107~蟹男・農機具小屋
ヨーセスとヴィーゴにすれ違ったペトラ。
2人にヘルゲの館の玄関ドアの鍵を放った。
「あ、そうだ。今な、変な輩と擦れ違った」
「変な?」
「ああ、気をつけな。見た事もない男」
「なんで変な奴だとわかる?」
「両手にハサミを持っていた」
「え?」
「ダボダボのオレンジのプールポワンに羊の毛皮の白い上着。真っ黒な、、それもダボダボのズボン。ステッキを腰に差していた」
「なんだそりゃ?」
「毛皮にオレンジに、ハサミ、、、まるで毛ガニじゃないか」
「しかもだ。横ばいに私の横を」
「カニだ」
「そいつはどこに向かったの?」
「方角はヘルゲとドロテアが逃げて行った方だ。ま、一本道だから」
「ヨーセス。そんな奴のことはどうでもいいよ。それよりもヘルゲの館の宝と、アデリーヌだ」
「そうだな」
「ま、気をつけろと言うことだ。通り魔かもしれぬ」
そう言うとペトラはそそくさと帰って行った。
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『おい!ヘルゲ!どこまで走らせる気だ! 逃げる当てはあるのかい!? 私はもう限界!』
ドロテアはヨロヨロとして、その足を止めた。
「この辺りは農村。隠れる場所が、、、遠目にも見つかる」
『なんだいッ!あんたッ!行く宛もなく飛び出したのかいッ!』
「仕方ないだろっ! もう追っ手はすぐそこまで来てるんだっ!」
ヘルゲは一人で先をひた走った。
『ハアハア、、、』
ドロテアは両手を膝の上に置いて屈んだ。
しばらくそのまま下を向いていたが、息が落ち着いたのか、また上を向いた。
畑の中の一棟の小屋。その目に映った。
『おや?ヘルゲぇ~っ!、あそこに見える建物はぁ~?!』
「んん? あれはぁ」
ヘルゲも立ち止まると、少し小高いその道から、右手を眉間に当て目を細めた。
「ああ、あれは農機具小屋だ」
『農機具小屋? 中は汚いのかい?』
「まあ、うちの薪小屋みたいなもんだぁ」
『もう良い。私は走れない。そこに一旦隠れて休もう』
「しかし、誰の持ち物かわからんぞ。この辺りの農民の小屋だと思うが」
『アホンダラ。お前なにを言っている!そんなもの!ここは私たちの領地!農民は私たちの土地を耕しているだけだ! だからあの小屋だって私たちの持ち物だ!』
「、、、じゃ、借りるか。そこで休もう」
『借りるんじゃないよ!ヘルゲ家の小屋だ!』
2人はそれでもそぞろ歩きにその小屋の扉を開けた。
古い白樺の小屋。
中は干し草で大半が占められていた土間造り。湿り気の無いその草の香りが心地よく鼻を突いた。
ドロテアは中に入ると、枯れ草の上にヘタリ込んだ。
こんな草の上に横たわったことのなかったドロテアだが、余りに気持ちの良いクッションとその香しい草の匂いにウトウトし始めた。
「こんな非常時に、よく眠れたものだ」
しかし、走って来た足の腫れは、ヘルゲの瞼にも蓋をし始めた。
さわやかな西風が小屋の内壁をも摩っていった。
すっかり寝込んでしまった2人。
いつの間にか小屋の壁板の隙間から、オレンジ色が斜めに襲って来た。
静かな農村の夕刻であった。
塒に帰る小鳥の囀りに混ざった音。
それと一緒だった。
シャカシャカ カチャッカチャッ
何やら鉄が摺れるような音であった。




