155~マウリッツ攻防記・2
吹き抜けの二階から、一階の広間に向かったバルウ。
その奥から魚を焼く匂いが鼻元に届いた。
「ん?なんだ?」
バルウは広間を素通りすると、その奥の厨房に足を踏み入れた。
トントン! コンコン!
まな板の上で、小麦の生地を叩いている男がいた。
「おい!お前!こんなところで何をしているッ! 早く逃げぬかッ!」
振り向いた飯炊き夫。
そのバルウの姿に驚いた。
「あれま?その格好は?イブレート様のお召し物?」
「いいから、いいから。こんなところで飯を作っている場合ではない!早く城を出ろッ!殺られてしまうぞッ! 俺一人でいいんだ! お前を庇っている余裕などないのだッ!」
「バルウ殿!それは重々わかっております。しかし先ほどイブレート様がこの城を出て行かれるときに、わたくしが進言したのであります」
「なにをだ?」
「はい。ここからはこの城にバルウ殿お一人だけ。もし。もしもであります。敵が一向に攻めて来なかったら? もしバルウ殿が敵を蹴散らし、城に残ろうものなら、お食事は? なにか召し上がれなければ、それもまた兵糧攻めの覚悟。わたくしがすべてお膳立ていたしますとイブレート様に申し上げたのです」
「誠か?あのイブレート様が民を置き去りに?」
「わたくしは嘘を申しておりません。膝まづいて懇願を申し上げたのです」
「、、、お前。勇気があるな。殺されるかもしれぬのだぞ?」
「イブレート様とバルウ殿をお守りする為なら命など欲しくはございません」
「大した男だ。では私が一筆記そう。紙はあるか?黒のインクを用意してくれ」
「ほらごらんください。お一人では何もできませんっ」
「ああ、まあな、、、」
飯炊き夫はそれを用意すると食卓のテーブルの上にふわりと置いた。
バルウは椅子の上にドカと腰掛けた。
前屈みになると、羽の付いたペン先がその紙の上をスラスラと走り抜けた。
「何をお書きに?」
そういうと飯炊き夫は焼いていた魚の焦げ具合を見に厨房に戻って行った。
「お前はマウリッツの民であろう?」
書き終えたバルウ。厨房の奥に声を掛けた。
「はい。大昔からの生粋の民であります」
「なら尚更だ。良いか。これを読め」
バルウは書いた紙を飯炊き夫に見せようと椅子を立った。
飯炊き夫は、手を拭きながらそそくさと厨房から現れた。
「これだ!読め!」
【マウリッツの民に告ぐ。
イブレート侯爵
バルウ
双方が命を落とした時、_____を
マウリッツの世継ぎとし、イブレートの名を引き継ぐことを命じる】
「は?バルウ殿!こんな勝手な事をしたらイブレート様がお許しになりませんよ」
「ハハッ!だから書いてあろうが。2人とも亡くなったときだ!」
「ですけど、、、」
「按じろ。そのようなことは起きぬ。イブレート様はすでに逃げておる」
「ではなぜこのような真似を?」
「お前の名誉の証しだ。取って置けば良い」
「お遊びですか?」
「遊びでなど書くものか。 でだ、この【落とした時】の後にお前の名を入れたい。名は何という?」
「は!ヨーセス! ウイリアム・ヨーセスといいます」
「良い名だ。ここに一筆足す」
バルウがその紙に書いた名。
【イブレート・ヨーセス】
「代々この名を語れ。もしもの場合だ。もしものな」
「これはとんでもない! バルウ殿に書を頂くだけでも栄誉なことでありますのに、、、」
「よいよい。心配はいらん。俺もイブレート様も共に生き残るのでな。そうと決まったら、すぐさまこの城を出ろ!気持ちだけで充分だ! さッ!早く!」




