174~【第5章ドロテア物語】1・「マウリッツ・バレンツの浜辺にて」
「ねえ、お爺様。あそこに見えるのは何?」
ラーシュ一族がこの地を離れたのは随分と前のこと。
ラーシュ公爵に置いて行かれた民。ここに根を這って暮らしたのは、そのほとんどがバレンツの海に面した場所に家を持った者達であった。
「ん?どこじゃ?」
「ほら、あそこ。向こうに向かっている」
「向こう?」
浜から見るバレンツ海。濃紺の波。
そこから水色に萌え上がる空。
その間を横切る一本の真っすぐな線。
水平線だ。
線の上にポカリと浮いて見えたのは小船の船団。西へと向かっていた。
「ああ、それは船というものらしい。この大海を悠々と泳ぐのだ。ただわしの目にはもう見えん。歳をとってしまったな」
「見えないのかい? 泳いではいない。浮いている」
「魚を獲る船、それとも何かを運んでおるのだろう。旅の船かもしれぬな」
「うちにはないよ」
「ハハハッ!造れないのだよ。ほれ、ここには一本たりとも木が生えておらん。こしらえる事ができんのだっ」
「木で造るのかい? あれがあれば、大きな魚も獲れる?」
「そうだな。しかし私達には無理だ。波打ち際に打ち上げられた小魚が精精だ」
「つまんない」
「ま、そう言うなニーナ。お前が大きくなったら考えておくれ」
「お爺様。それまで生きていてくれるかい?」
「ん~、生きてはおらぬな。この青い空からニーナを眺めておるよ」
「わかった」
浜辺でお爺様に手を引かれたニーナ。
彼女だけがその船を、青く映った目で追っていた。首は西に向けていた。
「お爺様。あんなに小さな物。ひっくり返らないのかい?」
「波が大きければ、それはひっくり返るさ。ま、大きければ海には出ぬだろうが」
「では、旅ではないね」
「ん?」
「どこかこの近くに住んでいるってことでしょ? それでなければあんな小さな物で出かけられない」
「?ほ、なるほど。舟を着ける場所がこの海のどこかにあるということか、、、わしも気づかなかった。てっきり通り過ぎる舟だと思っておったが」
「海に住んでいるの?」
「いや、わしも海を渡ったことがないから分らぬが、この先にはたくさんの島というものがあるらしい」
「島?」
「そう、ここと同じ。土があって石があって草が生えておる場所だ」
「行ってみたい!」
「ハハッ。さっきも言ったであろう? お前が舟を作ることが出来ればいとも容易い」
「私は女の子だよ。そんなに大きな物を造るのは男の子の仕事」
「いやいや、なにもお前が斧を担がなくてもよいのだよ。お金を稼げばよい。そうすれば皆その金目当てにお前の言うことを聞いてくれるってもんさっ」
「本当!」
「ああ、わしは嘘はつかん。ただ目が悪くなってしまっただけじゃ。ハハハッ」
ニーナはコバルトの海。
その舟が通り過ぎるのを目で追った。
紺碧の蒼き目。
ニーナ・ドロテア。
その子であった。
※前話173話~マウリッツ攻防記・「イブレートの力」に挿絵を掲載致しました。
単なる城の絵ですが。
宜しかったら是非ご覧ください。
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