168~ラーシュ物語15・「床下の暗闇」
「東欧の更に東の国では、亡くなった者の身体に薬をまぶすとその肉体が蘇るという話を聞いたことがある。ニルス、その子にこの薬を」
イブレートはバルウに手渡されたイッカクの角粉の袋を、袂から取り出した。
掌にバサと出すとイブレートの御手自ら、その冷えた体に塗りつけた。
一人のマウリッツ兵が言った。
「イブレート殿。それは大昔のエジプトの習わし。それにはこの子、テオドールの体の臓物を取り除かなければなりません」
「おい!お前!口を塞げ!ニルス夫婦の前で何という事を! お前にはわからんのか!それは風習!俺は一縷の望みを掛けているのだ! 今ここでこの子に歩き出して欲しいのだ! やり方の問題ではない!」
イブレートの涙は塗りつける乾いた粉を湿らせた。
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ラーシュは小屋にいた。
朝の日が高く昇ると、小屋の入り口の芝土の緑を艶々と光らせた。
薪を梳かれた床に現れたのは、小さな真四角の切れ目。
「もしかすると、これは蓋?」
ラーシュは細い枝のような薪を拾い上げると、その切れ目の縁に天秤棒さながらに差し込んだ。
グイグイと手に伝わる重み。少し浮いたところに手を添えた。
「重い!」
両手を使って上に捩じ上げると、床と蓋を覆っていた芝がピチピチと切れ出した。
ポンッ! ドン!
抉じ開けた。
穴倉のような地下があった。
重い蓋を横にずらすと、ラーシュは寝転んで床下を覗いた。
「真っ暗で何も見えない」
ラーシュはその首をできるだけ中に入れると、「おーい!」と叫んだ。
地下に送り込んだ声は一瞬の間をおいて跳ね返り、床穴の上に飛び出した。
「深いな、、、井戸のコダマと同じだ」
下に降りてみたかったラーシュだったが、あいにくこの家には梯子もない。
深さも知れぬものだ。降りたとしても二度と這い上がれないほどの遠くからのコダマ。
「降りてみたところで、俺には関係ないや。どうせ地下の墓室だ」
すると、その跳ね返りのコダマが連れて来たのか、ラーシュには嗅いだことのない異臭。
その鼻を捕らえた。
「うわ!なんだこの臭いは?!」
それは死体とは違う、薬のような臭い。ラーシュはゴホゴホと噎せ返った。
人間だけではない。常にヘラジカやキツネの死体と対峙することの多い北の民。
平気なはずのラーシュの鼻を突いたのは全く別の臭いだった。
「ゴホッ!、、、この中が安置所なら、この小屋の古さからいって到に骨のみ。臭いさえ消し去っているはずの白骨のはず。なんだろう? この臭い」
その臭いが小屋に充満し始めると、居たたまれなくなったラーシュ。
頑丈な蓋を元に戻した。芝土の煙が舞い上がった。
地下の部屋はまた暗闇に閉ざされた。
※前話167~ラーシュ物語・14「小屋はカタコンペ」に挿絵を掲載致しました。
※地下からの異臭。
本編166~「テオドールの見解」26行目辺りに、さらっとラーシュの言葉として記載しております。




