102~上が変わろうが市民の暮らしは変わらない
「あれ?わたくし。よ~く考えたら逃げる必要がございませんわ」
召使のペトラは走りながら、そう口にした。
「なんで?」
ヘルゲが聞き返した。
「だってそうでございましょう。狙われてるのはお宝。つまり男爵殿のあの館。わたくしが逃げることございませんわ」
「確かに」
「わたくしの家など、何もございません。拾った黒い子猫がいるくらい。金目の物などな~んにもない。海賊が来たって素通りですわ」
「しかし、そんな奴らが来たらぁ町ごとやられて、、、ほれ、あの火事が良い例だ。ハアハア。それにこの地を奪われるようなことがありでもしたら」
「あ~、けどそこはぁ。わたくしたち市民は上がどう変わろうと、あまり暮らしは変わらないのですよ」
「なんだとう?」
「あのぅ、わたくしぃ、家に戻ってもよろしいでしょうか?」
『おい!ペトラ!裏切る気かいっ!』
そこでようやくドロテアが声を荒げた。
「いえいえ、裏切るもなにもわたくしが逃げる必要がないと申しておるわけでして」
『ええ~い!勝手におし! ハアハアハアッ』
「では帰宅の許可が下りたということでよろしいでしょうか?」
ペトラはそこで立ち止まると、クルリと向きを変え、スタスタと家路に向かった。
途中、振り返って一度お辞儀をしてみたが、ヘルゲとドロテアは大きく肘を後ろに突っぱねながら砂利道を跳ねていた。
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「あれ?降りて来るよ。ヨーセス」
「ペトラじゃないかい?」
「また妙に落ち着き払って。ヘルゲとドロテアに嘘がバレたかな?」
「ペトラは何も聞いてないのかな? 慌ててる素振りが全くないよ」
「おーい!ペトラの婆さん!」
「おやおや、なんだい?ヨーセスにヴィーゴ。慌てとらんようだが」
「聞いた?」
「聞いたよ」
「海賊が」
「襲ってくる」
「そう。逃げないの?」
「逃げない」
「なんで?」
「海賊がうちの貧乏屋敷を襲うもんですか。ハハッ! それに若い娘ならいざ知らず、このまま海賊どもと擦れ違ったって、見向きもせずに横切られるわい。ハハッ!じゃあなっ!」
「あ!ちょっと待って!聞きたい事が! で、ヘルゲ達はまだ館に?」
「とっくに逃げ出したわい。裏の砂利道をギッコンバッタン」
「へへッ。もぬけの殻ってわけだ」
「なんだい?お前らその顔は?頬を吊り上げて笑うのはおよし!」
「笑っちゃいないよ。引き攣っただけ」
「怪しい」
「だって、ヘルゲとドロテアがいなくなったらこの街はおしまいさッ」
「口が上手くなったわね。思ってもいないくせに。ほら、ヘルゲの館の鍵。わたくしの持っている合鍵、置いて行くわよ。欲しいんでしょ?」
「あ、ああ、あ、まあな。頂けるものでしたら、、、」
「お礼はとっ。そうねえ、、【I-M】って入っていない指輪かペンダントでいいわ」
「え?」
「、、、3点くらいあれば」
「ペトラ。なんで知ってるの? そのイニシャル」
「ハハハっ。何年あの館で奉公していると思ってんのよっ。はい!ほら!鍵!」
ペトラはエプロンの前ポケットからそれを取り出すと、ヨーセスとヴィーゴに向かって放った。




