていた。
特に優しくされたわけではない。
しかし行動の端々に感じる気遣いは、自分がエルフだからではなく誰にでも向けられるもので。
その理由はわからなかったが、そのことが嬉しいことだけはわかっていた。
今回のことで知り合えて、それでも変わらない態度と自分に直接向けられる優しさに。
気付けば想いは確実に育ち、実を結んでいたのだ。
「…わからないよ」
手を握りしめたまま、ぽつりとラミエが零す。
「リーのことは好き。大好き。もしリーが私をエルフとして見るようになっちゃっても、それでもいいって思えるくらい好き」
僅かに身体が揺れ、うつむく顔から雫が落ちる。
「誰にでも優しいとこも。周り思いなとこも。真面目なとこも。鈍感なとこも。全部好きなんだよ」
ぽたり、ぽたりと。握りしめた手に雫が落ちていく。
「皆が私をエルフとして見るように、私も皆を人として見てたんだって。誰にだって変わらないリーを見てて気付いたんだよ……」
うつむいたまま吐息をつき、ラミエは両手で顔を拭った。
まだ顔は上げないまま、そのままもう一度息を洩らす。
「…でも、言えないよ……。ミゼットの気持ちを聞いてるから。どうするのがいいかわからない……」
絞り出すような呟きに、ミゼットも何も答えられなかった。
うつむいたまま、ラミエが大きく息を吐く。それからゆっくり顔を上げて、まだ赤い目元を緩めてミゼットを見た。
「ミゼットにお願いがあるんだ」
ラミエなりに切り替えたのだろう。少し泣き笑いのようにも見えることには触れず、ミゼットはただ笑む。
「何かしら」
「同行員の資格を取りたい」
同行員の資格は請負人たちとともに行動できるだけの実力があると認められた者が得られる。ミゼットたちのように何かの調査に赴くにも必要となる資格だった。
資格を持たないラミエは組織と宿場町を出ての活動はできない。
「覚悟を決めたときに動けるように。今できることをしたい」
言い切ったラミエに、ミゼットは口に出しかけた言葉を呑み込む。
覚悟を決めると言っている時点で、既に気持ちは決まっているのではないか、と。
まっすぐ自分を見るその瞳に迷いはなく。刹那の情熱に惑わされているようには見えなかった。
己の歩んだ道を思えば、ここで止めるべきなのかもしれないが。その刹那にすべてを捧げた自分は、今も後悔はしていない。
選択するのは本人。己で選んだからこそ、耐えられることもあるのだから。
「わかったわ」
頷くとラミエがぱっと瞳を輝かせる。
嬉しそうなその顔に、ミゼットは妖艶に微笑んだ。
「あのふたりと一緒に、鍛えてあげるわねぇ」
正確にはラミエは三十二歳。人の年に換算すると二十歳くらいになります。ミゼットは百………(某かの力が働きました)。
エルフの年齢と老い方についても、またどこかで書ければと思っています。




