158~マウリッツ攻防記・5「バルウは生きている」
オロクは深い霧の中、その蒸気を両手で振り払いマウリッツの城へと向かった。
低く垂れこめたその灰色は、寸先の目の前を遮断した。
しかし方向は合っている。見上げた視線にはマウリッツ城の天守だけが、浮船のようにユラユラと聳え立っているのが見えた。
揺れるのは蜃気楼。4本の天守が、幾重にも重なるように揺れていた。
首を真上に上げたオロク。そこがすでに城壁の足元だとわかった。
5歩、6歩と横に歩き出しその城の壁の扉を探した。
すぐにわかった。
灰色の湿った蒸気は城壁に遮断され、その縁を這うように大蛇の如く流れていた。
しかしその蛇が勢いよく城内に吸い込まれる場所があった。
「ここだ!」
しかしオロクは足を止めた。
(なぜ吸い込まれるのだ? 扉が開いているということになる。なぜ?)
城壁内に運ばれた靄は、籠った城内の幾分暖かい空気の重みに耐え兼ね、更に低く、広げた扇のように流れ込んでいった。
(あっ!)
オロクは出せぬ声を喉元に押し込んだ。
低い灰色がその敵の上半身を映し出した。
(敵だ!海賊だ!)
身成を見ればすぐわかる。すでに門番として立っている兵。マウリッツの兵とは全く異なる古い時代の鉄兜。
流行り廃れた3本角。戦いの為の鉄の仮面すら身に着けていなかった。
(やはりこの霧だ。もう占領されているのか、、、バルウは?)
勢いに乗った靄は低く低く流れを変えると、今度はオロクの上半身を剝き出しにした。
(まずい!)
門番の海賊兵と目が合った。
靄を左右に切り開いた矢。気づいた時には、左膝にグサリと刺さっていた。
(ウグッ)
オロクは曲がらなくなった足を引きづりながら、吸い込まれる前の高い靄に逃げ込んだ。
追っ手が来るのかどうかもわからない。矢を抜こうにも走らなければならない。
その血は見る間に向う脛を赤く染めた。
(くっそ~!)
イブレートにこの顛末を伝えなければならないオロク。
その足はすでに、イブレートのいる丘に登れるものではなかった。
しばらく走ると波の音が聞こえた。
オロクはその音を頼りに海岸線に出ると、波の強弱を耳に受けながら海伝いを西へと向かった。
(はあッ、はあッ。、、、この辺りまで来れば大丈夫だろう。奴らは城を占領したばかり。追ってまで手薄にすることもなかろう)
オロクはその波打ち際に踝まで浸かると、そのままそこに座った。刺さったままの矢に、腿がピンと張った。
「痛たたっ」
思わず声が出た。
深く刺さった矢をグルと回しながら引き抜くと、真昼の蒼い波が赤く染まった。
その赤い波がサッと砂浜を駆け上がると、何ごともなかったかのようにまた元通りに青く引いていった。
「どうされました?」
目と鼻の先に浜小屋があった。
出て来たのはマウリッツの漁夫らしき初老の男と若い娘。
「おやおや。深い傷、、、あれま?このお姿はもしや我がマウリッツの兵隊さんではありませんか?」
しばらく黙っていたオロク。
(きっとバルウ殿は殺された。だが不死身のバルウは決して敗れることはない伝説の騎士)
オロクは我が身を消し去った。
「爺さん。俺はバルウ。イブレートの参謀」
「え、かのバルウ殿!初めてお目にかかりますッ!」
「マウリッツの民に伝えてくれ。俺はここで生きていると」
「何があったのですか?」
「城は閉ざされた。爺さん、娘さん、あなたらも早く逃げることだ」
これが、彼の伝説。血まみれのバルウの真実だった。
オロクは彼の栄誉の名を遺す為、己を捨て去ってまでの嘘をついた。
バルウは生きていると。
※前話・157話「マウリッツ攻防記・4」に挿絵を掲載致しました。
宜しかったら是非ご覧ください。




