悪役令嬢とカウンター悪役令嬢 2
ベアトリスは高慢で嫌味な女だが引き際というものを弁えている。自分が矢面に立つような嫌がらせはしないし、必要以上に深追いはしてこない。
有益な情報を教えてもらって別れた後はアンナ、ノエルと共に普通にパーティーを楽しむ。
各所に置かれたテーブル、その上に並ぶ料理の数々は見た目にも楽しく、味もなかなかのもの。学生の一人から聞いたところによると食堂のスタッフが作ったものらしい。これだけ腕のいいシェフがいれば学園でのランチタイムも楽しそうだ。
騎士であるノエルは令嬢としてはかなり食いしん坊のようで、周囲に目を光らせつつもサンドイッチやフライドチキンなどをせっせと口に運んでいる。あどけなさの残る顔立ちもあって餌付けしたくなるような可愛らしさがある。
「失礼、リディアーヌ嬢。是非貴女とチェスの話がしたいのですが、お時間をいただけますか?」
「ええ、もちろんです」
「シルヴェストル公爵令嬢! 男性服について常々感じている不満があるのですが、相談に乗っていただけませんか?」
「お話を聞かせてくださいませ。解決に結びつくかはわかりませんが、新しいデザインのヒントになるかもしれません」
一人(+メイドと騎士)で歩いていると、ここぞとばかりに男性から声をかけられる。
俺が普段参加するのは女性主催のお茶会が中心。パーティーに出る時はリオネルが一緒にいることも多いため、男子が話しかけられるチャンスはあまりない。その点、屋外かつ昼間の立食パーティーなら人目もあるし健全なムードがあるので、普通に俺と話したい面々にとってはチャンスとなる。
まあ、中には「あわよくば俺に惚れさせてやる」みたいな奴がいるかもだが、俺にその気が全くないので特に問題ない。
ゲームの話やら商売の話など色気のない話題が続くのもあって周りから色眼鏡で見られることもない。
「あら、《紅蓮の魔女》様ったら年上の男をあんなに侍らせて」
「リオネル様の目がないとすぐ男漁り。恥ずかしくないのかしら」
最初から色眼鏡をかけている輩は除いて、だが。
「あの方々にはこれが男漁りに見えるのでしょうか……?」
「ははは。王子殿下の婚約者様でなければ家にお呼びしてじっくり指したいところではありますが」
「わたしとしても正直、相手に困っております。同性との対局では対リオネルさま用の練習には不向きですので」
「男女混合、複数人でチェスに興じる会などがあれば良いかもしれませんね」
「ああ、それはとても良いと思います」
要は女子が俺だけ、という状況がまずいわけで。女性貴族が複数人いる場であれば変に勘繰られにくい。
「問題はチェスの得意な女性があまりいらっしゃらないことですね」
「いえ、そうでもありませんよ」
「え?」
盤上遊戯が好きでたまらないらしいその青年は爽やかな笑顔を浮かべたままで、
「ベアトリス・デュナン様を始め、派閥の女性方が『打倒リディアーヌ様』を掲げてひそかに特訓をしていると耳にしました」
「ベアトリスさま、わざわざわたしと戦うために練習してくださっているのですか」
性格が悪いのは確かだが、努力を怠らないのは好印象である。むしろ、努力できるのにどうしてわざわざ人を貶める方向に行こうとするのか。
「それならば、女性貴族の間でもチェスが流行るかもしれませんね」
男性陣との話を終えた後は仲の良い女性貴族のところへ行って雑談に興じた。
「リディアーヌ様。先日は災難でしたね」
「ありがとうございます。もちろん反省しておりますが、正直言って道化に化かされた気分でした」
「心中お察しいたします」
俺と仲のいい女子は性格的に小細工を好まず、思ったことを素直に口に出し、嫌いな相手より好きな相手に構う傾向にある。俺自身がそういうタイプなので似た者同士が集まったのだろう。貴族女性としては少数派だが、おかげで話をしていて心地が良い。
お互いが同類だというのもなんとなく察しているので、彼女たちが慰めてくれた時は本当に心配してくれているし、行動を諫められた時はもう一度考え直した方がいいとわかる。
「オーレリア様は立場も性格も特殊なお方ですからね。良からぬ噂を口にする者も多いようです。私達も噂を耳にした程度ですが……」
