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世界情勢

 エクシーラは三日三晩、こんこんと眠り続けた。


 戦いで脳に障害でも負ったのではないか。そういえば眠りに落ちる前にかなりの奇行に走っていたしな。


「大丈夫なのか……」


 ユウキは不安に駆られて何度もエクシーラのゲストルームに様子を見に行った。


 寝顔は安らかで呼吸も正常だ。


 千年も生きているエルフとなると、常人の想像を絶した睡眠リズムというものがあるのかもしれない。


 心配であったがエクシーラを放置して、ユウキは自分がすべきことを進めることにした。


 自分がすべきこと、それはナンパ、バイト、それに作曲だ。


「私、『君のおかげ』をマスターできた!」


 月曜の夜、星歌亭でのライブ後にゾンゲイルが、カウンターの中のユウキに飛びついてきた。質量を受け止めてよろけながらユウキは聞いた。


「危なっ。マスターというと?」


「どんなに調子が悪い日でも完璧に歌えるようになったの」


「ゾンゲイルに調子が悪い日なんてあったのか」


「ある! 月の満ち欠けに関係してるみたい」


 外から見ると常に一定のコンディションを保っているように見えるが、内部ではゾンゲイルなりにいろいろ気持ちの揺れ動きがあるらしい。


「それでユウキにお願い。新しい歌を作って!」


「うーん……」


「いや?」


「いやじゃないけど……いい曲を作れるか不安だな」


「よくない曲でも、ユウキが作ってくれたら嬉しい」


 確かに、オレがどんな曲を作ってもゾンゲイルは喜んで歌いそうである。逆にそれがプレッシャーなんだが……。


「わかった。作ってみるよ」


 というわけでナンパやバイトの合間にユウキは曲の構想を練りはじめた。


 練ると言っても、もやもやと悩んでいるだけであり、実際の作業はぜんぜん進まなかったが……。


 *


 エクシーラは水曜の夕方に目覚めた。


 ゾンゲイルを除く全メンバーは、エクシーラに対する尊敬の念をますます高めつつあるようだった。


 エクシーラを塔の裏の風呂に案内した後で、各メンバーはヒーローに接した小学生のように浮き足だった。


「我はどうしてもエクシーラ殿に聞かねばならぬ。あの伝説の『アビス撤退戦』の真実を」


「ふふっ。今日はご馳走を作ってほしいな。前回の防衛戦に勝てたのは、よくよく考えればやはり彼女のおかげだろうからね」


「おら、ソーラルに高級食材を買い出しに行ってくるだよ」


「おい、ちょっと待てよ。前回の戦い、あいつはほとんど関係してなくないか」


「ユウキ殿は物事の表面しか見ておらぬ。エクシーラ殿が迷いの森でネクロマンサーと三日三晩、孤独な苦しい戦いを続けてくれたが故に、ゴーレムによる塔への攻撃はあのように単調だったのだ」


「そんなもんか……」


 風呂上がりのエクシーラはこざっぱりとしており、確かに、そこはかとなく英雄のオーラが感じられた。


 だが英雄がどうとかと言うよりも気になることがあった。


「あのさ……」ユウキは風呂上がりのエルフにさりげなく声をかけた。


「なに? お風呂の提供に感謝するわ。私はすぐにこの塔を立ちます」


「この前の夜のことだが……」


「夜? 夜がどうかしたというの? 夜には私は寝ていただけよ」


「ま、まさか、何も覚えてないのかよ」


「『精神解放の薬』を飲んだことは覚えているわ。薬によって表に現れた私の潜在意識は、戦いに出るよりも深く休息することを選んだようね。今にして思えば、それは正しい選択だとわかるわ」


