143~ラーシュ物語7・「チョンとおまじない」
アグニアの住む漁村。
バレンツの冷たくうねる波の怒涛が浜辺を覆っては引き返し、ヒタヒタと漂着する小魚を置き去りにしていった。
一瞬の波引きを待って、白カモメが垂直に舞い降りると跳ねる小魚を口に咥え、また雲めがけて昇っていった。
「ラーシュという男。威勢もいいし腕っぷしも強そうだったんだ」
ミカルが言った。
「ほ~う」
「仕方なくだ。許してくれよ。アグニア婆さん」
「お前ら3人もいたのにかい?あれほど赤子は連れて来るなと言ったのに。情けない」
「このガキを囮にするしかなかったんだよっ」
「だから、一緒に連れて来たと?」
「ああ」
「仕方ない。だったらここに置いてゆけ。捨てた家がたまたまワシの家の前だったってことにすれば良い。きっとそのうちラーシュが追いかけて来るであろうからな」
「来なかったら?」
「しばらくワシの乳でも与えておくわッ。ハハハッ」
「婆さん、、、笑えませんわ、、、」
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「おい!アデリーヌ!子は置いて行くぞ!ドロテアさまが嫌うのだ!」
ミカルは馬の上、泣きじゃくるアデリーヌから赤子を引っ手繰ると、そのままアグニアに引き渡した。
「ではこのままヘルゲの街までこの娘を連れて行きます」
「ああ頼む。この娘を傷つけるでないよ。大事な娘だ」
「わかりました」
「で、どうせお前らはまた、取って返しで戻ってくるのだろ?」
「はい。ドロテアさまの目的はこの女ではなく丘の上のラーシュでありますからな。奴をマウリッツの城送りにしなければなりません」
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しばらくして、丘を駆け下りやって来たのはラーシュであった。
息を切らし顔面蒼白の男は、漁師の家々を右往左往と彷徨った。
朝の内に漁の片づけを終えた漁師たちは、翌夜中の出船に備え昼間から寝ていた。
そこかしこの家の窓から大きなイビキが聞こえていた。
そこで「どうなすった?」と声を掛けたのが、待ち構えていたアグニアであった。
「おやその格好は?丘の上の農夫かい?」
「そうだ。そんなことより婆さん、馬に乗った奴らを見かけなかったかい?どこへ行った?」
「おうおう。若い女を連れた3人組だな? 南の方へ行きおったぞ。確か農民着を着ておった。まさかお前の女房かい?」
「そうだ」
「そいつは驚いた! ではここに放ってあった赤子はもしや?」
「は? 赤ん坊?」
「まあ、中に入りんしゃい」
魚臭い土間を抜けると板張りの座敷。
その子は、アデリーヌが巻いていたボロ布に覆われたまま床の上、仰向けにスヤスヤと眠っていた。
「お前の子かい?」
「間違いないよっ!俺の子だ! 連れて帰るっ!」
淡い栗毛の髪。長い睫毛。ラーシュは抱き上げた。
「ほれほれ、大声を出すな。起きてしまう」
(連れて帰る前にこの子に聖気を流し込まぬとな)
アグニアの婆さんは持っていた漁網用の鍵張りをその子の胸に当てると、小声で呪いを呟いた。※1
(お前がマウリッツを蘇らせるのだ。エイッ!)
「婆さん。なにをしておる?」
「あ、ああ、元気でな!っと、チョンチョンと」
「まるで婆さんが魔術使いみたいだな、、、」
手前右の建物はドロテアの別宅?
※1
この所作は「4~裸足のラーシュ」の下から4行目辺りに記しております。
※2
第13話「アデリーヌがいない?」に挿絵を掲載。
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