悪役令嬢とカウンター悪役令嬢
「騎士団に無駄足を踏ませたらしいな」
屋敷へ遊びに来た婚約者様は部屋に到着するなり俺をからかってきた。
何度も来ているせいか慣れた様子で椅子に腰かけ寛ぎ始めながら、である。側近のセルジュ青年が目だけで謝意を示してくるのに苦笑で答える。
「騎士の皆さまには申し訳ないことをいたしました。少し焦りすぎてしまったのかもしれませんね」
「姉上は一筋縄ではいかないところがある。あの人の冗談には十分気を付けた方がいいぞ」
おおよその話は承知しているらしい。アンナの淹れた紅茶へ無造作に口を付けながらリオネルは笑う。その表情からは家族的な情が窺えた。
「リオネルさまはオーレリアさまと今でも交流をお持ちなのですか?」
「年一回も会わないがな。姉上の事は嫌いじゃないぞ。ああ見えて、誕生日には毎年プレゼントをくれるのだ」
得意げなセリフに合わせてセルジュが動き、小ぶりの箱を開いて見せてくれる。そこには淡い金色をした半透明のチェス駒が全部で十個収められている。光を受けてきらきらと輝いており、目にも美しい。
一年以上もオーレリアの研究を手伝わされてきた俺には、それらが全て魔石製であることが一目でわかった。
贅沢な品にも程がある。こんなものを普通に買おうと思ったらいくらするかわからない。どうしてこれを? と尋ねると「話題が出るだろうと持ってきた」とのこと。
『どうだか。自慢したかっただけじゃないの?』
「毎年、ということは一年に一つずつ増えていくのですか?」
「ああ、そうだ。そして、学園に入学したら王の駒をプレゼントしてくれる約束になっている」
チェス駒は十六個でワンセット。学園には十五歳で入学なので、それと同時に駒が揃うことになる。なかなかに粋なプレゼントだ。
あのオーレリアにそんな甲斐性があったとは、と感心していると、リオネルはどうだとばかりに俺を見て、
「お前のプレゼントよりもよほど気が利いているだろう?」
「去年お贈りした子羊はとても喜んでくださったではありませんか」
「ああ、さすが公爵領の羊だけあって格別の美味だった。だが、今年のプレゼントはなんだ。刺繡入りのハンカチ? 手を抜いたのではないか?」
「リオネルさま? わたし、まだ十歳のか弱い乙女なのですよ? 一生懸命に婚約者の名前を手縫いするなんて可愛らしいと思いませんか?」
「八歳の時点で『泣かせてやる』などと周囲を脅しておきながら何を言っているんだ、お前は」
しばし睨み合ってからほぼ同時に視線を逸らす俺たち。どうやら王子様としてはハンカチなんて欲しくなかったらしい。あの子羊は鶏の礼も兼ねて選んだだけであって、婚約者としては消えものより装飾品等を贈る方が一般的なのだが。
ハンカチなんていくらでも持っている物をただ贈っても駄目か。次に名前を入れる時は刺繍ではなく魔力で染めるとかしてみよう。
「ところでリオネルさま? その駒、魔石でできているからには効果があるのでしょう? 何ができるのです?」
「ん? ああ、姉上いわく『手で触れなくとも動かせる』らしい。最初にもらった時、早くこれを動かせるようになれと言われた」
「面白そうですね。試してみてもよろしいでしょうか」
「駄目に決まっているだろう。初めにこれを動かすのは俺だ」
残念。しかしまあ、当然か。操作を誤って床にでも落としたら傷がつくかもしれないし。
『それにしてもこれ、よくできているわね。魔石の形を加工するって結構大変じゃない』
しかもわざわざ金色にしている。魔石の色は籠めた魔法の属性に依存するが、駒を移動させる魔法は風か土あたりのはず。そのままだと金色にはならないので何か細工をしているはずだ。外装と中身で魔石が二重になっているとか?
