調査
木漏れ日に輝く鱗。纏う色の違う三匹に、リーはこれからの苦行のことも忘れて見入る。
木々の中では一際目立つ火龍のフェイ。山頂で見るより全体的に少し濃く見える赤は、その分日差しを孕むと鮮やかに浮かぶ。
性別の差か個体差か、ネイエフィールより一回り以上大きな体躯のトマル。地龍の鱗は茶色だというが、光を受けるその鱗は磨かれた銅のような光沢を放ち、同じ色の中にいても明確にその存在を示している。
そして、マルクは風龍であった。
人を乗せるためだろう、本来の姿ではなく火龍や地龍と同じ姿だが、纏う鱗は輝く白。日差しが届かぬ場所でさえ、光を内包するように白銀に煌めく。
普通ならまず目にすることなどないその光景に、リーは言葉もなく立ち尽くす。
もちろん畏怖はある。
しかし差し込む光を受けて返される光彩は、それすら軽く凌駕して。
本当に、龍はきれいだと。感慨深く独りごちる。
「あなたはこっちよ」
うしろからかけられた声に我に返り、リーは慌ててミゼットのあとを追った。
おそらくここは龍が飛び立つために用意された場所なのだろう。目隠しのように木々が立ち並ぶ真ん中は、巨体の邪魔にならぬ程度にまばらになっていた。
マルクの前まで来たミゼットは、リーを振り返り微笑む。
「私が一緒に乗るわね。この機会に少し話したいこともあるし」
「……いや俺、多分聞く余裕は………」
モゴモゴと呟いてから、リーはマルクの背を見る。それからトマル、フェイへと視線を移し、再びマルクに戻した。
トマルはそのままだったが、フェイはロープをかけていた。落としかけたことも理由だろうが、乗せることも乗ることも慣れていない互いのためでもあるのだろう。
目の前のマルクには、もちろんロープはかかっていない。
「ロープは…」
「必要ない」
みなまで言う前に断られる。
「でもどこに……」
鱗に覆われたこの体のどこに掴まれというのだろうか。
困り果てて呟くリーに、呆れたようにマルクが返す。
「掴まらなくても落とすようなヘマはしない。普通に座ってろ」
「無理です」
即答で否定するが、大丈夫だと笑われただけだった。
「大丈夫よぉ。私が捕まえといてあげるから」
余裕たっぷりのミゼットにそう言われたところで安心できるわけもなく。
(……帰りたい…………)
いっそのこと気絶でもさせて連れていってくれればと願いながら、リーはどうにか現実から目を逸らす術はないかと模索した。
視覚阻害と認識阻害、ともにかけてからの出発となった。
「じゃあ行くぞ」
どこか楽しそうなマルクの声と同時に、ぐっと身体に重さがかかる。
掴めぬ背にそれでもしがみつき、絶対に前は見ないとの信念の元うつむくが、それでも当たる風と視界の端で流れる景色はとても平常のものとは思えない。
目を閉じれば他の感覚が増す上に安定は薄れ、かといって顔を上げる余裕はなく。
「少し先を見てる方がぐらつかないわよぉ」
気持ちよさそうに風を浴びながらのミゼットの声に、できるものならやってると答えることすらままならない。
物心ついた頃から高いところが苦手だった。
昔は喜んでたのにね、とシエラは言うが、実は一度落とされかけたことがあるとジークから聞いていた。本人には言わないが、絶対にそのせいだと内心思っている。
トマルには迷惑をかけたが、養成所時代にアーキスに付き合ってもらって特訓したおかげで少しはましになったものの、こんな高さは想定外だ。
何かを考えて気を紛らわせたいが、それすらできず。己の状況を考えないようにするだけで精一杯。
ここは空の上なんかじゃない。
自分は飛んでなんかいない。
逆効果でしかなさそうな呟きをひたすら繰り返しながら、リーはただただ到着を待った。
自分の前で呪詛のように何やら呟いているリーに、ミゼットがうふふと笑う。
