ここに
メルシナ村を経由してウェルトナックの下へと向かうリーとフェイ。
伝わるはち切れんばかりの喜びに、リーは笑う。
ミオライトとメルシナ間にさほど距離がないせいもあるのだろうが、この付近に近付いてからのアディーリアの感情の乱高下は相当なものだった。
近付く気配に浮かれ、離れるそれに沈み。でも待ってるからねと立て直し、まだかなと落ち込む。
慌ただしいその様子に、もう少し待っててと伝えることも叶わずいたことを申し訳なく思っていた。
しかしここまでくればもはや疑う余地もないのだろう。目に浮かぶようなはしゃぎ振りに、リーはせめてと足を早める。
森を抜け、池に出た瞬間。
「リー!!!」
魔法でも撃たれたかと思うほどの勢いで突っ込んできたアディーリアを、リーはよろけつつもなんとか受け止めた。
「会いたかった! 会いたかったぁ!!」
ぎゅうっと服を握りしめ、頭を擦り寄せ。既に泣き声のアディーリアはひしりとしがみつく。
「うん。俺も」
よしよしと宥めながら、笑みを見せるリー。
「アディーリアにお礼を言わないとって思ってた」
「お礼?」
ひょこりと頭を上げたアディーリアに、詳しいことはまた話すけど、と前置いて。
「あの時俺が助かったのは、アディーリアの声が聞こえたから」
きょとんと見返すその頭を撫でる。
「アディーリアが俺の名を呼んでくれたから、自分を取り戻すことができたんだ」
突然こんなことを言われても、アディーリアには何のことだかわかりようもないだろうが、それでも。
「ありがとな」
心からの礼を述べた。
怪訝そうに見上げつつも、撫でる手の動きに合わせて眼を細めながら、えへへと笑うアディーリア。
「よくわからないけど、リーの役に立てたなら嬉しい」
もう一度リーに擦り寄ったアディーリアが、ふと何かに気付いたように動きを止めてリーを見上げた。
「…リー……」
「アディーリア。こちらも話があるんだ」
呆れた口調でウェルトナックが割り込む。
「一度戻れ」
振り返ってウェルトナックを見たアディーリアは、もう一度リーを見つめてから名残惜しそうに手を放した。
その頭をもうひと撫でして、ほら、とリーも促す。
「あとでな」
「うんっ!」
パタパタと嬉しそうに尻尾を揺らし、アディーリアは池へと戻っていった。
池の縁まで近付き、リーはウェルトナックを見上げる。
「依頼完了の報告に来たんだ」
「わかった。フェイ、少し待っててくれ」
了承の意味で片手を挙げ、フェイは少し下がって座り込んだ。
優しい眼差しで自分を見るウェルトナックの青い眼に、リーはここへ来た時のことを思い出す。
偶然受けたメルシナ村の依頼。それからの数十日は本当に目まぐるしく。そして何より、抱えきれぬほどたくさんのことを知ることになった。
身に余る信頼にうろたえ、勤め先の現状に驚き、己自身にさえ知らぬことがあったのかと自嘲し。
しかしそれでも。普通に請負人をしているだけでは交わることのないだろうたくさんのものと知り合えたことが、今はただありがたく、嬉しい。
そして、おそらくそれは―――。
「…シングラリアの件、解決したから。ウェルトナックからの依頼は完了ってことでいいんだよな?」
口火を切ったリーに、眼差しはそのままにウェルトナックが頷く。
「ああ。詳細は聞いている。ご苦労だったな」
「俺、何もしてないけど」
確かに龍には会いはしたが、フェイとネイエフィールを除けばあとは組織内の龍たちだ。報告も組織に上げただけ。調べたことも言われるがままに手伝っただけだ。
請負人として知り得たことを龍に伝える。
その依頼内容を果たしてはいない。
「それを決めるのは儂ではない。だが儂は確かに情報を受け取っている。組織には事実を伝えるのみだ」
自分がそう言い出すことは読んでいたのだろうか、肯定も否定もせずに返すウェルトナックに。
リーはひとつの疑問を投げかける。
「…初めから、このつもりだったのか?」
龍の愛子である自分を、組織と龍との間に置くために。
「俺と組織内の龍との顔を繋ぐつもりだったのか?」
ウェルトナックは見守るものの眼差しのまま、ただリーを見返すだけだった。
なんの揺らぎもないその表情に、一体どこまで織り込んでの依頼だったのかと考える。
自分より遥かに長い時を生きる龍。
張り合おうと思う方が間違っているのかもしれない。
暫しの沈黙のあと、先に折れたのはリーの方だった。
