159~マウリッツ攻防記・6
待てど暮らせどオロクは戻って来なかった。
もちろんのこと、バルウも迎えには来ない。
日が少し西に傾き始めると、灰色の霧はその芝土に溶け込むかの様に滲み込んでいった。
丘の上からは薄っすらと城の様子が見えた。
『見える』
「はい。ゆっくりと霧が消え去っていきます」
『動いている』
「城壁が高すぎて中の様子は見えませんが、扉の辺りでしょうか? ここからは蟻の兵にしか見えませんが、数人ほど」
『2人か?』
「2人とは? いえ5,6人はおるようですが」
『では敵だな。今あそこにいる兵はバルウとオロクのみ。3人でもいればその人数は敵だ』
「確かに」
イブレートと9人になった兵。
もう口を開くこともなく、丘の上から荘厳に聳える城を見つめていた。
「あれ?誰か丘を登って来るようですっ!」
『ん?』
「家族連れのようであります! 夫婦と幼子? 手を引っ張ってこちらに」
一人の兵士が彼らに向かってこっちこっちと手招きをした。
すると3人は驚いたように後退りを始めた。
「あ、まずい」
『マウリッツの民か? 逃げ延びてきた連中か?』
「そのようであります」
兵はすぐさま胸を張ると、盾を大きく前にせり出した。
そこに大きく付けられた真っ赤な蟹の印はイブレートの家紋。
味方であることを示唆した。
3人はイブレートの兵と気づいたのか、その父親らしき若者が手を振り返して来た。
若者はその手をそのまま幼子にあてがうと、脇に抱えてまた丘を登り始めた。
「あ、こちらに向かって来るようであります!」
女房らしき女も、若者の後ろを足早に追いかけながらついて来た。
兵の目の前まで来ると若者は、すかさず子を足元に下ろし、両膝に手を当て息を吐いた。
「ハア、ハア」
息が落ち着くと、イブレートが自ら声を掛けた。
『いかがされた?』
顔を上げた若者。
「あ、あれ? そのお召し物はバルウ様でいらっしゃいますか?」
「違う。違う。イブ、、、」
兵が口を開くと、イブレートはすかさずその口を塞いだ。
『ん、そうだ。私がバルウだ。いつもは兜で覆っておるからな。この顔がバルウだ。覚えておけ。そんなことよりもお前ら、どこぞの者に襲われたのか?』
「いえ、襲われてはおりませんが、私が自分の家の屋根を修理していました所、その屋根の上から得体の知れない者達が城に流れ込んで行くのが見えました。驚きまして。この女房とこれはマズいと逃げて来たのでありまして。ハアハアッ」
『大勢であったか?」
「はい、それはそれは!数十人どころではありません。300? いえ500? なッ」
「なッと言われましても、わたくしは屋根の上にはおりませんでしたので」
その女房が初めて口を開いた。
「あ、そうかそうか。とにかく城に吸い込まれるような多くの軍勢でありました」
『500,、、どこにそんな軍衆が。この西の向こうに至るまで、そんな数は見た事も聞いた事もない』
「イブレート様。やはり逃げて来て良かったのでありますよ!」
一人の兵がそう言うと驚いたのは3人の家族。
「え~ッ! イブレートさまぁ?!」
3人は手を繋いだまま後ろにひっくり返ると、丘を少しだけ転げ落ちた。
しかしである。
この若者が見たのは蜃気楼という名の陽炎。
城を襲った海賊。
たかだか30人ほどであった。
※前話~158「マウリッツ攻防記・5 バルウは生きている」に挿絵を掲載致しました。
※軍衆=群衆の造語であります。あしからず。




