出逢えただけで
もう諦めました…。
紫三番、宿の一室。
夕食後、涼んでくるとフェイが出かけた。リーはひとりベッドに仰向けに寝転び、ぼんやり天井を見上げる。
気を遣われているのはわかっていた。
あのあとグレイルとデインとともにこっそりと表の一団に戻り、何事なかったかのように残るシングラリアを掃討した。
懸念していた背後からの追撃もなく、人数的有利も保てたおかげか、特に重傷者を出すこともなく作戦は終了となった。
青の二番から敷地内をななめに抜け、ここへ戻ってきたのが昨日のこと。
その直後から今日一日は、報告と事後処理に費やされた。
本部から受けた報告によると、あの石はミオライト村へと戻されず、不都合がない限りは組織本部の管理下に置かれることになったという。
まだ調査を進めたいというのも建前ではないだろうが、あちらに任せるのは心許ないというのもあるのだろう。
そしてまだ各地にシングラリアは残っている。主体がいない今、遠方で倒した後に靄がどこへ向かうのかもまだ未確認だった。
出撃前の検証では、主体との直線上から大きく外れさえしなければ石へと吸収されたので、仮定としては石へと集まる。
新たな主体が出なければね、とはミゼットの言葉。
リーも暫くここで待機し、状況を見ることになった。
リーからは主体に取り込まれていた間についての報告。
マルクに片割れについて話してもいいかの確認をしてから、自身が中で体験したすべてを話した。
肉体を失った状況であるからこそシングラリアを斬っても中のものは傷つかず。しかしその身体は情報として残っていて、倒したあとは吸収されず異物として遺されるのではないかということになった。
もちろん仕組みなどわかるはずもなく、何を言っても推論の域を出ないのだが。
そして。
朱金の髪のエルフの亡骸は、故郷を探して送られることになった。
組織として責任を持つと言ってくれたレジストに、リーはひとつだけ願う。
エルフとしての家の名でも村の名でもない、ただ彼の個人としての名だけ教えてほしい、と。
約束したから、と呟くリーに、レジストは頷いてくれた。
発動準備の済んだ魔法の前に飛び出したことは、正直罰則ものの失態ではあるが、理由を話すと不問にしてもらえた。
主体自らリーを引き出したことといい、腕が止まったことといい。もしかするとあのエルフのお陰なのかもしれないな、と少し控えめに零すレジストの言葉に、リーは頷くことができなかった。
龍には組織から連絡がいったらしい。
昨日ここへと戻ってきて暫くで、アディーリアの感情が大きく動いた。安堵よりも心配の勝るそれが自分に向けられたものであることは明白で、こちらから大丈夫だと返せないことを申し訳なく思う。
しかしその一方、今この心境がアディーリアへと届かなくてよかったとも思っていた。
―――割り切れては、いるつもりなのだ。
請負人である以上、何かしらの生き死にに関わることなど当たり前のことであり、それにいちいち揺れていては身が持たない。
ただ。そう、ただ。
一度に色々と、ありすぎただけ。
自分はあのエルフの青年に助けられた。
しかし自分は、彼の葛藤に対して一体何を返せたというのだろう。
加えて、最後にかけられたレジストの言葉も尾を引いていた。
これから自分が百番案件を担当するにあたり、やはり内輪に味方が必要だと言われたのだ。
レジストにとってのグレイルたちのように、事情を知り協力してもらえる信頼に足る相手。
心当たりはないかと聞かれてすぐに浮かんだその名を、レジストに告げることができなかった。
すべて話してしまえればと思う反面、巻き込むことへの抵抗があり。
間違いなく相手のこの先ずっとを縛る選択。安易に口にはできなかった。
コンコン、と控えめに扉が叩かれる。
フェイならそのまま入ってくるはず。自分の様子に気付いていてもギリギリまで口は出さないだろうから、アーキスでもない。誰だろうかと思いながら、リーはベッドから起き上がった。
「何か?」
「リー、私…」
扉越しの問いに返ってきた声に、リーは慌てて扉を開ける。
「ラミエ?」