「副長は飛ぶの上手だから、そんなに緊張しなくても大丈夫よぉ」
風龍は龍の中では一番安定して飛ぶことができる。もちろんリーがそれを知るはずもないが、ミゼットの言葉に口を噤んだ。
「せっかくの機会だし、話しておきたいことがあるの。返事はしなくっていいから、聞いてくれる?」
うつむいたままの頭が小さく動いたのを見て、ありがとうとミゼットが返した。
「あなたは龍にとっても特別だけど、エルフから見ても変わってるのよねぇ」
意識をせずとも人を絆すエルフ。反応は人によりだが、そこにあるのは種としての条件反射のようなもので、心からの行為ではない。
しかしもちろん、龍には効かない。
龍に近しい愛子もまた、同様に。
リーは今この世で唯一、エルフに絆されない人であるのだ。
「大人はともかく。若い女の子を相手にする時は気をつけた方がいいわよぉ」
なんのことだと思っているだろうと、顔を見ずともわかるのだが。
既に前科者なのだから。自覚してもらわねば困る。
人の中に生きるエルフは、数多の人の厚意―――もしくは好意に晒されていて。
そしてそれが個人ではなく種へと向けられたものだということに、迷い悩む者もいるのだと。
その中の、異質な存在。
見出す意味も、エルフにより様々、なのではあろうが。
「まぁ、手遅れな分は責任取ってあげてって言いたいけど。そうなるとまた問題がねぇ…」
もはや背中にまで疑問符が見えそうなリーに笑いながら。
お願いね、と小さく告げた。
一行が本部に戻ってきたのはすっかり日が落ちてからだった。
ずるりとマルクの背から降り、その場に座り込むリー。
生きた心地がしなかった。
やっと地上に戻れたのだと、這いつくばって泣きたいくらいの安堵感から動けない。
「助かったわぁ」
手慣れた様子で荷物を下ろしたミゼットが、お疲れ様、とリーを覗き込む。
「思ったより遅くなっちゃったけど、おかげで今のところ知りたいことは知れたわ」
満足そうに微笑むミゼット。
「ここからは私たちの仕事。任せておいて」
「何かあれば呼び出すが、どちらにしても昼以降だ。ゆっくり休め」
人の姿になったマルクがそう告げる。
「協力感謝する」
じゃあおやすみー、と呑気なエリアの声を残して一行は本部へと戻り。
へたり込むリーと傍らに立つフェイ、苦笑するしかないトマルが場に残される。
「……ま、昼までゆっくり休め」
ぼそりと呟くトマルを見上げて、リーはただ深い溜息をつくしかなかった。
少々時間を必要としたが、なんとか立ち直ったリー。待ってくれていたトマルに礼を言い、宿へと戻った。
「ああ、おつかれさん」
遅くなった詫びを迎えてくれた宿の主人に告げると、本部から聞いていると教えてくれた。
「腹は? スープでいいなら湯を使ってる間に温めとくぞ?」
「えっ?」
続けられた言葉に、リーは驚き主人を見る。
合間に携帯食を少し食べただけなので、正直腹は減っていた。
結構遅い時間であるのに嫌そうな顔もせずに申し出てくれた主人に、いいならぜひ、と素直に告げる。
言葉に甘えて湯浴みを済ませ、その間に用意されていた食事を受け取った。
トレイには、ふたり分の湯気の立つスープにパンとお茶。
「ありがとうございます!」
礼を言うリーに、主人は笑う。
「礼なら俺じゃなくラミエに言ってやってくれ」
「ラミエに?」
「食堂はもう閉めちまってるから、困るんじゃないかって言って置いてったんだ」
教えてくれた主人に再度の礼を述べ、部屋に戻る。
本当は必要がないとわかっているのにちゃんとフェイの分まで用意してくれていたことに感謝をしながら、互いの前にひとつずつ置いた。
死ぬ思いをしたが、その分ラミエと主人の気遣いが身に沁みる。
スープに込められた厚意に少し頬を緩め。
その温かさに、息をついた。




