お風呂タイム
日曜になってもシオンは弱っていた。
マッサージと軟膏の効果か、昨日よりはだいぶ体は楽になったよとは言うものの、朝食の席に現れた彼の歩き方は小鹿のようだった。
「筋肉痛にはタンパク質がいいらしいぞ。卵を食え」
「気持ち悪くて……」
シオンは一口二口だけ朝食に口を付けると、よろよろと自室に戻っていった。
アトーレは心配そうにその後ろ姿を見送った。
「シオン殿は大丈夫であろうか。あれほどの運動、戦士たる我にすらきついものであった」
「戦闘時はもっと動いてるだろ?」
「暗黒鎧を着けている限り我は疲れぬ。だが生身での我が体力は人並みである。いまだ筋肉痛がとれぬ」
「おらがマッサージしてあげるだよ」
「私は体の操縦がうまくなった気がする。カラテ、またやりたい」
「近いうちにまた平等院に行くつもりだが……シオンはそれまでに回復するだろうか」
「難しいかもしれぬな……」アトーレは腕組みした。
平等院VS闇の塔の、血で血を洗う戦争を回避するため、ぜひシオンにはカラテ練習についていけるだけの体力をつけてほしい。
だがそんなことが可能なのだろうか。
シオンだけでなくアトーレもオレも疲れ果てている。
なんとか疲れを取る方法はないか。
「…………」
ラゾナにもらった軟膏はあとで追加で仕入れてこよう。
ゾンゲイルには疲労回復に効きそうな料理を作ってもらおう。
ラチネッタには疲れている者をマッサージしてもらおう。
だがまだ足りない。
疲労回復のために、何かもっとできることはないのか……。
「あ、そうだ」
良さげなアイデアを閃いたユウキは、昨日ソーラルで買ってきたお茶菓子片手に迷いの森に向かった。
*
迷いの森の精霊であるイアラはすでにセカンドハウスから、いつもの沼のほとりへと戻っていた。
エクシーラに首を切り落とされたネクロマンサーはやはり絶命しなかったようで、いつの間にか沼のほとりから姿を消していたそうである。
「この前は迷惑かけたな。お詫びと言ってはなんだがこれを受け取ってくれ」
ユウキはイアラにゴモニャのモコロンを差し出した。
「なんじゃ、いつものお菓子か」
「秋の新作フレーバーだ」
「お茶を入れるケロ?」
半裸少女形態のケロールが木のウロからお茶セットを取り出そうとした。
「いや、モコロンは後で二人で食べてくれ。今日は頼みごとがあるんだ。二人で塔に来てくれないか?」
「ケロールだけでなくわらわもか?」
「ああ。どちらかと言えばイアラに頼みがあるんだ」
「ま、魔術師との契約などわらわはせぬぞ!」
「その魔術師が今、弱ってるんだ。イアラの自然エネルギーで回復してやってくれないか」
「……なぜわらわがそのようなことをしなければならぬのじゃ」
「オレを回復してくれただろ。その延長で頼む」
「いやじゃ。わらわは魔術師は好かぬ」
「そこをなんとか」
「奴らは小難しいことばかり話して、学のないわらわを馬鹿にしておるのじゃ」
「確かに、魔術師ってそういうところあるよな」
「そうじゃ。ユウキも魔術師とはあまり親しくせぬ方が良いぞ。あの塔からわらわのセカンドホームに越して来るといいぞ」
「そっちにはいつか遊びに行くとして……頼む、この通りだ!」
ユウキは『粘り』を発揮してイアラに頼み込んだ。
「まったく……仕方ないのう」
イアラは木のウロから『共通語入門』を取り出すと小脇に抱えた。
「いくぞ、ケロール」
「ケロケロ」
三人は塔に向かって歩き出した。
*
しばらくすると塔に到着した。
ユウキは二人をシオンの部屋に案内した。
イアラは緊張しているのか人見知りなのか落ち着かない様子だ。
代わりにケロールが毛布にくるまっているシオンに話しかけた。
「起きるケロ」
「う、うわっ。誰だい? いつの間に……いたたた」
毛布から半身を起こしたシオンは筋肉痛に顔をしかめた。
「安心しろ。オレが連れてきた」
