192~イブレート・ラーシュ・ヘルゲ
「なんだろう?」
「ここからでも見える」
「城ではないか?」
マウリッツ城の天守の骨組みが、バレンツの海岸沖に現れた。
「近寄らない方が良さそうだな」
「見張りとしての城か?」
「そうでなければ、こんな何もないところにあんなものを建てる必要はないだろう?」
「しかし、始終ノルウェーを襲っていたのは何百年も前の事」
「今は他に行き交う者はいない」
「俺たちだってこの辺りの魚を追ってくるだけ」
「意味の無い城だ」
彼らエスキモーが海賊と名を馳せたのはその昔の事。
今ではトナカイの遊牧と漁業だけの生業。北極圏でささやかに暮らしていたネネツ達。
それが、北の砦が城に変わっていった理由。
築城を取りやめても良かったのだが、ノルウェーの南に増え続ける人口。
代々の王はここを開拓の地と位置付けた。
思った通りであった。
イブレート侯爵の赴任と共にマウリッツの地は予想以上に栄えた。
元々は、時の王カール1世がこの地の赴任を命じたのはベルゲンにいたラーシュという貴族家だった。しかし美しい港町からの移動を頑なに拒んだラーシュ家。
その代わりに白羽の矢が立ったのは当時トロムソという北の街を治めていたイブレート家であった。ベルゲンから比べれば、マウリッツには余程近い町。
まだ若きイブレートはカール王の命令とあらばと、進んでトロムソを手放し、更に北東のマウリッツに移り住むことになった。
平和だったトロムソ。
次の統治貴族がヘルゲ家と聞き、この地の民の半数は北極圏という厳しい地と知りながらもイブレートの後を追ってマウリッツに住みつくことになった。
イブレートあっての民の暮らしであったことは明らかであった。
一方カール王の命に逆らったラーシュ家の筆頭公爵。
公爵という地位を剥奪され、カールの下を追い出された。
ラーシュ家の所有であった数隻の機帆船に乗り込んだ一族。
ゆく宛はない。
流されるままにその矛先を向けると、トロムソの丘の見える遥か裏手のフィヨルドの浜に流れ着いた。
ラーシュ一族は貴族の地位を捨て、ここで農民と漁民を兼ねた暮らしを始めた。
時折はこの地を通り過ぎる流浪の民や行商から、通行切符としての恵みの品を頂いた。
なぜなら普通であれば、トロムソの街を経由する商売人たち。
この人里離れた海岸線を通るということは、何か怪しい者たちであることはラーシュ一族にもわかっていた。
それだけではない。持ち出してきた宝の装飾品を見せるとすぐに金に換えてくれた。
ここに人が住んでいることに驚いた旅人たちは、その口を閉ざした。
それは彼らにとっても秘密の道であったからに他ならなかった。
この地図「トムロソ」となっておりますが「トロムソ」の間違いです。
申し訳ございません。
※第189~「スヴェン王の死」
文中に挿絵を入れました。宜しかったら是非ご覧ください。
※この話の参照として、宜しかったら「125~西のヘラジカ」をご覧頂ければ幸いです。




