カウンター悪役令嬢への道 3
「これで晴れて婚約者同士か。よろしく頼むぞ、リディアーヌ」
謁見の間を後にし、リオネルの部屋に戻ってきて。
中断した時のままのチェス盤を挟みながら、俺は王子の浮かべている笑顔に虚を突かれた気持ちになった。
「? どうした。俺の顔に何かついているか?」
「いえ、殿下はあまり婚約に興味がないと思っていたものですから」
嬉しそうにされると「意外に脈ありなのか?」と思ってしまう。
すると身を乗り出すようにして端正な顔を近づけられて、
「婚約してしまえば他の令嬢との面会を減らせるだろう?」
うん、そんなことだろうと思った。
「では、どうしてもと強請られた時は『リディアーヌが嫉妬するから』とでもお伝えください」
「それはいいな。よし、そうしよう」
「リディアーヌ様、よろしいのですか?」
「ええ、大丈夫です。恋多き婚約者を持つよりはずっと良いかと」
貴族の中には第二夫人や愛人を持つ者も多い。王子であるリオネルも、その気になれば妻の一人や二人増やせる身分だ。寵愛を求めての足の引っ張り合いとか可能な限り遠慮したい。
お子様王子はここでふっと息を吐いて、
「しかし、セレスティーヌがいないと気楽でいいな。お前と二人だと気を遣わなくていい」
養母は王妃からお茶に誘われ、俺たちとは別行動中だ。
気を抜けるという意味では同意だが、使用人やお付きが何人も控えている場で二人だけと言えるあたりはさすが王族である。
「わたし相手にも気を遣ってくださってもいいのですよ?」
「面倒だから嫌だ。どうせお前は気にしないだろう?」
「殿下が恋愛の機微に疎いことは重々承知しております」
嫌味を籠めたのがわかったのか、リオネルは顔をしかめて「続きをするぞ」と言った。
「父上と話をしている間もこの後の指し手を考えていたからな」
「殿下、それは卑怯ではないでしょうか」
こっちはそんな余裕なかったというのに。
釈然としないものを感じつつも応じた結果、王宮というアウェーな状況が影響したのか、今回は三戦して一勝二敗と負け越しで終わった。
「ふふん。まあ、こんなものだな。お前もきちんと練習してきたようだが、俺を倒すにはまだまだ足りん」
「いえ、殿下。これで戦績は五分。勝ち誇るにはまだ早いかと」
駒を初期位置に並べ直しながら微笑んで答える。前回も今回もチェスばかりだが、別の遊びも提案した方がいいだろうか……と。
「リオネル」
「?」
「名前で呼んでいいぞ。母上や姉上達からもそう呼ばれているしな」
「では、お言葉に甘えてリオネル様とお呼びしますね」
「ああ。いちいち殿下などと呼ばれては堅苦しくて仕方ない」
対外的に俺たちの仲を示すことにもなる。
まあ、この国は前世ほどその辺堅苦しくないというか、初対面で名前呼びしてもそんなにおかしくなかったりはするのだが、それでも異性を下の名前で呼ぶというのは少し特別な感じがする。
「殿下とリディアーヌ様はお似合いのお二人なのかもしれませんね」
お付きの青年がそんな感想を漏らしたところで、メイドが一人、部屋のドアを叩いて中へと入ってきた。
「リディアーヌ様。陛下がお呼びでございます」
「え……?」
何かと思えば名指しでの呼び出しだった。『なによ? わたし、今回は何もしてないと思うんだけど!?』。
「ああ、良く来てくれた。こちらへ座りなさい」
まだ遊び足りない様子のリオネルを残し、案内された先は国王の執務室だった。
アンナを入り口前で待たせて一人で入室すれば、最初に感じたのは紙とインクの匂い。大きく丈夫そうな執務机といくつも並んだ本棚はさすがに上等な品だが、一方で大量の書類や本の存在からここが権威的な場所ではなくあくまで仕事部屋であることを窺わせる。
席に着いた国王の傍らにはしかめっ面をした父の姿。俺が示されたのは父の反対側、王の座る椅子の隣に置かれた子供用の椅子だ。物凄い特別扱いである。とはいえ相手は国の最高権力者。逆らうわけにもいかず、恐る恐るちょこんと腰かける。
王のペンを握っていない方の手がぽんと頭に置かれ、髪をわしわしと撫でてくる。屋内なので帽子は被っていない。
「陛下。もう少し娘を丁重に扱っていただきたい」
「よいではないか。この娘は健康体なのだろう? それより、もう下がってよいぞ」
「……は」
不満そうにしつつも一礼する父。
国王と親しげに話せるあたりやっぱり偉いんだなと思いつつ俺は彼を見上げて、
「またね、お父さま」
「ああ」
答える時だけ険しい顔に笑顔が宿った。父が退室していくと、部屋には本当に俺たち二人だけになる。もちろん、部屋のすぐ外には人が待機しているわけだが。
「わたしが暗殺者なら、陛下を狙う絶好のチャンスなのでは」
「私をここで殺しても、リオネルは王になれないぞ?」
楽しげに応じられて思わず絶句する。
「こんな小さなご令嬢が反逆を企てているとは思わなかったが」
「いえ、そんな。ただ危険ではないかと申し上げたかっただけで」
