72~アデリーヌの服
北東バルデからベルゲンを結ぶ寒極海のシルクロード。
その中間地点の港町がヘルゲ男爵に与えられた領地。ヘルゲ家の土地として代々受け継がれてきた。
感情の起伏が激しいのも、苦労知らずのお坊ちゃま。そのせいであろか、子供の頃から欲しい物は全て手に入り、それが逆に物欲というものを失くした。仕事をするわけでもないこの男が抑えられないのは身体の欲求だけであった。ドロテアの計画的な欲の吐き出しとは違い、その場その場のむやみやたらであった。
そのヘルゲ男爵のおひざ元。
石畳を整然と並べた繁華の港町。
船着き場から続く魚市場。毎日カニやタラ、ニシンや鮭。多くの海産物が水揚げされていた。
そのせいで常に濡れている市場の石畳。それが幾分乾いた場所から始まるのがドロテア通り。
ヘルゲがドロテアと婚儀を結ぶまでは、港大通りと呼ばれていたが、その名にも興味がないヘルゲはドロテアの頼みをすんなりと聞き入れた。
ただの路地裏の通りをヘルゲ通りと名付けたのもドロテア。それは格差をつける為であったが、そんなことにもヘルゲは気づいていないようであった。
石畳を真っすぐに山の手に向かうと、道は一度左に折れる。少し小高くなった道を上ると、そこがヘルゲの館。
石畳のドロテア通り。
その一番繁華な中心にヨーセスの店があった。
その暗闇の地下には、町人の誰一人とも知られることなく、ラーシュの妻アデリーヌが匿われていた。
空になった店の売り場には、タリエ侯爵の使いの者と称する盗賊に騙されたキルケとイワン。アデリーヌの見張り役当番であったトールの3人がいた。
「キルケ。結局どうするんだよ? このもぬけの殻の店の始末」
イワンが言った。
「俺もな、そんなはした金でお前らと手を組むのは嫌だよ。店を開けたのもお前ら2人だし、騙されたのもお前ら。俺には関係ないよ。」
トールが言った。
「ん~。逃げたって金は無いしな、、、」
キルケは腕組をしながら、首をコクリと右に曲げた。
「さあ、どうする?」
「この女を売る」
キルケが言った。
「はぁ~? 人身売買ってことかい?」
「その金でトンズラする。美しい女だ。高値で売れる」
「しかし、この街では無理だぞ。すぐにドロテアやヘルゲにバレる」
「じゃ、トンズラしてから売る」
「キルケ、お前真面目に言ってんのかい?」
「ああ、大真面目」
話し込んでいると、地下からアデリーヌの声がした。
今度はちゅうちゅうネズミの鳴き真似ではなかった。
『すいませんが、寒くて仕方がありませ~ん!どなたか着る物を調達して頂けませんか~?!』
「あ、テーブルクロス一枚だけだった!」
「おい、死なれたら困る」
「大丈夫だろ、これからどうするかの話の方が大事だよ。服はあとでいいよ。そんなに容易く死にゃしない」
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翌日の朝であった。
店に現れたキルケ。手にしていたのはアデリーヌに誂えた服。
黄色い蝶の絵柄のワンピース。
少し遅れて来たイワンは赤い花柄のコーデュロイ。
地下に降りた2人。
しかしアデリーヌは、すでに白いグースのジャケットを羽織っていた。
店を抜け出して買って来ていたのはトール。
「3着、、、」
3人はランプの灯りの中、互いを見やり目を丸くした。
売り飛ばすと言いながらも、3人ともがアデリーヌの気を引こうとしていたようだった。
「どれを着る?選べ。アデリーヌ」
『いえ、もうこれを着ていますのでっ』
「もう一回脱いで、選び直せ」
キルケがポツリと言った。




