110~農夫とカニ女
農機具小屋の持ち主。
その農夫は夜更け、口直しの固いパンを食べていた。
朝の残りのジャガイモと玉葱の塩スープ。それに千切ったパンを浸けると数本しか残ってない歯で舐めるようにして喉に押し込んだ。
「歳をとってから、どうにも夜中に腹が空くようになってしもうた」
そう言うと、スープの底に沈んだ刻んだ玉葱を二本指で掬った。
トントン! どんどん!
「おやぁ?なんだこんな遅い時間に? さっきの奴らか?」
農夫はロウソクを手にすると、薄い玄関扉の切れ目から外の様子を窺った。
トントン!
扉を叩くその手にはロウソクの火を跳ね返す物があった。
(ん?まさか?チョッキンナのカニ女?)
「だれだぁ!こんな夜更けに!扉は開けんぞ! 帰りんしゃい!」
ロウソクの光を玄関先から遠のけた。
『待って~! お父さま! 私ですっ!アデリーヌですっ!』
「おー!その声は愛しのアデリーヌ! 待て待て、今、戸を開ける」
農夫は足元にロウソクを置くと、扉の鍵をガチャリと開けた。
が、すぐに閉めた。
バタン
「待て待て。お前は本当にアデリーヌかい? 今、目にしたその格好。そのハサミ。ヘルゲが言うところのカニの化け物ではないのかい?」
農夫は扉に背を当てて聞いた。
『カニの化け物? あ、このハサミのことですね? けどカニではありません。アデリーヌです。あなたの子アデリーヌです』
「証拠は?」
『証拠? はい、私はここで生まれ育ちました。母親はヘルゲとドロテアの魔女狩りに遭い、火炙りの刑』
「理由は?」
『お父さまが若い嫁を娶ったということでございます。しかしお父さまに罪は被せず、私のお母さまに言い掛かりをつけ、処刑したのでございます。私という赤子を残し』
「あってる」
『そして、それからというもの私はお父さまの畑を手伝いながら生きて来ました。ラーシュという素敵な旦那さまと知り合うまで』
「子の名は?」
『ヤンであります』
農夫はバタと扉を開けると、玄関先のカニ女に抱きついた。
「おうおう久しぶりじゃのう!可愛いアデリーヌや!どれどれ、その美しい顔をわしに見せてごらん」
少し離れて見た農夫。
「あれま!おやっ! どうしたというのだ?! その頭っ!ジョリとしたからおかしいなと、、、それにその格好」
『お父さま。気にしないでください。お母さまのように殺されることを思えばこのくらいの格好』
「では、うちの農機具小屋でドロテアとヘルゲを襲ったのは?」
アデリーヌは後ろ手に持っていた切り刻んだその2人の服を父親に見せた。
「おいおい、いくらなんでも、、、お前のすることではないよ。それにぃ、わしは代わりの服を奴らに用意した。さっき持って行ったばかりだ。まさかお前だったとは」
『お父さまは優し過ぎるんです』
玄関先。石段の上。
2人はしばらくの間、涙を星に照らした。
『気を狂わせればいいだけでした』
「何がだ?」
『魔女の振りです』
※第98話「ギロチンの刃」に挿絵を掲載致しました。