考えれば考えるほどこの駒、高そうである。
「わかりました。仕方ないので自分で作ることにします」
「お前も作れるのか? それは楽しみだな。どうせなら金ではなく銀とか別の色で作って欲しいな」
「? リオネルさま? わたしは自分用に作るのであって、プレゼントはいたしませんよ」
「なんだと」
「チェスの駒が二組あっても仕方ないでしょう。それとも、わたしの作った駒をわたし以外の方に使わせるおつもりですか?」
別に嫉妬はしないが、オーレリアに負けたような気分になる。だったら俺が自分用に持っておく方が対戦する時に特別感があっていいと思う。
これにはさすがのリオネルも「ぐっ」と詰まった。こんなすごいアイテムを予備扱いしたり人にほいほい使わせるのは勿体ないと思ったのだろう。
「仕方あるまい。だが、其方も他の人間には使わせるなよ?」
「もちろんです。手を使わずに動かせるなんて便利な駒、そうそう他の方には渡せません」
「いや、そんなつまらない事に魔力を使うのはお前と姉上くらいだぞ」
しかし、オーレリアが駒を贈ったのも「これで魔法を訓練しろ」という意図のはずだ。であればリオネルも魔法で対戦するべきである。
それはそれとしてチェス駒を魔法で動かすなんて発想をするあの女はあらためて頭がおかしい。
「あら、ごきげんよう。《紅蓮の魔女》様もいらしていたのですね」
『出たわねお邪魔虫』
俺は、横手からかけられた朗らかな少女の声に失礼な感想を抱いた。
学園の中庭(寮の、ではなく学園の庭なのでかなり広い)に設けられたパーティー会場。そこへ到着して間もなく俺に声をかけてきたのは、暗い金髪を携え、傍らに何人かの令嬢を従えた一人の少女だった。
ベアトリス・デュナン。
歳は俺やリオネルより二つ年上。数少ない俺と同格の存在──公爵令嬢の一人であり、同世代では最大の派閥を率いている。ついでに言うとリオネルの婚約者候補だった一人らしく、初めて会ったリオネルの誕生パーティー以来、何かにつけて俺へ因縁をつけてくる相手だ。
「ごきげんよう。……こちらこそ、ベアトリスさまが参加なさっているとは思いませんでした」
いちいち話しかけて来なくていいのに、と思いつつ笑顔で答えると、向こうもまた社交的な表情を崩さないままに答えてくる。
「わたくしは婚約者探しに忙しい身ですもの。お相手のいらっしゃる方のように、殿方の多い場所に顔を出すだけで醜聞が流れるような身の上ではありませんの」
(訳:貴女に婚約者を奪われてから大変なの。こんなところで会えたことだし、あらぬ噂を流してあげるから覚悟しておきなさいね)
「ご冗談を。ベアトリスさまであれば引く手あまたでしょう? 今日も多くの方から声をかけられて大変なのでは?」
(訳:まだリオネルさまを諦めていないのですか? むしろベアトリスさまこそ「男をとっかえひっかえ」なんて噂が立ったら大変でしょうに)
嫌味に嫌味で返したらベアトリスの取り巻きたちが一斉に睨んできた。先に喧嘩を売ってきたのはそっちの方なのだが、俺が悪いことにされるのは少々不服である。
「皆さまもごきげんよう。ベアトリスさまと本当に仲がよろしいのですね。ですが、常にご一緒では殿方も声をかけにくいのではありませんか?」
「何よ、失礼ね!?」
「貴女に心配してもらう必要なんて全くないわ!」
「これは失礼いたしました。……本日はせっかくのパーティーです。不幸な事故など起こらないことを願っております」
「お互い、平和にパーティーを楽しみたいものですね、リディアーヌ様。……貴女達、ここは構わないから少し外しなさい」
俺の挑発にあっさり乗ってくる子分たちにベアトリスが苦々しい顔で指示を出す。
不満そうにしながらも取り巻きが散開していくと、派閥の長にして俺のライバル(?)である令嬢は「少しお話をいたしませんか?」と誘ってきた。
また何か嫌味を言われるんだろうな、と思いつつ社交辞令として了承すると、彼女は会場をゆっくりと歩きながら話し始めた。