「わたしとしても不用意に私見を語るわけにはいきません。その上で、そうですね。本当に安心してよいのか、という気持ちはあります」
「同感ですわ」
俺たちは穏やかに会話を交わしながらお互いの持っている情報をそれとなく提供しあった。
友人たちのもう一つの特徴としては「小細工は嫌いだが、できないわけではない」ということだ。サラのように素直すぎる子もいるものの、多くの者は周囲から浮かない程度に外面を取り繕うことができる。当然、情報収集や、出していい情報と悪い情報の選り分けもできる。
おかげでいくつか新しい情報を得ることができた。
例えば、平民街における武器の商取引が微増傾向にあるとか。学園に出入りする下働きの平民や衛兵隊の人員が不祥事を起こして退職したり、事故で亡くなった件数が去年に比べて多いとか。耳慣れない言葉で話す何者かを見た、という証言があるとか。
俺は友人たちに礼を言いつつため息を吐いて、
「わたしたち貴族は恵まれた立場にあります。……けれど、決して無敵の存在でありません。育てていただいた恩を返すためにも、善政を敷く陛下をお助けするためにも、気を引き締めていかなければなりませんね」
「お互いに頑張りましょう」
貴族、あるいは王族が狙われる可能性がある。そして、主犯は平民かもしれない。そうした意図は伝わっただろう。俺たちはそれ以上細かいことは口にしないまま、本当の雑談へと移行した。
そして。
「あの、リディアーヌ様? 少々お話をさせていただけないでしょうか……?」
「あら、なにかしら?」
俺が一人になったのを見計らって一人の少女が声をかけてきた。
見覚えはある。というかベアトリスの取り巻きをしていた一人だ。名前も簡単なプロフィールも頭に入っているが、ここでは令嬢Aとしておく。
Aの周囲に仲間の姿はない。珍しく一人らしい。こういった場合、実行犯を監視役が見守っているのがセオリーなのだが。
『あら? あれってヴァイオレットじゃない?』
疑問を抱いたところで別の知り合いを見つけた。銀色の妖精ヴァイオレット・ルフォール。向こうも俺の方を見ていたのかばっちり目が合う。すると少女はほんのり頬を染めながら慌てて視線を逸らした。
いや、なんだか勘違いしそうになるリアクションなんだが。
目立つ容姿のはずなのにヴァイオレットが少し移動しただけで俺はあっさり見失ってしまいそうになる。気配でも消しているのだろうか。そういえばこの間会った時も向こうは俺のことを良く知っている風だった。少人数の会にはあまり顔を出さない、みたいなことを言っていたし、案外人込みに紛れるタイプなのかもしれない。
「リディアーヌ様?」
「え? ……ああ、ごめんなさい。話よね。構わないけれど、なにかしら?」
俺は笑顔で少女を見つめる。歳は俺よりも三つ上。三歳違うと背丈もだいぶ違う。派閥を考えるとあまりいい話とも思えないが、攻撃を受ける前から邪険にする気はない。俺が目指しているのは「カウンター悪役令嬢」であって、無意味に人を虐げるガチの悪役令嬢ではない。
すると彼女は言いにくそうに口ごもると、周りをちらちら見る。
「その、人の多いところですと少々……。静かな場所で、二人だけで話せませんか?」
『……いや、あのね? あなたそれ、信じてもらえると思ってるなら大馬鹿よ?』
一気に脱力した。いやまあ、別に構わないが。俺は首を動かし、「さっさと断ってください」という顔をしているノエルと目を合わせる。
「ノエル。アンナと一緒にここにいてくれる? 誰かにわたしの居場所を尋ねられたら彼女と一緒だって伝えてくれればいいわ」
「リディアーヌ様」
「お願いね」
視線を戻すと、Aはわかりやすく喜色を浮かべて「ありがとうございます」と言ってくる。
俺はアンナを「大丈夫だから」と宥めた後、少女と一緒に会場の中心から遠ざかった。喧噪が遠のき、木立ちを備えた芝生が近づいてくる。
「どのくらい離れればいいかしら」
「もう少し……私達の姿が見えなくなるくらいまで。ベアトリス様には見られたくないんです。お願いですからついて来て下さい」
