172~マウリッツ攻防記・11「料理番ヨーセス」
鍵であった。
バルウが料理番のウイリアム・ヨーセスに名誉の証しの書状を託した時だ。
「よいか、ヨーセス。これは城壁の扉の鍵。して、これは城の鍵にして私の部屋の鍵でもある。
これをお前に渡しておく。私が海賊達をやっつけた折りにはすぐさま持って参れ。敗れた時。それはイブレート・ヨーセスとしてのこの城の鍵とすれば良い。いずれにしろ、お前が持っておる事がその書状の役目を果たすとゆう事だ」
「よろしいのですか?」
「よろしいも何も、お前しかいないのだよ」
素直で気立ての良いヨーセスであったが、城の扉を出る時だった。
人間の性であろうか、悪魔がその頭を過った。
(ここでこの鍵を閉めていかなければ、どこぞの海賊たるやいとも簡単に城内に押し寄せることができる。ましてや城壁の扉もそのままにして行けば、バルウは不覚にも瞬く間に殺される。イブレートは逃げたまま。バルウからの世継ぎの書状はこの手にある)
ウイリアム・ヨーセスという料理番。城の扉の前で足を止めたが、鍵を閉めずにナナカマドの庭を横切ると、またしても城壁の扉も開けたまま、その外へ飛び出した。
(イブレートもいない。バルウも一気に敵の襲来にあう。あとは乗り込んで来る海賊共を始末できれば、この城は俺の物。逃げた民をここに戻す事ができればこのバルウの書状がモノをいう。黙らせて俺がこのマウリッツの城主だ)
自分の店まで戻ったヨーセス。
あたふたと逃げ出す支度をしている市民がそこにいた。
「おい!みんな協力してくれ! イブレート様とバルウ様の命令だ! 皆の持っている食糧、それに城の食糧保管庫、全ての食べ物を持ち出してくれ! 命令だ! ほれ!これバルウ様から貰った書状だ!」
ヨーセスは皆にチラと見せると、また服の中にしまった。
慌てている民は、それを横目に見ただけで身体を保管倉庫に向けた。
「イブレート様とバルウ様のご命令だ!皆急げ!」
群衆はそれぞれにその言葉を繋ぐと、疑うべくもなく互いに叫び出した。
ヨーセスの発した言葉は誰彼言うことなく民の声となった。
「山の手の民はすでに丘の上をひた走って逃げている! 俺たちは海へ! 舟で食糧を持ち出すんだ!」
海に運び出された山となったトナカイの肉。
家畜のヤギは何艘もの船に乗り込んだ。
「おい、ヨーセス。保管庫にある、、、あれは持ち出さなくていいのか?」
「あれ?」
「イッカクの薬だ。山ほどあったが」
「ほほう、倉庫にもあったのかい?、、イッカク、、、だがそれは食料とは無縁。放っておけば良いさ」
「では、乗れ! ヨーセス! 出発だ! ロープを切るぞ!」
「あ、俺はここに残る。バルウ殿の手助け。お前らだけで島でも探せ。」
「は?」
ここに残るウイリアム・ヨーセス。
逃げたイブレート。
殺されるはずのバルウ。
(あとは、この極寒の地。海賊達を追い出すには、兵糧攻めにあわせれば、、、)
ヨーセスは浜から離れていく数十の舟を、手を振って見送った。
※第2話「捕らわれたアデリーヌ」に挿絵掲載しました。
あくまでイメージとしての挿絵であります事、お許しください。




