百番
紫と三番の各街道が交わる場所に宿屋と併設の食堂、面会所や待機所が並ぶ。
そしてユシェイグ側の一角にある建物が、請負人組織の受付だった。
請負人たちには年に一回の本部帰還が義務付けられている。年に二回、五十日ずつの猶予期間中に手続きをすれば、前年の報酬を受け取れる。もちろん手数料や借金などは引かれたあとだ。
その際には結構な人数が訪れることもあり、受付のロビーはかなりの広さになっている。尤も期間中ではない今は、いくつも並ぶ中のうち入って正面のカウンターにふたり女性が座るのみだった。
「ん?」
カウンターの横に、場違いな作業着姿の初老の男が立っていることに気付き、リーは声を洩らす。
男がそこにいるということにではない。そこにいる男の顔に、リーはぱちくりと瞬きをした。
「トマルさん?」
「お〜。久し振りだなぁ」
声を上げたリーに、ニカッと笑ってトマルが手を上げる。
トマルはユシェイグ一帯の植物を手入れしている庭師で、養成所時代に知り合った。広い敷地内であるゆえに神出鬼没のトマルだが、まさか今日ここで会えるとは思わず、リーは驚いて駆け寄る。
「トマルさん、なんでこんなところに…」
「なに、どうせ呼ばれるのがわかっていたからな」
「呼ばれる?」
首を傾げるリーに、まず受付してこい、と顎で促すトマル。
怪訝に思いながらも言われた通りに受付に行き、所属証とウェルトナックから預かっていた割板代わりの紙を渡す。
「百番と伝えるように言われてるんだけど…。あと別件で相談が」
「承りました。まずは百番の確認をいたしますのでお待ち下さい。こちらでお預かりしている書面がありますので受領確認を」
所属証と一緒に封書と書類を渡される。封書の宛名を確認し、書類に受領済みの署名をした。
「では、よろしくお願いします」
続いて受付係が頭を下げたのは、トマルに対してだった。
「ほいよっと」
横から手を伸ばしてウェルトナックの紙を預かったトマルは、ざっと目を通して頷く。
「百番了承。リー、ついてこい」
「え? トマルさん?」
わけがわからずトマルと受付係たちを見比べるリーに、ズカズカと奥へと進んでいくトマルが早く来いと怒鳴る。
微笑みを崩さないまま頷く受付係たちに慌てて礼を言って、リーはトマルを追いかけた。
受付の奥は本部の建物につながっていることは知っていたが、実際足を踏み入れるのは初めてだった。迷いなく進むトマルに続き、扉を抜けて細い通路を歩いていく。
「トマルさん、何が…」
「まぁとにかくついてこい」
本部側の建物に入ると、ちょうど入口の左手に出た。こちらの受付係にも軽く手を上げて挨拶し、トマルは階段を降りていく。
リーも会釈をしてからトマルについて階下へ降りた。
番号札のかかった扉が左右に並ぶ廊下を通り、突き当たりの扉の前でようやくトマルが足を止める。
扉には百番の番号札。
振り返ったトマルが戸惑うリーをどこか楽しそうに見やる。
「百番案件の報告室へようこそ」
案内された部屋の中には、テーブルと椅子が四つ置かれていた。突き当たりには扉があるので、まだ奥に部屋があるのだろう。
「わけわかんねぇって顔してんなぁ」
笑いながら椅子に座り、向かいに座るよう指し示すトマル。
「実際わかんねぇし…」
小さくぼやき、リーも座る。
だろうな、と笑い、トマルはウェルトナックの紙をテーブルに置いた。
「ここに書かれているのは龍の文字。百番は龍絡みの案件だ」
「まぁそれはまだわかるんだけど…」
ウェルトナックからの依頼なのだから、その点にとりあえず疑問はない。問題は、その案件をなぜトマルが対応するのか、だ。
じっと見ているリーに、わかっているとトマルが笑う。
「要するに、俺も龍だってことだ」
あっさり告げられた言葉を、リーはすぐに呑み込むことができなかった。
「……龍っ?」
一拍遅れての反応に、更に楽しげな顔を見せるトマル。
「ここで戻るとあれこれ壊しちまうから姿は見せられねぇけど。ま、信じてくれや」
「…疑いはしないけど……」
まじまじとトマルを見ながらそう洩らす。
フェイに会ったことで、龍が人の姿になれることは知っていた。しかし目の前の男からは畏怖も威圧も感じない。龍だと言われてもなお、トマルは人にしか見えなかった。
一方リーの即答に、トマルの表情に少し喜びが滲む。
「ま、てなわけで。ウェルトナックからの依頼はこちらも把握した。内容に相違なければ引き続きよろしく頼む」
トマルが口にした名に目を瞠ってから、リーは人の悪いその笑みに苦笑を返した。
書かれている内容の確認を済ませたあと、どうせそれもウェルトナック絡みだろうとトマルに言われて、受付から預かった封書を見ることにする。