食堂の制服のままのラミエが、少し困ったような顔をしてそこに立っていた。
まだ食堂は開いている時間なのにと驚いていると、ラミエは少し視線を落としてごめんねと呟く。
「フェイが店にまた来てたから。…ちょっとリーと話したくて…」
目立つから入っていいかと聞かれ、気付かずごめんと言いつつ招き入れる。
「ごめんね、突然」
ぱさりとフードを外し、ラミエがリーを見た。
「心配で」
ギルドの職員でもあるラミエは、おそらく何があったかを聞いているのだろう。面と向かって心配だと言われて苦笑する。
「…大丈夫だって」
「嘘ばっかり」
金の髪を揺らし、少し笑うラミエ。
「戻ってきてからずっと、考え込んでる顔してるよ」
身長がそう変わらないせいでまっすぐ正面から覗き込んで断言され、リーは返答に困り口を閉ざした。
胸の前で両手を重ねてじっとリーを見つめるラミエが、ゆっくりと言葉を選びながら続ける。
「…エルフの子が、いたんだってね」
チリ、と胸に僅かな痛みを感じる。
なんの話をされるかはわかっていた。
おそらく自分が何を気にしているのかも気付かれているのだろう。
情けないことは言いたくなかった。
自分は請負人なのだから、自分自身で持ち直すべきだと思っていた。
しかし目の前、どこまでも自分を心配するだけの青い瞳。
突っぱねることができなかった。
「……俺はほかと違うって、そいつにも言われたんだけどさ」
ぽつりと呟くと、ラミエは小さく頷いた。
やはりラミエにもそう思われていたのかと、今更ながら知る。
「でも、だからって俺には何もできなかった」
「そんなことないと思うよ」
自嘲気味の声に被せるように、ラミエが言い切った。
瞠目するリーに、ふっと微笑む。
「私がこんなこと言ってもリーの気持ちは軽くならないかもしれないけど。私にも、その子の気持ちはわかるから」
父の仕事のこともあり、比較的早くから人の中で生活するようになった。
組織の職員たちは龍やエルフに慣れた者が多く、若い自分を子どものようにかわいがってくれるだけで、特に何も思わなかった。
向けられる視線と取られる態度の奇妙さに気付いたのは、食堂に派遣されてから。
もちろん全員ではない、それでも。
一部の請負人たちの熱に浮かされたようなその眼差しが、自分自身を見ていないことを知った。
食堂での自分を創り上げ、人から距離を取ることで己を保つ。
どちらが自分かわからなくなってきた、そんな頃。
ひとりの少年に、出逢ったのだ。
「きっとね、その子はリーが普通にしてくれるだけで嬉しかったんだよ」
面影を残しながらも幾分成長したその顔には、驚きが張りついたままで。
自覚などないことに、嬉しくもおかしくなる。
そんなところに救われたのだと言っても、きっと本人には伝わりきらないのだろうけど。
「その子として接してもらえるだけで嬉しかったんだよ」
一歩、踏み出して。
突っ立つリーの右手を両手で包み込む。
「私も一緒。リーが私に普通にしてくれるのが、ものすごく嬉しい」
惚けるその顔に、ラミエは極上の笑みを見せた。
自分の手を包む両手は温かくも柔らかく。
艶やかな髪、潤む青い瞳。滑らかな白い肌に普段より紅潮する頬が更に映え。
ただでさえ端麗な容姿、その彼女の心からの微笑みに、リーは息を呑み視線を逸らした。
どうにも気恥ずかしく、向けられる眼差しを受け止められない。
「リーと出逢えて嬉しいって。出逢えただけで嬉しいって。その子の代わりに私が言うよ」
うろたえるリーを気にした様子もなく、きゅっと手を握りしめて訴えてくるラミエ。
「だから、何もできなかっただなんて言わないで」
目を逸らしてみても、渡される言葉は甘く響き。
励ましてくれているのだろうそれも、どうしてもその存在に意識を持っていかれている現状では意味が理解できないままで。
「わ、わかったからさ…。だからその……」
我ながら、情けないとは思うのだが。
「…もう、手、放して……」
正直、限界だった。
小池はラミエに敗北しました。
ええいっ! もう好きにやれぃっ!!
あと数話。
もうしばらく、お付き合いくださいね。




