再会は来襲の陰で
面会室でひとり、リーは待っていた。
シングラリアを消し去ったのは、以前見たティナの魔法だった。
姿が見えなかった理由はわからないが、シングラリアに追われていたのは間違いなくフェイたちなのだろう。
あのあと呆然とする自分をアーキスが引き戻してくれた。
もう一度受付に行くと言うと、食堂の支払いは貸しにしとくよ、と笑って返される。
何かあったことには気付いているだろうに、アーキスは何も聞かずに送り出してくれた。
本当にできた友人だと思いながら。
ただ、時を待つ。
どのくらい待ったのか。ようやく叩かれた扉にリーは立ち上がる。
扉が開き、トマルが顔を出した。
「遅くなって悪かったな」
謝るトマルに続いて入ってきた赤髪の青年に、リーはほっと胸をなでおろす。
「無事で…」
零れた言葉にフェイが笑った。
「そうだな。無事だ」
返された言葉は柔らかく、心配をかけたことへの詫びが滲む。
「あいつらは?」
「ティナが昏倒してまだ気付かないから、エリアがついてる。ふたりとも手を擦りむいてるが、大きな怪我はない」
「そっか」
安堵の表情を見せるリーに、フェイが視線を落とした。
「すまない。危険な目に遭わせた」
「フェイのせいじゃないだろ」
「少なくとも怪我をしたのは俺が注意を欠いたせいだ」
「擦りむいただけなんだろ」
「落とすところだった」
瞠目して固まったリーに、フェイは申し訳なさそうに続ける。
「…掴まるところがないと言われてかけていたロープがなければ、落としていた」
それがどういう結果に繋がるのかなど、考えるまでもなく。
目の前、大きな身体で縮こまるフェイも、それを悔いているのだろう。
切り替えるように息を吐き、リーは強ばっていた表情を和らげた。
「……でも。落とさなかったから無事なんだろ」
確かに命に関わったのかもしれない。しかしそれでも、全員こうして戻ってきたのだから。
「だから。よかったよ」
今はただ、無事を喜んだ。
「ちと厄介なことになっててな」
少し落ち着いたフェイから何があったのかを一通り聞いたところで、今まで黙っていたトマルが口を開いた。
「厄介って……」
思わずフェイを見るが、知らぬと首を振られる。
「あのエルフの嬢ちゃんたちが探してたもの、リーはなんだか知っていたか?」
「探してたもの?」
以前に聞いたら訳のわからない答えが返ってきたので、それ以来聞いたことがなかった。
「なんかひゅ〜やらなんやら言ってたけど。何、とは聞いてない」
「あの靄らしい」
トマル自身の焦りを表すかのように、間も置かず告げられた言葉に。
「……は?」
己の口から洩れた呟きにも気付かず、リーはぽかんとトマルを見返す。
暫しの沈黙のあと、考えるように目を伏せたものの、動揺も露にすぐ視線を上げた。
「…ごめん、意味が……」
「ああ。俺もわからん」
苦笑を見せ、トマルも首を振る。
「嬢ちゃんたちが持っていた石に、シングラリアの靄が吸い込まれていったらしい。その石の中に入っていたものを探していると言ってたんだ」
「石?」
確かにふたりは石を取りに行っていたが、自分の魔力を溜めるためのもののはずだ。それがどうしてシングラリアの靄を集めるものになるのか。
何がどうなっているのかわからず。リーはとりあえず石のことは一旦置くことにする。
「で、ふたりはどうなるんだ?」
「ふたりともから話を聞くまで外に出すわけにはいかなくなった。まぁ、セインがついてくれてるから心配するな」
組織を疑うわけではないが、セインなら酷い扱いはさせないだろうと安心する。
向き合うトマルの口角が上がったことで安堵の表情に気付かれたことを悟り、リーは慌てて視線を逸らした。
「それが終わるまでは会えねぇだろうが。何か伝えることはあるか?」
少しからかうようなその声に苦笑を返す。
今はまだ何がなんだかわからないが、色々大変だったことは間違いないだろうから。
戻ってきた暁には、労いがてら甘いものでも食べさせてやろうかと思いつつ。
「…無事だったならいいよ」
迎える言葉は、まだ取っておくことにした。
宿場町へ戻る頃にはもうすっかり夜も更けていた。おそらくと思いフェイとふたりで食堂へ行くと、中には案の定アーキスとギルの姿があった。
「リー!」
