伝える言葉
中腹まで戻ってきたリーは、こっそりと獣道から出る。
人が増えて場に妙な高揚感があるのは、幾人かがフェイが飛び立つ様子を見たからで、どうやら戻るのを待っているらしい。
今のところは棲処を探しに行こうとする者がいないことに安堵する。頂上への獣道を往復通ってしまったので、恐らくしばらくは痕跡が残ったまま、その気になればすぐに見つかるだろう。
荒らされないことを祈りながら、リーは双子を探した。
エリアとティナは食事を渡したその場にいた。
「あ、おかえり」
三時間近くここを離れていたのだが、たいして疑問にも思っていないような声で迎えられる。
見上げるふたりの手元、見覚えのない食べ物があるのは見なかったことにした。
「待たせたな」
「用事済んだ?」
返された声に息を呑み、リーはエリアを見る。
向けられる眼差しからは、探るつもりも脅すつもりもないことはよくわかるのだが。
「……どこまで知ってる?」
ふたりの意図がわからない。
いつもより低い声で問われたエリアは、きょとんとして首を傾げた。
「上に龍がいて、リーがそこに行ったこと」
「龍の魔力は特殊だから。近付けばすぐわかる」
普通のことのようにそう返すティナ。
驚いて暫しふたりを凝視してから、リーは肩を落として溜息をつく。
フェイはフェイで、このふたりのことに気付いていたようだった。
魔力のない人にはわからない何かが、龍とエルフの間には感じられるのかもしれない。
それならばウェルトナックもこのふたりのことに気付いていたのではないかと思いながら。
(…それならそうと教えてくれれば…!)
こっちが知っていると思っているのか、ほかの理由があるのか。
どちらにせよ、隠す必要のないことを必死に隠していたのだと知り、一段と疲労感が増した。
ふたりにはきつく口止めをして、今度ウェルトナックに会った時には教えてもらえる範囲で話を聞こうと思いつつ。
去り際のフェイの言葉を思い出す。
「……気遣い感謝すると言ってた。お前ら何かやったのか?」
小声で問うと、エリアとティナは顔を見合わせた。
「村の入口隠すみたいに。リーが上がっていったところを魔法で隠しただけ」
なんでもないことのように言われ、リーは眉をしかめる。
「…なんで?」
「あたしたちを置いていったから。邪魔が入らない方がいいのかなって」
「だからなんで」
そう思ったとして、なぜそれを実行したのか。
頼まれてもない。なんの利もない。
それなのになぜ、こちらを助けるようなことをするのか?
そう問いたいリーに、エリアは更に首を傾げる。
「なんでって…できるから?」
問うた意図は全く通じず、本当に不思議そうに返された。
何を聞かれているのだろうかと言わんばかりに見返され、リーもそれ以上聞けずに口を噤む。
自分とは根本的に何かが違う。
何かをしてもらったから何かを返すといった考えがそもそもなく、その場その場でできる者がやればいい、とでもいうのだろうか。
先日の誘導の時と同様、ふたりには手伝う、助ける、という意識はなく、本当にその言葉通り、必要であろうことをできるからやっただけなのだろう。
そしてそのことに対し、なんの対価も求めようとしない。
エルフだからなのか、このふたりだからなのか、それはわからないが。
少し迷い、リーはふたりの前にしゃがみこんだ。
「…ありがとな。助かった」
本人たちは特に望まぬものだとわかってはいても、それでも自分は礼を言いたかった。
まじまじとリーを見てから。
「うん」
エリアがそう返し、ティナはただ頷いた。
池の底、気付いたウェルトナックがふっと顔を綻ばせた。
「…仕事の早い……」
呟く声にも喜色が滲む。
同じく気配に気付いた子どもたちに大丈夫だと告げ、ウェルトナックは水面に出た。
待つこと暫く、人の姿のフェイが現れる。ウェルトナックの正面に立ち止まり、叱られに来た子どものように、ためらいの混ざる眼差しで見やった。
言葉に迷うフェイに、ウェルトナックが先に口火を切る。
「久しいな、フェイ」
「…カナート」
お互いに、ともに旅をしていた頃の、人の姿の名で呼んで。
すっと岸に身を乗り出したウェルトナックの体が、瞬時に人のそれになる。
水色の髪に深い青の瞳が、次いで煤けた赤の髪と瞳に変わった。年は四十代といったところだろうか。
「…老けたな」
「百年は経つんだ、当たり前だろう」
そう笑い、ウェルトナック―――カナートは嬉しそうにフェイを見上げる。
「お前だって大きくなった」
あの頃は、まだ見下ろす背丈の子どもだった。それが今は、立派な青年の姿。
龍にとってはたかが百年。
しかし晩年の長い龍であるからこそ、子龍の成長は早い。
「……よく、来てくれた」
手を伸ばし、抱きしめる。人の姿ならではのこれも、フェイが幼い頃にはよくやった。
「呼んだのはカナートだろう…」
「そうだったな」
おとなしく抱かれながらのフェイは、それでも抱き返せずに視線を彷徨わせる。
「いつ護り龍になったんだ?」
「…お前と別れてそう経たぬうちだったな。縁あってここへ来た」
「カナートには…色々あったんだな」
懐かしむようなカナートの声に対し、フェイの声音は沈むようで。
「会合も最近までなかったからな。話す機会がないままだった」
続けられた言葉に、彷徨う視線も地に落とす。
「……ずっと、待ってたんだ…」
零れた呟きは、外見よりも幼く響き。
縋るように少しだけ服を握りしめるフェイに、カナートは抱きしめる力を強くする。
「会いに行けずですまなかった。人の中で育ったお前には、百年は長かっただろう」
含まれる後悔には応えずそろりと腕を伸ばし、フェイはようやくカナートを抱きしめ返した。
「……そうだな、俺には龍は向いてない」
暫しの沈黙の後、目を伏せたままのフェイがぽつりと告げた。
その日はまた麓の宿に泊まることにした。宿の一室、今はもう落ち着いたらしい片割れの様子に、リーはひとり笑う。
下山途中、アディーリアの感情が目まぐるしく変化したことでフェイの到着を知った。
初めは少し恐れの混ざる興味であったが、次第に恐れが安堵に変わり、好奇心も強くなる。
もしかすると自分がフェイに頼んだ伝言を聞いた時だろうか、爆発するような喜びのあと、嬉しいと頑張るが多分に混ざる、本当に幸せな気持ちが満ちた。
それが片割れというものなのだといわれればそれまでだが、それでも自分に向けられる身に余るほどの好意がこそばゆく、照れくさい。
しかしそれを嬉しいと感じ、自分も何かを返せればと素直に思うことができるのは、やはりこれも片割れゆえなのかもしれないな、と。
そう、思った。




