龍足らぬ龍と人ならぬ人
テーブルと椅子だけの殺風景な部屋で向かい合って座り、トマルは呆れた笑みを見せる。
「久しいな、エルトジェフ」
龍の名で呼ばれ、フェイは少し居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
「ずっと引き籠もりやがって。ウェルトナックが心配してたぞ?」
会ってきたのかと尋ねられ、うつむき頷く。
そうかと頷くトマルはどこか嬉しそうで。
自分が眼と耳を塞いでいる間にも心配をかけていたのだと知った。
「ここ最近はウェルトナックの声も聞こえていただろう?」
「……それで目が覚めた。会合のことは気付いてなかった」
龍の伝達は個から種へのもの。相手を選ぶことはできず、皆へと伝わる。
ウェルトナックの声で眠りから覚めたものの、状況がわからず。どうすればと迷ううちに、リーが来たのだ。
「チェドラームトはずっとここに?」
「ああ。年を取りここを去って、また別人としてここへ来てを繰り返しとるよ」
「そうか、ならここに来ればよかった」
小さな呟きに少し後悔が混ざる。
この百年、待つだけではなく。己を知る人を頼ればよかった。
落ち込む様子のフェイの頭に手を伸ばし、トマルは少し強めに撫でる。
「わからんでもないが。ここへ籠もるにもお前はまだ早い」
向ける眼差しは見守るもののそれで。
「人の世に生きるなら尚の事。お前はもっと、龍も人も知らねばならん」
幼い頃から人の世に暮らしていたため龍として生きるには足らず、龍とともに歩いてきたため人に紛れるには過ぎて。
幼さゆえと言われればそれまでだが、目の前の楽しさ、刹那の興奮に溺れ、ウェルトナックや出会う龍や人の言葉を取り零してきた。
その結果の今の自分なのだと、これでも自覚はしている。
そんな自分に訪れた転機。
動くべきだと、本能が告げていた。
「…だからこそ。また旅に出たいんだ」
トマルを見返し、迷いのない声でフェイが訴える。
「あいつとなら。なんとかなる気がするから」
根拠はない。しかし確信はある。
言い切るフェイ。嘆息するトマルだが、呆れたような色はなく。
「……人に紛れてもお前は龍だ。それを忘れるな」
「わかっている」
すぐに返されたその声に、表情を和らげ頷いた。
請負人に同行する際の注意をフェイに伝え、それにしても、とトマルが笑う。
「早い時期に愛子に出会えてよかったな」
「愛子?」
聞き慣れない言葉を繰り返すフェイ。怪訝そうなその様子に、トマルも肩をすくめる。
「リーのことだ。ウェルトナックから聞いてないのか?」
「リー?」
ますます眉をしかめるフェイに、そこからか、とトマルが苦笑する。
―――龍の愛子。
人として生まれながら、龍に近しい者。龍の生まれ変わりとも、龍の魂を持つともいわれる。
真実か否かは問題ではない。
ただその者は決して龍に害を与えることはないこと。
出会う龍との繋がりを得ること。
黄金龍の片割れとなること。
長く生きる龍にも、わかっていることはそれくらいだ。
「だからか…」
リーを見て妙だと感じ、離れてからも探すことができた。
理由などなくその存在を受け入れることができるような。そんな感覚。
「関わる龍にも幸運をもたらすというからな」
どこまで本当かはわからないが、とトマルは言うが。
おそらくそれこそが、ウェルトナックが自分の下へリーを寄越した本当の理由だろう。
「ま、リーには黙っててやってくれ。あいつのことだ、全部『愛子』だから、と取りかねん」
意外と小心者なんだと軽く笑うその声は言葉に反し慈愛に満ち、思い出すように細められる目はどこか楽しげで。
「チェドラームトはリーのことをよく知ってるんだな」
少し羨ましく思いながら、フェイが尋ねる。