「こちら、迷いの森の主のイアラ様ケロ」
「…………」
イアラはおろおろした様子で手元の『共通語入門』を高速でめくっている。
「今日は闇の塔の主であるお前に、イアラ様が自然エネルギーを送りにやってきたケロ。ありがたく思うケロ」
「そういうわけだ。シオン、寝てていいぞ」
「そ、そんなわけにはいかないよ。初めてお目にかかります。僕はタワーマスター・シオン……いてててて」
彼はベッドから降りて挨拶しようとしたが、やはり生まれたての小鹿のようによろけている。
「よ、弱っておるのか?」イアラが小さな声を発した。
「ふふっ……少々お待ちください。今、歴代のタワーマスターとあなたが交わした契約書を持ってきますので。それをもとに話を進めましょう」
よろよろと歩き出したシオンを尻目に、イアラはユウキの作業着の裾を引っ張った。
「やはり魔術師は好かぬ」
「まあまあ……おいシオン。契約書は別にいいから、とにかくイアラに自然エネルギーを送ってもらえよ」
「……そんなわけにはいかないよ。精霊とは常に契約のもとでギブアンドテイクの関係を維持しないと、いつ裏切られるかわからないんだからね」
すべてをコントロールしないと気が済まない魔術師の弱さが透けて見える発言である。
こんな思想を持った奴らと何代にも渡って付き合ってきたわけか。なるほど、イアラの魔術師嫌いも肯けるというものである。
イアラはシオンのベッドの足を蹴ると言った。
「ふん。やっぱり魔術師にはうんざりじゃ。帰るぞ、ケロール」
「ふふっ。それでいいんだよ。僕は精霊などに借りを作るつもりはないからね」
「おい、待ってくれ、イアラ」ユウキは精霊を追いかけた。
だがイアラは待たなかった。
自然エネルギーをシオンにチャージする計画は瓦解し、闇の塔と迷いの森の関係も悪化したかに思えた。
「なんてこった……」
ユウキは自らの軽はずみな行動が招いた結果を後悔しつつも、とりあえず沼まで送っていこうとイアラを追った。
*
イアラは塔を出て、最短距離で沼に帰ろうとしてか塔の裏手に回り込んだ。
と、野天風呂の前で足を止めた。
「なんじゃ、これは?」
「ん? これは野天風呂と言って露天風呂の上級版だ。そもそも露天風呂は何かというと……」
ユウキの説明を聞いたイアラとケロールは顔を見合わせると、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「は、入ってみたいケロ」
「わらわは別に……こんな人間の作った泉など……」
そう言いつつも明らかに入ってみたそうな顔をしている。
ケロールはカエルということで水場が好きそうであり、必然的に風呂も好きそうである。
イアラもいつも沼のほとりにいるわけで、もしかしたら水につかることが好きなのかもしれない。
「入っていくか?」
「い、いらぬ! わらわは魔術師に自然エネルギーなど決して送らぬぞ! 嫌いなのじゃ!」
「別に自然エネルギーはいいから、闇の塔の誇る野天風呂に入っていってくれ。いつも沼に遊びに行ってるお礼だ」
ユウキは風呂の準備を始めた。
*
風呂上り、イアラは湯気を立ち上らせながら更衣室から出てくると言った。
「自然エネルギーをこの風呂とその周りの空間にチャージしておいた。しばらくの間、この風呂を使ったものは勝手に回復するはずじゃ」
「まじかよ。助かる!」
「べ、別にあの魔術師のためではないぞ。この素晴らしい風呂なる設備へのお礼じゃ」
「いい湯だったケロ」
「一週間もすれば自然エネルギーの効果は切れるはずじゃ。もしユウキが望むのであれば……またチャージしにきてもいいが」
「ぜひ頼む。毎週、風呂に入りに来てくれ」
「行くぞ、ケロール」
「ケロケロ」
二人は森へと帰っていった。
*
風呂に入ったシオンは元気になった。
アトーレも一瞬で筋肉痛が回復したという。