ほっとした表情のアーキスに、やはり心配をかけていたのだと再認する。
「色々ありがとな、アーキス。もう片付いたから」
請負人同士、説明できないことがあるとアーキスもわかってくれているのだろう。それならよかったと頷くだけで詳しく聞いてくることはなかった。
「ギルも。戻ってたんだな」
「ああ。急に悪かった」
同じくこちらへも余計なことは聞かない。代わりにふたりの前へとフェイを引っ張り出した。
「話してた連れ。さっき戻ってきたんだ」
立ち尽くすフェイに、名乗って、と促す。
「…フェイ、という」
「俺はアーキス」
「ギルだ」
名乗り合うのを待ってから、ちょっと行ってくる、とその場を離れたリー。
奥から少し心配そうな顔で見ていたラミエに近付き、大丈夫だからと伝える。
「あのふたり、本部にいるから。セイン先生がついてくれてるって」
「そう、父さんが…」
フェイが龍だと紹介したわけではないが、エルフであるラミエは気付いているはずで。なのでおそらく、今朝三人で出発したことも知っていたのだろう。
「夕食、残してごめんな」
よかったと笑みを見せるラミエに謝ると、大丈夫と首を振られた。
「いいって言ったんだけど、君のお友達が食べてくれたよ」
「アーキスが?」
「うん。せっかく作ってもらったんだからって、そう言って」
「そっか」
さらりとそういう気遣いをするのがアーキスという男で。自分も何度も助けられたなと思い出す。
「とにかく。ごめんな」
「いいよ。また来てくれたらそれで」
微笑むラミエに礼を言って、リーは席に戻った。
人当たりのいいアーキスと物腰の穏やかなギルならば大丈夫だろうと思ってはいたが、落ち着いた様子のフェイに安堵する。
何話してたんだ、と輪に加わり、リーも暫しの楽しい時を過ごした。
皆で宿に引き上げ、各自部屋に戻る。
寝支度をして暫く、一度ベッドに横になったフェイが起き上がった。
「…フェイ?」
微睡みかけたところを起こされ、名を呼ぶリー。
「悪い、起こしたか。少し出てくるから寝ててくれ」
「どこ……」
「涼んでくる。すぐ戻るから」
欠伸をしながら気を付けてと告げるリーにおやすみと返し、フェイは部屋を出た。そのまま外には出ず、宿内を進む。
目的の部屋の前で立ち止まると、扉を叩く前にどうぞと言われた。こちらも気配がわかるのだ。向こうだってわかるのが道理。
自分が訪れることは読まれていたのだろう。鍵のかかっていない扉を開け、中へと入る。
殺風景なひとり部屋の借り主は、フェイを見てその金の目を細めた。
「大きくなったな、エルトジェフ」
フェイを龍の名で呼び笑うのは、リーの同期のギルだった。
「ギルスレイド…」
「今はギルだ。俺がとっくに龍でないことは、お前だって知ってるだろう?」
その笑みには自嘲も辛苦もなく。ただの事実としてギルは告げる。
「どれくらい振りだ? まさかこんなところで会うとは思わなかったぞ」
「それは俺も…」
ウェルトナックとともに人の世を歩いていた頃。ウェルトナックの旧知である、龍でも人でもない姿を持つこの男に出会った。
人の身体の所々にくすんだ金の鱗を纏うその男は、贖罪の途中なのだと笑っていた。
「これからお前がリーに同行するなら、また顔を合わせる機会もあるだろうな」
穏やかな表情で語るギルから、フェイは逸らすように瞳を伏せる。
「……請負人になったんだな」
「ああ。もう共同生活をしてもばれぬ程度に減ったからな」
時とともに剥がれ落ちていくという鱗。それが何を示すのか、フェイにもわかっていた。
「…だからギルと?」
「最期くらい、と思ってな」
静かに告げるその声音には、後悔も未練もない。ただ来るべくして来るものを受け入れるだけなのだろう。
自分よりも遥かに長い時を生きてきたギルスレイド。その心が至る境地は、今の自分にはわからない。
だから、今は。
「…俺のこと知らせてくれたって、チェドラームトから」
敷地内に落ちてしまった自分たちにすぐ対応してもらえたのは、早い時点でギルから状況を聞いていたからだと教えられた。
「知らせずともすぐ気付いただろうが。少しでも早い方がいいかと思ってな」
微笑むギルを、今度こそ正面から見つめて。
「おかげで大きな騒ぎにはならなかった。ありがとう」
ただ、心からの礼を述べた。