「あんた……薬を飲んだ後、オレに……」


「何? 私は夢も見ずに寝ていただけよ」


 本当に覚えていないのか。


 わからない。


 だがとにかく、踏み込んで来るな、という壁を感じる。


 もはやその壁を超えて、このエルフと一線を越えることは不可能に思われた。


 *


 夕食の席には豪華な料理が並んでいた。


 ラチネッタはエクシーラの杯にソーラルで仕入れてきた高級酒を注ごうとした。


 だがエクシーラはそれを止めた。


「今晩も襲撃があるんでしょう?」


「ここ数日はアンデッドが散発的に襲ってくるだけだから大丈夫だべ。そもそも飲酒後に戦うことにおら達は慣れてるべ」


 エクシーラは呆れた様子を見せた。


「信じられないわ。酔った状態で戦いに及ぼうだなんて」


「真面目かよ」


「なんて不真面目なの!」


「こっちはな、戦いが日常と化してるんだよ。毎日の夕食でリラックスタイムを持つことで、メンタルヘルスをなんとか保ってるんだ」


「リラックスタイムですって? 気を抜いているときに敵に襲われたらどうするつもり? 師からこの悪滅剣を受け継いだあの日から、私はリラックスして気を抜いたことなど一度もないわ!」


「へへえ! さすがエクシーラ様だべ!」


「ふむ。これが真の英雄の意識の持ち用であるか。我も見習う必要があるな」


「ふふっ。一言一言に歴史の重みが感じられるね。メモしておかないと」


 シオンは石板にメモしながら、ゾンゲイルに水を持ってくるよう頼んだ。


「はい。お水」


 しばらくしてゾンゲイルが持ってきた水差しをシオンは受け取り、手ずからエクシーラの杯に注いだ。


「ふふっ。僕たちの非礼をお詫びするよ。塔の裏の源泉から汲んできた清水、伝説のエルフの冒険者の口に合うかどうかはわからないけど、ぜひ飲んでほしい」


「お、おらも今日は水にしとくだ」


「我もいつも通り、水を頂こう」


「オレは……酒を飲むぞ」


 酒に弱いユウキは普段はノンアルコールで済ますことが多かったが、塔のメンバーがエクシーラに同調する中、あえて今日は飲むことにした。


「ユウキが飲むなら私も」


 ゾンゲイルはユウキと自分の杯になみなみと高級酒を注いだ。


 非難するようなエクシーラの視線を感じながら、ユウキは酒の杯を傾けた。


 *


 食事が一段落したあとで、エクシーラが世界の現状を皆に説明した。


 闇に属する者たちのパワーバランスが乱れ、怪しげなものたちが各地で活動を始めつつあるという。


「今回、私が直接ぶつかった『黒死館』それに『平等院』や『動物園』などなどと言った組織が急速に力を付けつつあるわ」


「『平等院』? 聞いたことがあるぞ」


「マジックアイテム狩りをしている組織よ。目的はマジックアイテムによる世界征服……そんなところでしょうね」


「『動物園』ってのはなんなんだ? ものすごく平和そうな組織に聞こえるが」


「各地の魔獣を支配し世界征服を企んでいる組織よ。私の調査によれば、猫人郷とも関係があるようね」


「そ、そんなことないべ! おらが村は世界征服だなどと大それたことは……」


 だがラチネッタの声はだんだん小さくなっていった。どうやら思い当たる節があるらしい。


「そう言った小組織の乱立と共に、邪神の眷属がアーケロン大陸の各地で蘇りつつあるわ」


「そのものどもには我ら暗黒戦士が当たっておる。決して人里には近づけぬ」


「そうね。邪神の眷属にはハイドラと大オーク帝国が個別に対処しているわ。だけど、先日の『黒死館』による離間工作で、ハイドラとオークたちの間に戦争が起こりそうなのよ」