わざとらしく溜息をついてから、己の荷をごそごそと漁る。
「…依頼完了の打ち上げ。つきあってくれるよな?」
鷲掴みで引っ張り出した酒瓶を突きつけると、一瞬の驚きのあと、ウェルトナックの表情に感謝がよぎる。
「……以前言ってたオススメか?」
「そうそう。わざわざ家から持ってきたんだから」
気付かぬ振りをして、リーは酒瓶を置いた。
ウェルトナックへの酒と、ナバルの店で買っておいた菓子を並べる。
待っていたとばかりにリーの膝の上に落ち着くアディーリア。池の縁には子どもたちが並び、時折水中から母龍の手が菓子へと伸びる。アディーリア曰く、母親は恥ずかしがり屋なのだそうだ。
ウェルトナックとフェイと三人で酒を酌み交わしながら、アディーリアに請われるままに何があったかを語る。
主体に呑み込まれた時のことを話すと、不意にアディーリアがぴとりとリーに寄り添った。
「アディーリア?」
「…さっきね、ちょっと気になったの」
身を預けるようにくっついたまま、アディーリアが顔だけを上げる。
「嫌な感じは全然しないし、これくらい近くにいないとわからないくらいなんだけどね」
アディーリア自身も戸惑うように、己の感じるそれを形にしていく。
「何かわからないけど。本当にちょっとだけ、前と違ってるの」
「違ってる?」
「うん。さっきの話を聞いて、だからかなって」
主体の中で意識だけの存在となったこと。確かにあの時は見えぬものが見え、聞こえぬものが聞こえはしたが。もちろん自身に自覚はない。
「…ほかの龍にもエルフにも、なんともなさそうって言われたけど…」
「うん。多分アディーリアがリーの片割れだからわかるくらいの、ほんのちょっとのことなんだと思う」
ぺたりとリーの胸元に両手をつけて、それからこつんと額をつけて。
「リーとは違うけどあったかい何かが、ここにあるみたい」
眉を寄せかけたリーが動きを止め、瞠目した。
まさかと口にしかけ、声にならずに嚥下する。
―――あの時、主体の中にはふたりいた。
意識だけの存在となった自分と。
同じく意識だけの存在となった、エルフの青年が―――。
「リーからの絆を結んだら、もうちょっとはっきりわかるかもしれないけど…」
放心するリーに気付かず続けるアディーリア。
リーの反応がないことを怪訝に思い、顔を上げる。
「リー…?」
戸惑う声で名を呼ぶアディーリアを、無言で抱きしめて。
そうであればと、切に願う。
まだ見ぬままの望む景色。旅歩く自分とともにあれば、いつかは―――。
「……ありがとな…」
あの時返せなかった礼とともに。教えてもらったその名を、リーは心中呟いた。
翌日昼前までそこで過ごしたリーたち。
ウェルトナックと割札代わりの紙の交換も済ませてある。百番案件を受け持つことになったと話すと、何かあればすぐ呼ぶからと、どこか嬉しそうに言われた。
しがみついて離れないアディーリアを宥め、また来るよと約束する。絶対だからねと何度も念を押すその様子に、わかってるからと笑みを返した。
―――ここからはまた、ひとりの請負人として。
フェイとふたり、少し心配もあるけれど。
変な騒動は起こさないでくれよと願いつつ。街道へと戻る道を辿りながら、リーは新たな旅路を思う。
畑を抜け森へと入ってすぐ、思い出したようにフェイがリーを呼び止めた。
「これを渡すのを忘れていた」
無造作に差し出されたのは、真紅の鱗。
「フェイっ?」
慌てるリーに、エリアとティナにも渡しておいたとフェイは笑う。
「俺は人の中で暮らしてきたから、あまり鱗を渡す意味はわからないが。だがおそらくこの気持ちを表すのには、これが一番だと思ってな」
受け取れ、と鱗をリーへと押しつけて。
「これからもよろしくな」
朗らかに告げるフェイ。その満面の笑みと、手元の鱗を見比べて。
上がる口角は、これからへの期待。
「ああ。よろしくな」
笑みを返し、リーは応えた。
読んでいただいてありがとうございました。
『双子のエルフとはぐれ火龍』本編完結となります。
ただ完結といっても、この一作が、であります。
レストアシリーズとしまして続きを書きますので、これからもおつきあいいただけたら嬉しいです。
残る二話は《余話》となりまして。語りきれなかったことの回収と、次の予告です。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
また次作でお会いできたらと思います。