中には紙が二枚入っていた。
トマルの言う通り、メルシナ村で受けた依頼の報酬額について書かれた書類が一枚。
そしてもう一枚はエリアとティナに関することだった。
ふたりには情報料と討伐料として丸銀貨二枚を支払うとあり、リーの同行の下で本部か各支部で受け取るように書かれてあった。
そしてリーの報酬は、討伐失敗で減らされた分が情報料で補われ、結果として減額はなかった。メルシナ村の村長が好意的に報告してくれたのだろうとありがたく思う。
収入云々以前に、あまり減額が続くと昇級が遠退くだけでなく降級することもある。もちろん御免被りたい。
書類を封筒に戻して荷物に突っ込んだところで、トマルがお茶を持ってきてくれた。
「酒じゃなくて悪いな」
「そっち仕事中だろ」
また向かいに座るトマルに礼を言って、お茶を飲み息をつく。
龍だと告げられても、リーのトマルに対する態度は変わらなかった。疑いも恐れもせずにただ事実として受け入れられたのは、やはりネイエフィールの影響が大きいのだろう。
龍に対する尊敬と信頼、そして同時に親しみ。厳かでありながら優しく、時に自分をからかうネイエフィールは、リーに龍が魔物でありながら人と近い感情を持つ隣人なのだとその身で示した。
畏怖も恐れも敬意もひっくるめ、それでも隣に在るものなのだと。
(…トマルさんが龍、なんて)
湯気の立つお茶を胃に流し込むと、ほんのり身体が温まり落ち着いてくる。少し解された頭で考えているうちに、意図せぬままにトマルを眺めてしまっていた。
向かいで同じくお茶を飲むトマルが視線に気付いて苦笑する。
「なんだ?」
表情のわりには優しい声音に、さらに和らぐ気持ちのままに。
「…こないだ会った龍は人の姿でも龍ってわかったのに。なんでトマルさんはわからないんだ?」
人の姿の気安さからか、旧知の相手だからか、リーは素直に疑問を口にする。
「それに。呼ばれるのがわかってたって、俺が来たこと知ってたのか?」
「聞くならひとつずつにしてくれ」
少し呆れを滲ませるトマル。口を噤んだリーを見返す眼差しに、見守るもののそれが混ざる。
「まずひとつめ。龍であることは、隠そうと思えば隠せるってことだな。気付いてねぇだけで、ここにも龍は多くいる」
驚いた顔はしたものの、リーは疑問の声を上げなかった。
広すぎる敷地内の伝達。通常より早い各支部への伝令。今思えば、どちらも龍なら簡単なことだ。
「ふたつめの前に。お前は自分のことは何も聞いてないのか?」
既に三度目のその問いに、またかと思いながらも首を振った。
「…皆そう聞くけど、ホントに誰にも何も言われてないんだって…」
ぶつぶつと少し拗ねたような呟きが洩れる。
こう何度も同じことを聞かれると、もしかしてと思ってしまう。
「…俺には、なんかあるのか?」
根拠のない確信と少しの怯えの混ざる声。
まっすぐ見つめるリーを、トマルはじっと見返した。
ぶはっと突然トマルが吹き出した。
「ト、トマルさん?」
「なんでそんなに深刻そうなツラしてんだ」
ゲラゲラ笑うトマル。何を笑われているのかもわからず、リーはジト目でトマルを睨む。
ひとしきり笑ったトマルは、ふてくされた顔で見るリーに手を伸ばした。
「リー。お前はな、俺たちにはちょっとほかと違って見えるんだ」
ぐりぐりと宥めるように頭を撫でる。
「だから一度でもお前と会ったことのある龍は、お前が近付くとわかるようになるんだよ」
あたかも常であるように言われたその言葉は、どう考えても常ではなく。
しかし身に覚えのあるその状況に、リーはゴクリとつばを飲む。
「わかるって…」
なぜと聞くが、さぁなとはぐらかされた。
「それもあって、お前は龍と縁ができやすい。そのうちここへも来るだろうと踏んでたが、思ったより早かったな」
普段のそれより深い優しさを湛える眼差しに、リーは目の前の男に初めて龍の気配を感じる。
向けられたそれは、何もかも見透かす龍のもので。
離れていく手を見つめながら、リーは自然と背筋を伸ばした。
「本来なら俺はお前に庭師の姿を認識されない方が都合がよかったんだが。あんなにされては出ざるを得ん」
「悪かったって……」
養成所時代、訳あって連日何本も木の枝を折ってしまったことでトマルと知り合った。ちなみにものすごく怒られた。
「姿を変えてもよかったが。まぁ、お前ならな」
ウェルトナックにも言われた言葉を、目の前の龍である男は口にした。
「…なんで?」
まだ何かあるのかと問う口調に。
「さぁてな」
トマルは笑い、答えなかった。