「まじかよ。戦争なんて起きたら邪神の眷属に対処できなくなるんじゃないのか?」


「それはハイドラの上層部も、大オーク帝国の支配層にもわかっているわ。だからハイドラの姫騎士と大オーク帝国の戦士たちは今、ソーラルに向かっているわ」


「なんのために?」


「わからないの? 中立都市であるソーラルで和平の儀式を行うのよ」


「ふふっ。初代姫騎士と百人のオーク戦士の間で行われた史実を再現する儀式だね」


「あの儀式はなんとしても成功させなければいけないわ。でないと戦争が始まり、邪神の眷属によって世界は滅ぶでしょう」


 オレがナンパとバイトに明け暮れてる間にいろいろ世界情勢が動いていたらしい。


「他にも気になる動きがあるわ。ソーラル市議会が『大穴』からのミスリル採集の規模をどんどん広げているのよ」


「確かに、日に日に現場の労働者の数が増えてってるな」


「ミスリルは光の魔力の媒体となる鉱物よ。そしてソーラル市議会は、光の魔力の制御と活用に習熟した集団。その力によって世界征服を目指しても不思議ではないわ」


「はあ……いろいろあるんだな」


「そして……あなたたち」


「オレたちがどうかしたか?」


「あなたたち『闇の塔』もまた、依然として私の監視対象よ」


「ふふっ、どうしてかな?」


「この破邪のサークレットが、日に日にこの塔に集中するエネルギーを感じているのよ。この乱れつつある世で、この大きなエネルギーを用いて、あなたたちは何を為そうというの?」


「オレたちは別にただこの塔を守ってるだけだぞ」


「守るだけ? 受動的ね。老人と変わらないわね」


「自分も年寄りだろ、老人への差別的な物言いはやめろよ」


「わかったわ、正確に言い直しましょう……意志の力が弱っているわね。嵐のように動くこの世界の中、自らの意思を持たないものは、自らを守ることすら果たせずに、ただ強きものに奪われ続けるだけよ」


「なんだと。言いたい放題言いやがって」


「あなたたちは何をこの世界に打ち出そうというの? どんな価値を大切に思い、どんな形でそれを世界に表現しようというの?」


「それは……あ、アレだ。そう、こ、コミュニケーションだ。コミュニケーションの大切さをオレは世界に訴えたいんだ。戦争とかが起こるのはコミュニケーションが足りないからだ」


「そんな子供みたいなふわふわした話で誰が納得すると思うの?」


「……わかった……仕方がないな。教えてやる。オレの真の目的はナンパ……」


「ふ、ふふっ、とにかく僕たちはね! 邪神が蘇るのを防ぐために戦っているんだよ!」

  

 シオンが手を振りながらエクシーラとユウキの間に割って入った。


 エクシーラは全員を一人一人ゆっくりと見つめると言った。


「アーケロンの正義を守るものとして……警告しておくわ。もしもあなたたちがごく僅かでも悪に飲まれる気配があるなら、この破邪のサークレットがどんなに離れていてもそれを見つけ、この悪滅剣がその野望を必ず切り裂く!」


 シオン、アトーレ、ラチネッタは息を飲んだ。


 伝説の英雄の英雄的な台詞を直に聞けたことに感動しているのか、ブルブルと震えてすらいる。そんな中、ゾンゲイルは酒を美味しそうに飲んでいる。


「…………」


 エクシーラは席を立った。


「あなたたちは私が探っている中でも特に大きなエネルギーの中心よ。だからまた近いうちに監視に来ます」


 そう言い残すとエクシーラは食堂を出て、塔を出て夜の闇の中に消えていった。


 皆はその背を見送った。


「また世界を守る冒険に出たんだべ。なんというヒロイックさ……はあ……憧れだべ」


 エクシーラが消えた夜の闇を見つめながら、塔の正門でラチネッタがため息をついた。

お読みいただきありがとうございます。

少しずつ広がっていく異世界ナンパの世界、この後もお楽しみください。

次回は来週月曜更新予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 意識高い系陰謀論者エルフとそれに感化されてしまう面々、というのがとても皮肉っぽくて面白いです。 我関せずのゾンギエルと、少し離れた立ち位置のユウキ君とでバランスが取れていて、これは良い構図…
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