月面のドックに
「問題があります」
「何かね、総務部長」
「あの艦をそのまま使うにはあまりに無理があります。
同時に鹵獲した艦にはしっかりと改修工事に向かわせたのに、より古い艦にそれをしないと、彼が失敗してもその整備を理由に我々が責を問われかねません」
「整備させればいいだろう」
「予算をどうしましょうか」
「経理部長、何か案はあるかね」
「そうですね……
唯一あるとすれば、陛下より頂いた整備費用の一部を充てることですかね。
あの費用は整備費用の名目で頂いておりますが、船の指定はありません。
一部を回せば出せないこともないかと」
「それいいかも。
総監、その案採用しましょう」
「何か思いついたのか」
「はい、ごくわずかな金額を彼に与えて、整備まで任せれば、全くの経験の無い彼ですからその段階で失敗しますよ。
私だって急にそんなことを言われればやれる自信がありませんから、学校出たての彼には無理な注文だと思います。
これは私の予測ですが、付けられた予算を無駄にするか、全く使えないで整備ができないかのどちらかと思います」
「おお、それなら十分に降格の理由になるな。
どうでしょうか総監。
私は彼の案に賛成します」
「どうかな経理部長」
「ハイ、頂いております予算が600億ゴールドですから、その1/10いや1/20の30億ゴールドで戦闘艦として活躍できる武装を含む整備を命じれば良いかと思います。
如何でしょうか」
「あの航宙フリゲート艦の改修工事の期間はどれくらいを見てあるかね」
「まだドックでの見分が済んではおりませんが、聞くところによりますとメインエンジンの交換が必要かと、それなら1年は見ませんといけないかと思います」
「よし、その船の1/4の3か月でやらせよう。
それくらいなら貴族たちも我慢はできるだろう。
これで決まったな」
「ハイ、では彼には航宙駆逐艦の艦長代理として、部下をそのまま付けるという方向で。
増員は必要かとは思いますが、それも整備状況を見てからということで。
最初の命令を整備として期間を3か月で命じます。
残りは、一応艦船の登録になりますので、艦船名とその所属ですね」
「そんなのどこでもいいだろう。
どうせありえない話だからな。
総務のままで構わない。
どこに付けても経歴に傷がつく。
総務ならラインでの失敗に関しては経歴に傷などつかないだろう。
ところであいつは今何をしているのだ」
「ハイ、今日あたりに到着かとは思いますが、あのフリゲート艦を月面にあるドックに回航させております」
総監たち軍からの人間は一瞬不吉な予感を感じた。
学校出たての士官に回航と云うほとんど研修航海に近い作業とはいえ実務を経験させていたことに。
しかも、それが成功しそうだと云うことに位打ちが失敗に終わるのではないかという予感を感じたのだ。
その悪い予感を打ち払うために、皆一様に彼は学校で経験したこと以前に、全く未経験の整備をさせるから大丈夫だと、自分たちを納得させていたのだ。
もうこれ以上会議室にいる意味の無くなったコーストガードのお偉いさんたちはそれぞれの仕事に散っていった。
なにせ全く2日間自分たちの仕事ができていない。
ナオ・ブルース少尉の処遇を決めるだけで2日間時間を取られていたのだ。
その当人は何も知らされることなく、間もなく月面のドックに近づいていた。
「隊長、無線が入りました。
軍工廠所属のタグ宇宙船からこちらに乗船の許可を求めております」
「直ぐに応答せよ。
乗船許可を出せ」
「はい」
「こちら航宙フリゲート艦。
貴殿の乗船を許可します。
乗船方法をお知らせください」
「パーソナルムーバーで飛び移ります。
艦橋下のエアロックからの乗艦を許可願います」
「許可します。
艦橋にてお待ちしております」
それから10分と掛からずに艦橋に案内人と称する技術大尉がやってきた。
「月面工廠 エリア内案内部署所属トール大尉だ。
この船をこれから第13号ドックに入渠させます」
「この船の艦長代行をしておりますナオ・ブルース少尉です。
ただいまより操船指揮権をお渡しします」
「操船指揮権をお受けします。
ここまでご苦労様でした。
もうしばらくですので一緒にがんばりましょう」
そう挨拶を受けたら、直ぐに彼は操舵輪を握っているカスミの横に移った。
カスミやマリアに色々と細かな命令を出しながら船を操っている。
外からは彼の指揮下にあるタグ宇宙船がサポートしている。
いくら地上の重力の1/8とは言え、メインエンジンが使えない状況での月面上への着陸だ。
相当に神経を使う作業が続いたが、それも1時間ほどだった。
カスミの操縦技術もすごいのだが、何より案内人として乗艦してきたトール大尉の技術が卓越していると言えるのだろう。
ここは軍港のしかも修理を専門とする部署だ。
この船のように壊れた船を着陸させることも多いのだろう。
外のタグ宇宙船と協力して本当に無理なく月面に着陸できた。
着陸後、直ぐにドックの方から第13号ドックのドック長が艦橋に部下を引き連れやってきた。
俺の仕事は、このドック長に船を明け渡すのみだ。
「第13号ドック キールだ。
少尉のことは話に聞いている。
歓迎するぜ」
「ありがとうございます。
まず先に形式だけでも、良いですか」
「おおそうだったな。
キール技術少佐だ。
この船を引き取るために乗艦した」
「現在、この船の艦長代行のナオ・ブルース少尉です。
全指揮権をキール技術少佐に引き渡します」
「指揮権を引き継ぐ。
ご苦労だった」
「我らはこれより下船します」
「貴殿らの下船を許可する。
少々時間はかかるだろうが、新品と変わりない位にしてそちらに引き渡すから安心してくれと、総監殿にお伝えください」
「分かりました。
今のキール技術少佐のお言葉をそのままお伝えします。
よろしくお願いします」
そう言って俺らはそろって下船した。
月面は、軍だけでなく観光や資源開発など王国でもかなり開発の進んだ場所だ。
重力が地上より非常に小さいために実際に住んでいるのは少ないが、それでもここで働いている人の数は多い。
そのための首都とこの月面を結ぶ船はひっきりなしに飛んでいる。
俺らはドック事務所で書面を発行してもらい、本部に戻るだけだ。
「隊長、隊長。
ここなら観光しても良いよね」
「何を言っているんだ。
俺らはまだ仕事中だぞ。
遠足は家に帰るまでと云うだろう。
仕事も同じだ」
「え?
なにそれ、聞いたこと無いよ」
「え、そうなのか。
孤児院ではそろって外出するたびに言われたもんだがな。
まあ、聞いたことが無いなら気にすることはないが、本部の総務部長にこの書類をもって報告するまでが任務だ。
非常に残念な話だが、こことファーレン宇宙港との間は20分間隔で連絡船が飛んでいる。
観光などしている暇は無いよ。
連絡船乗り場に移動するぞ」
月面の基地からファーレン宇宙港までは連絡船で1時間で着く。
俺らがファーレン宇宙港に到着したら、入国ゲートのところで総務部長が待っていた。
流石に驚いたが、俺は書面を総務部長に手渡し、回航の報告をした。