今回のパーティーは学生主催の立食パーティー。参加費は無料とあって多くの生徒が顔を出している。俺やベアトリスのように生徒でない者でも知人からの紹介があれば参加が可能だ。
若い上に身分の高い俺とベアトリスには学生たちからの視線が集まってくるが、ただならない気配を察したのか声をかけてくる者はいない。俺としてはそういう気づかいはいいので乱入して欲しかったが。
「先日は不確実な情報で騎士団にご迷惑をかけたそうではありませんか」
わざとらしい大きな声。
「王族の婚約者になられたとはいえ、リディアーヌ様はまだ子供なのですから、大胆な行動は控えた方がよろしいのではありませんか? そうでないと今回のように恥をかくこともあるではないかと」
「ええ。他人事ではなかったために動転してしまいましたが、今後はより一層、身の振り方に気をつけなくてはなりませんね」
ここぞとばかりに声をかけてきたのは俺がわかりやすい失態を犯したからだったらしい。
しかし、ここは俺もしおらしい態度を取っておく。下手に「あれはオーレリアさまが」とか言ったら師の立場が悪くなりかねない。
すると、
「オーレリア・グラニエ様にも困ったものですね。誤解を招くような発言をして子供を脅かすなんて。リディアーヌ様もいい迷惑だったでしょう?」
「確かに。師匠の冗談があまりに真に迫っていたのも原因でしたから、あの方にも改めて欲しいものです」
さっさとオーレリアへ矛先を向けるベアトリス。こうなると俺は逆に「冗談だった」という体で文句を言うことで話を流しにかかるしかない。
これにベアトリスは首を傾げて、
「あら? 結局冗談だったのですか? リディアーヌ様が『自分は確かに見た』と主張された、という話も伺っておりますが」
「証拠がない以上、何を言っても無意味でしょう? これ以上、確証もなくご迷惑をおかけしないよう、騎士団にお任せしようと思っております」
「そうですか。……リディアーヌ様は大人ですわね」
少女は不意に目を伏せると、何を思ったのか俺を称賛してきた。続いたのはやはりオーレリアへの罵倒で。
「それに引き換え貴女のお師匠様はひどい方ですわ。母君が魔力を暴走させて亡くなった原因を担っているというのに、未だに継承の件で王家を恨んでいるだなんて」
イラっとしていた俺は「力づくで黙らせてやろうか」なとど益体もないことを考えてから、言われた内容の重要さに気づいた。
魔力の暴走? オーレリアが、ではなく母親の方が?
「……どういう意味でしょう?」
立ち止まって視線を送れば、得意げな笑み。
「ご存じなかったのですか? オーレリア・グラニエ様の母君の死因は魔力の暴走。それも、身体に埋め込んだ魔石に過剰な魔力を注がれたことが原因なのです」
「身体に、魔石?」
「どうやら本当にご存じなかったようですね。でしたら、魔力を注いだのが他でもないオーレリア様だった、ということもご存じないのでしょうね?」
ああ、知らない。全て初めて聞く話だ。
どうしてそんなことをこいつが知っているのか。おそらくは独自の伝手があるのだろう。まがりなりにも公爵令嬢なのだから、うちの両親と同等の情報網があると考えた方がいい。
そして、うちの両親は俺に開示する情報を明らかに制限している。
俺はベアトリスの目を真っすぐに覗き込んで、彼女に言った。
「ベアトリスさま。今のお話は本当なのでしょうか? いくら公爵家の令嬢といえど、王族に関する誹謗中傷は罪になりかねません」
「あら、ご心配なく。直接両親から聞いた確かな情報ですわ。でも、だからといってあまり悲観する必要はありませんわ。リディアーヌ様は知らなかったのですから、あの方とはこれから距離を取れば良いのです。わたくしの心配な気持ちをわかって──」
「貴重な情報をありがとうございます、ベアトリスさま」
「……え?」
ぽかん、と口を開けた公爵令嬢に、俺は心からの笑顔を向ける。
「わざわざ教えてくださるだなんて、とてもお優しいのですね。わたし、感動いたしました」
嫌味な奴だが、彼女の素直な点だけは評価できる。上機嫌で会場内を歩き出しながら、俺はベアトリス・デュナンに対する心証を若干上方修正した。




