105~一人芝居の女
火はまだ燻ぶっていたが、片付けを始めた反物屋の女将は燃えてしまったボロ布をせっせと乾物屋の入り口にゴミとして掃き出した。
乾物屋の親父はなすすべなく番犬とそれを眺めていた。
その周りにはまだ野次馬が屯していた
まだ火の手天井高く立ち昇っていた時のことだ。
乾物屋から5軒先の床屋に女が現れた。
床屋と言ってもこの時代。外科の治療も施す理髪外科医。
浣腸、蛭吸い、抜歯に止血、腫物除去、悪い血を外に吐き出す瀉血まで行った。
つまり、人の体に刃物を入れるというのは肉でも髪でも同じであった。
これ以前は修道士の役目であった外科手術。
いつの間にか民間の床屋が行うようになり、医療の崩壊を生み出した。
『ここの主人はどこに言った?』
尋ねられたのは椅子に座ったまま首下に黒いマントを巻かれた男。
髪を切りに来ていた老紳士であった。
「あ、今な。近くで火事があったらしくてな、ちょっと様子を見に行くと言って出て行きおった。わしをこのままにして。ま、どっちにしろわしは今身動きがとれん。髪もセットの前だしな。ハハッ」
老紳士は巻かれたマントで首を動かすのが面倒なのか、女の方を見ずに答えた。
『これは好都合。切る物はあるかい?』
「ハサミは持ったまま見物に行ったようだが、、、その辺にあるんじゃないか? ここは理髪外科だ。そう、そこの引き出しにでも」
女はその客人の前に回り込むと、紳士の突き出た腹を左手で抑えて、その前にあった棚の引き出しを引っ張った。
「おや、お顔を拝見するにとてもお美しい。この界隈のお嬢さんかい?」
目の前に来た女の栗毛の髪が、老紳士の頬を摩った。
「ん?臭い。燻した煙の臭い。どこから来なすった?」
その女はそれに答えるべくもなく、引き出しから大きなハサミを取り出した。
いきなりのことであった。
そのハサミを頭上に持っていった女は、バッサバッサと自分の栗毛を切り出した。
「やめて~!」
自ら切っているのに、甲高い声。
「やめてったら、やめて~! 手を止めて~!」
老紳士はキョトンと目を丸くした。
『ハハハッ!黙って大人しくしていろ!坊主にしてしまえば私とわからぬ!』
「きゃ~!」
『短く切り刻んでしまえば、男? 修道女? それにしか見えぬわ!ハハハッ~』
「きゃ~!」
(ん?一人二役ぅ?!)
老紳士はマントの下から両手を上げて仰け反った。
その勢いで椅子がバタと後ろに倒れた。
「わあわあ~! おい!お前~! どうしたというのだぁ~! なにを一人芝居をしておる~! 切りたくないならその手を止めればいいではないか~!」
振り向いた女。
『うるさいんだよ! 手は止めないんだよ!』
寝転がってしまった客人の老紳士。
その黒いマントの上に、バサリバサリと切られた女の髪が落ちて来た。
※104話~「ネネツの血・極寒のアミニズム」に挿絵を掲載致しました。