「すごいです! 肌艶も良くなった気がします」風呂上りで薄着のアトーレは素の口調でそう言った。
残りの各員も風呂に入り自然エネルギーがチャージされ大いにリフレッシュしたようである。
ユウキも自律神経が整うのを感じた。
元気になったシオンは作りかけだったゾンゲイルの新ボディを一気に完成させた。
新ボディはイース・コラルの人形姫の造形を基に作られている。
ただ立体造形のプロではないシオンの手によるものなので、人形姫ほどの異様な魅力はない。
その代わり街の花屋さんで働いていそうな素朴な魅力を感じる造形となっている。
「かわいくて働き者って感じだな」
塔の一階のゴミゴミした作業所に立つそのボディを眺めて評論していると、うつろだったその瞳がいきなり光を持って輝き出した。
「ありがと。私、たくさん働く」
「うおっ。動いた!」
「ふふ」
ゾンゲイル新ボディは微笑むと、いそいそと作業所の掃除を始めた。
*
夕食前には食堂でシオンによって先週一週間の振り返りが行われた。
石板にデータが表示された。
・倒した敵
アンデッド×218体
フレッシュゴーレム×5体
「先週後半からまた敵の数が増えたな。しかもゴーレムまで混ざってやがった」
「やっぱりこの襲撃には黒死館が関与してるんだろうね。戦力を小出しにしてることにも何か意味があるのかもしれない」
「意味というと?」
「僕らを塔の防衛に釘付けにしたいのかもしれない。だとしたら僕らはそれに逆らって、先手先手を打って外に出ていかなければならないよ」
そういうシオンの瞳にはかつてない力が感じられた。
自然エネルギーがチャージされたことで発想が前向きになっているのかもしれない。
ついでシオンは獲得したアイテムを発表した。
・敵から得たリソース
黒闇石(小)×9
黒闇石(中)×4
万能肉 10キロ
換金用アイテムと貴金属 およそ15万ゴールド分
「まあ、なかなかだな」
「黒闇石は塔の補修とパワーアップに使ってるよ。先週は特に一階の『物質のクリスタル』と作業台が大幅に進化したよ」
「進化して、どうなったんだ?」
「僕はそんなに得意じゃないけど、これからは建設魔法によって色々な物を作ったり工事したりできるよ」
「例えば?」
「ふふっ。そうだね。裏のお風呂を、もっと使い易く改修できそうだね」
「まじかよ。最高だな。ぜひ風呂を使いやすくしてくれ。沸かすのかなり大変なんだ」
シオンはうなずいた。
そして最後に、今週の行動方針について語った。
「僕は……このままではとても百人組手には出られないよ」
「なんだ、諦めるのかよ」
「うん。時間もない。普通のトレーニングだけで強くなるのは諦めるよ。その代わりに……これを見て欲しい」
シオンは古びた手帳を広げた。
アトーレと三体のゾンゲイルとユウキがそれを覗き込んだ。
「ん? これは『ミカリオンの手帳』じゃないか。ラチネッタから借りたのか」
「うん。ラチネッタ君の祖先が書き残したこの迷宮攻略の手引きによれば……大穴の地下迷宮第三層には『秘薬庫』なる部屋があるようなんだ」
「『秘薬庫』だと? 中に何があるんだ?」
「ふふっ。『秘薬庫』にはその名の通りいろいろな魔法の薬が常備されているそうだけど、僕に必要なのは『体力増強の秘薬』だよ」
「なるほど、シオン殿はそれを飲んで体力を増強するつもりなのであるな!」
シオンはアトーレにうなづいてみせた。
「うん。それを飲めば、きっと僕は平等院のトレーニングに耐えられるようになるはずだから……」
「今週は『秘薬庫』を目指して皆で迷宮を攻略するだよ!」
すでにシオンと話をつけていたのかラチネッタが目をキラキラさせてそう叫んだ。
三体のゾンゲイルが大量の料理を食卓に並べ始めた。
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