ある程度離れたところで少女が先導するように前に出た。ようやく彼女が立ち止まったのは、会場からでは視界の通らなくなった芝生の上。
中途半端な位置で立ち止まられたため、俺は少女を追い越して数歩の距離を移動し──右のつま先に妙な不安定さを感じた。ため息を堪えて振り返り、少女に告げる。
「止めておきなさい」
「え……!?」
意外そうに目を見開かれた。
しかし、俺の真後ろに落とし穴があることくらいさすがに気づく。貴族令嬢が土仕事をしたわけもないだろうから、魔法で掘ってカムフラージュしたのだろうか。貴族の学校である以上、芝生に足を踏み入れる人間は希少なので、関係ない者がかかる可能性は低い。
問題は、
「穴の深さによっては怪我をするかもしれないわ。もちろん、わたしは自分から落ちてあげたりしない。もし、無理やり落とそうとしたのなら、あなたはれっきとした加害者になってしまう」
「だ、だって」
少女はがたがたと震え出した。震えながら首からペンダント──薄緑色の魔石が嵌まったアクセサリーを取り出す。
「貴女が、ベアトリス様をいじめるから!」
「心外だわ。……どちらかというと、いじめられているのはこっちでしょう?」
「う、うるさい!」
魔力が注がれ、風属性の魔石が効果を発揮する。巻き起こったのは突風。少女の前方、俺へ向かって吹きつけたそれは、十歳の子供の身体をあっさりと動かした。
身体が浮く。
落とし穴の真上で解放された俺は少女へ視線を向けた。怯えたような表情。本当にどうしようもない。
苛立ちを覚えながら弱い風の魔法を起動。姿勢を制御した後、風を下向きに巻き起こしてカムフラージュを吹き飛ばす。見えた穴の深さは二メートル半といったところか。
心の準備さえできていればこれくらいどうということはない。こっちは前世で男子をやっていた身だ。小学校時代は休み時間に校庭を走り回ったりしていた。スペック的にはこの身体もかなりのものだし、魔法の助けだって借りられる。
軽い身体強化によって無事着地した俺は、Aが恐る恐る穴を覗きこんでくるのを見ながら声を張り上げた。
「誰か! 助けてください!」
メガホンをイメージした拡声の魔法。ピーガガー、という独特の効果音と共に辺り一帯へ響き渡る声に、Aは急に慌てだした。
「リディアーヌ様!?」
ノエルに抱き上げられたアンナ(!)が現場へ到着するまでには三十秒もかからなかった。その三十秒で逃げなかったのが運の尽き。令嬢Aはノエルに拘束されたまま、他のパーティー参加者が集まってくるのを待つことになった。
「リディアーヌ様、ご無事ですか?」
「ええ、問題ありません」
魔法を使って跳躍し、無事に穴の外へと着地。多少ドレスの裾が汚れたが、傷も怪我もない。
「ご令嬢、これは一体?」
「彼女が魔法を使ってわたしを穴に落としました。首のペンダントが魔石になっています」
「……なんと」
俺がAと一緒に離れていったことはアンナとノエルが知っている。他の参加者──ヴァイオレットを含む──からも証言が得られたこと、俺が実際に穴へ落ちていること、少女が風の魔石を所持していたことなどから状況は決定的に。
学園の警備兵を経て騎士団へと拘束された少女は、こう証言したらしい。
『ベアトリス様にリオネル様の婚約者になって欲しかった』
この落とし穴事件に関しては殺意までは認められないこと、被害者である俺が傷一つなく助かっていること、俺が「重い罪は与えないで欲しい」と要望したことから厳重注意と罰金、三か月の自宅謹慎という措置に落ち着いた。
派閥における上司であるベアトリスは「指示は一切出していない」と主張。少女自身もそれを肯定したことによって罪に問われることはなかった。令嬢Aはこの件によってベアトリス派閥を追われることになり──謹慎が明けて以降、パーティー会場の隅で所在なさげに佇む姿をよく見かけるようになった。
その後、俺はあまりにも心細そうにしている彼女を見かねて声をかけ、何故か懐かれてしまうことになるのだが、それはまた別の話。
『だから、悪いことなんて止めなさいって言うのに』
どうしてみんな、他人を陥れて利益を得ようなんてくだらないことを考えるのか。




