約束
閉じた目にすら明るさを感じながら、リーはゆっくりと瞼を開く。
まだ眩しいと感じる視界、赤髪のエルフが映り込んだ。
「リー!」
かけられた声にエリアを見、そのうしろにティナとフェイの姿を見つける。確かめるように手を動かしてみると、重だるい身体ながら、それでも持ち上げた手はちゃんと目に映った。
(……俺…?)
もう身体は失ってしまったのではなかったのか。
否、それ以前に。
「…出て……?」
「まだ急に動かないで」
すぐ傍でミゼットの声がした。
「ゆっくりでいいから。自分の状態を確認して」
視線を巡らせると、エリアと反対側にミゼットの姿を見つけた。幾分よくなった顔色で、ほっとしたように笑んでいる。
まだ混濁する頭で、言われた通り己の状態を確認するリー。
痛むところはない。少しだるさを感じるものの、寝転んだ体勢ながら確かめた限りでは身体も思うように動く。
はっきりしないのは頭の方で。
主体に呑み込まれ、アディーリアの声に我に返り、そこで―――。
がばりと跳ね起きる。
慌てて音の聞こえる方を見ると、レジストとグレイル、そして見知らぬもうひとりが主体と戦っていた。
「リー??」
ミゼットの声を置き去りに、傍らにあった己の剣を掴んで走り出す。
喚き散らすように声を上げる主体は、闇雲に腕を振り回し、三人に向かっていた。
「組織長!!」
三人はリーをちらりと一瞥しただけだった。戦いながらのレジストが、必要ないと返す。
「いい、休んで―――」
「まだ意識があるんですっ!! 間に合うかもっっ」
誰の、とは言わなかったが、わかってくれたことはその表情から読み取れて。
「上げるぞ」
「おう」
「りょーかい」
短く告げたレジストに、グレイルともうひとり―――デインが応える。
「任せろ」
レジストが、リーへと返した。
グレイルの大剣が地面を擦りそうなほどの低空から跳ね上がる。右脚から腹部を経て左肩、一直線に斬り上げたところを、レジストがその下を潜るように真横に払い。振り下ろされそうな右腕を剣で受け止め、デインは払いがてらその腕を落とす。
目まぐるしく立ち位置を変えながらも、身体も剣もぶつかることがない。おそらくデインもふたりと同期、勝手知ったる相手なのだろう。
自分が入ると足手まといにしかならないことを自覚し、リーはその場で剣と拳を握り立ち尽くす。
間に合えと、ただそれだけを。
心から願う。
「アァアアアァァアァッッ」
時折叫び、動きを止める主体。
頭部に開いた口らしきものから聞こえるわりに、喉元を貫かれてもその声に変わりはなく。
「ァアアァァアァアアァッッッ」
ただ、吼える。
喉から剣を抜き、斬り重ねるレジスト。グレイルとデインも同様に、足を削り腕を削りと手を休める様子はない。
「アァァアアアァアァア―――」
ティナがはっと主体を見た。
「…魔力が……」
その呟きに、エリアとミゼットが主体を見やる。
「―――アアァアァアアァァァッッ」
「レジスト!! 魔法警戒っ! ぶつけるわよ!」
言い捨て呟き始めたミゼットに、ふたりのエルフも言葉を刻み始めた。
魔法は魔力を言葉に乗せることで構成し、合図によって発動する。
基本的に複雑になるほど刻むべき言葉も乗せるべき魔力も増え、発動まで保つことにも集中を要する。
普通ならあんな喚き声で構成できるようなものではない。
しかし、ティナの言うように、あの声に魔力が乗せられているのも事実なのだ。
急ぎ魔法を構築しながら、ミゼットは主体の動きを凝視する。
あの様子ではさほど複雑な魔法ではないだろうと踏むが、それでも込められ続ける魔力の量からすると侮れず。どうにか自分たちの魔法をぶつけて威力を落とすしかない。
レジストたちが主体から距離を取る。突っ立つリーもグレイルに抱え込まれ引き離された。
主体の声はそこで途切れたまま。
構成された魔法はただ発動を待つ。
手を上げかけた主体の腕が、中途に止まった。
今のうちに、と。聞こえた気がした。
「あっ! おいっ!!」
グレイルを振り切りリーが駆け出す。
小柄なリーは普通に立っても主体の半分ほど。腰の位置まで上げられた主体の両腕の下に入り、剣先で半弧を描き両断する。剣を引きながら振り返り、そのまま首めがけて振り下ろした。
音もなく転がった両手と頭が崩れ、靄となる。
「っにやって……!!」
駆け込んだレジストがリーの腕を掴んで引き戻す一方、主体の頭と腕が再生を始めた。
「ミゼット!」
邪魔になっていないかとレジストが問う声に。
「……解けた…」
半ば呆然と、ミゼットが呟いた。
魔法が不発に終われば、乗せた魔力は消え失せる。
主体―――シングラリアにとってもそれは同じ。
「一気にいくぞっ」
この間にとばかりに畳みかけるレジストたち。
見守るだけのリーの下へ、ミゼットが近付いた。
「褒められたものではないわね」
厳しいその声音に、リーはただ頷く。
いつ魔法が撃たれるかわからぬその前に身を置くなどただの自殺行為。しかもこの場合、もしミゼットが撃つのをためらえば全滅の危機すらあったのだ。
しかし。
「すみませんでした。…でも、言い訳はしません」
自分にも理解できない動機を人に話せるはずもなく。
「理由もなく動いたの?」
まだ少し強いミゼットの声に、頷きも首を振りもせず。
「…ただ、行くべきだと思ったんです」
あの時の感情を、そのまま答えた。
暫くリーを見ていたミゼットは、やがてふぅっと息をつく。
「まぁ、詳しいことはあとで聞くわ」
「すみません」
重ねて謝るリーに、反省しなさいね、と笑ってから。
「助かったわ。ありがとう」
同じ表情のまま、ミゼットが告げた。
エリアが持つ箱の中、石が漆黒に染まった頃。
どさりと主体が倒れた。
残る靄が一気に石に注ぎ込む。
駆け寄り座り込むリーの前、解けきった主体のあとには朱金の髪のエルフの青年が残されていた。
「おいっ!! しっかりしろっ!」
虚ろながら開く杏色の瞳に、青年の手を握りしめて必死にリーが声をかける。
「もう大丈夫だから! 出れたから!!」
かけられた声にも応えず、握られた手を握り返すこともなく。青年はただ少し瞳を細めた。
「ありがとう、おかげで助かった。中で約束しただろ?」
すぐ閉じられた瞳から一筋涙が伝い落ち、そして。
「出たら名前をって―――」
そのまま、事切れた。