「あいつがここにいたのは二年間だったが、退屈はしなかったな」
「二年…」
たったそれだけで、と思う。
「…俺も……」
自分もともに歩けば、ただ時を過ごしただけのこの百年とは違う日々を送ることができるだろうか。
呑み込んだ言葉は気取られていたようで。やってみろ、と笑われる。
「お前は龍としてはまだ若い。自分の生き方をゆっくり探せばいい」
リーを見るものと同じ見守る眼差しを向け、トマルは告げた。
フェイと双子がそれぞれ話を聞いて食堂に戻ってきたのは夜になってからだった。
「ほひはえふ、うらひほほるほろひひはほ」
「食ってから喋れっ」
口いっぱい頬張ってのエリアの言葉にそう言い捨て、リーはフェイを見る。
「で、フェイは本当に俺と来るつもりなのか?」
「そういっただろう?」
握りしめたグラスを傾け口をつける。
何も食べなくていいとフェイは言ったが、ひとりだけ飲まず食わずも何かと思い、リーは自分と同じ酒を頼んでやった。ちびちび飲むその様子に、どうやら気に入ったようだと内心思う。
「ちゃんと注意も聞いてきた。リーの仕事の邪魔はしない」
「しないってもさ…」
もちろん手伝われても困るのだが、突っ立っていられるのも困る。
「見殺しにもしないから安心しろ」
いざとなったら助けてやる、と笑われるが。
「助けはいらない。ほかに誰かいたらそっちを頼むよ」
自分は請負人なのだから、自分で責任を取るつもりだった。
驚きもせずリーを見返したフェイは、頷かないまま酒を飲む。
応えるつもりのなさそうなフェイに息をつき、果実水を飲むエリアへと視線を戻した。
「で、なんだって?」
「何って?」
「さっきなんか言っただろ」
「え? あたしなんて言ってた?」
「わかんねぇから聞いてんだろうがっ!」
怒鳴ったところで、うしろから明るい笑い声が近付いてきた。
「楽しそうにやってるね」
客の視線を引き連れて、追加の食事を運んできたラミエ。テーブルに皿を並べると、すっとリーに顔を寄せる。
「妬けちゃうんだから」
「あのな…」
囁くにしては大きな声での呟きに苦笑を返す。ラミエはくすりと笑って空いた皿を集め、どよめきの中厨房へと戻っていった。
あとに残る、突き刺さる視線。
ただでさえエルフをふたり連れている時点で目立つのだ。これ以上余計な波風を立ててほしくはないのだが。
「……上手く利用されたな」
グラスに口をつけたまま、ぼそりとフェイが呟いた。
「……お前ら、本当にあれだけでよかったのか?」
宿へと戻る道すがら、お腹いっぱい、と満足そうなふたりに思わず尋ねる。
「どう見てもいつもより少なかったぞ?」
「ラミエにね、これ借りたの」
エリアとティナが服の中からひとつずつ出してきたのは、セインが持っていたのと同じ紫色の石。
「少しは足しになるだろうから、取りに行く間持ってていいって」
どうやら自分の分を渡してくれていたらしい。
「だから村に取りに戻って、またここに返しに来ることにしたの」
きゅっと石を握りしめ、エリアが微笑んだ。
「そのあとは探し物の続きをするから。リーとはここでお別れだね」
「…そうだな」
報酬も、本部に行ったついでに受け取ったと聞いた。
もう自分の同行する理由はない。
「こんなところまで連れてきて悪かったな」
ともに来るのは渋々だったが、助けられたこともあった。
今は前ほど嫌ではない自分がいるのも、また事実で。
「楽しかったよ。ね、ティナ」
いつもより穏やかな笑みのエリアに、こくりとティナも頷く。
「なんの話だ?」
怪訝そうに見下ろすフェイに、ふたりのことを話していないと気付いた。
宿でフェイとのふたり部屋を借り、そこでここまでの事情を話す。
聞き終えたフェイは、そうかと軽く頷いた。
「俺が連れていこうか?」