「わかっている。ジャンからも聡明な子だと聞いているからな」
「……聡明であれば、両親の手を悪戯に煩わせたりはしておりません」
この状況は子供相手ゆえの特別扱いだ。機密情報がいっぱいのこの部屋に普通はそうそう入れない。もちろん、俺の座高では机の上の様子は覗けないし、背伸びをしようとも思わないが。
王が無警戒かといえばそんなこともない。俺の身辺調査は済んでいるのだろうし、彼の身には魔石の嵌った複数の装飾品がある。あれらが全て魔力充填済みの防御用魔道具なら生半可な攻撃は通用しない。
「オーレリア作の超一級品だ。其方もあれからよく学ぶといい」
「……わたしごときの考えは全てお見通しなのですね」
「いや、其方は十分に利口だよ。リオネルにも見習わせたいくらいだ」
「殿下の物おじしない性格は稀有な才能かと」
「そうだな。それは上に立つ者の素質だ。後は、もう少し思慮深さを身に着けてくれれば……」
「慎重さは周りの者が補うこともできます」
「ほう。其方が補ってくれるのか? それとも、其方の兄が?」
「わたしも精一杯務めますが、実務上の手助けは女には難しいですので……」
王はふっと笑って「抜け目のない娘だ」と言った。
「まだ用件を言っていなかったな。少し其方と話がしてみたかったのだ。ジャンの愛娘と。息子の婚約者と。……そして、アデライドの忘れ形見と」
「母をご存じなのですね?」
「知っているとも。何度も話をしたし、あれを娶ったジャンに嫉妬したこともある。あれは美しい女だったからな。画家がこぞって題材にしたがったほどだ」
屋敷には母の絵は一枚も飾られていない。絵姿が何枚も描かれたのなら家に残っていないはずがない。父が俺やアランの心を刺激しないよう見えないところに保管しているのだろう。
今なら素直に受け入れられそうな気もするが……セレスティーヌの手前、前の妻の絵を飾ったりはできないか。
「わたしも母のように綺麗になれるでしょうか?」
「案ずるな。其方は十分に美しい。私がもっと若ければリオネルを羨んだかもしれぬ」
「勿体ないお言葉でございます」
なんだか、こうして話をする分にはただの気の良いおっちゃんだ。ただ、このおっちゃんには妻が複数人いて、それぞれとの子供もいるわけで。
『《漆黒の魔女》は生まれて初めて使った魔法で実の母親を殺した』
実の子に、側室とはいえ妻を殺されるのはどういう気分なのだろうか。
背筋に走った悪寒に思考を慌てて引き戻す。まさか当人に聞けるわけがない。代わりの話題を探して、
「あの、陛下はどうしてわたしを殿下のお相手に選んだのですか?」
「選んだのは私ではなくリオネルだ。シルヴェストル公爵家の娘を、と指定したのはそう不思議でもなかろう?」
「父とは仲がよろしいのですね」
「ジャンをからかって遊ぶのは楽しいのだよ。向こうも私に難題を押し付けてくるがね」
歳が少々離れているが、友人、あるいは兄弟のような間柄なのかもしれない。
国王と宰相、あまり仲が悪くては国政にも差し支えてしまうだろう。アランが父の後を継ぐとして、リオネルとの間に同じような友好を築けるか。
だからこそ、間を取り持つための俺、か?
「リディアーヌよ。其方はなかなか面白いな」
「陛下まで、殿下と同じようにわたしをからかうおつもりですか?」
「む。さすがに息子よりは分別があるつもりだぞ。ただ、執務だけをしていても退屈でな。暇つぶしに其方のことをもっと聞かせて欲しいだけだ」
「そんなことでよろしければ、なんなりと」
「そうかそうか。ジャンに『娘に会わせろ』と言ってもなかなか頷かなかったからな。この機会にたっぷりと聞かせてもらおう」
本当に退屈だっただけなのか。それとも、ある種の面接だったのか。
俺はそれからしばらく国王陛下に頭を撫でられながら自分のことを話すという、よくわからない役割を一生懸命に果たした。
貴族の子女が通う学園もまた王城同様、敷地の周囲を塀で囲まれている。
さすがに堀はないものの、侵入者への警戒は十分に厳しい。外周に複数配置された門では身元と用件の確認が行われ、それをパスしなければ中には入れない。
とはいえ、門の前まで公爵家の馬車で乗り付けた俺とアンナは身分証の提示も求められず、用件を聞かれただけだった。馬車に装飾された紋章と俺の纏った上等なドレス、そして紅の髪が何よりの証明だからだ。
「オーレリア・グラニエさまに魔法を教わりに参りました」
「お、オーレリア・グラニエ様!?」
「《漆黒の魔女》に……!?」
用件の方は大層驚かれたものの、家族・友人等々の面会は特に禁止されていない。俺たちは特に文句をつけられることもなく通された。
「お通りください」
「どうかお気をつけて!」
むしろ身の安全を心配された。門をくぐるとその先は並木道になっている。学校というか庭園のような造りで緑が多い。高校というか、郊外に敷地を持つ総合大学に近い印象だ。
「さすがに広いわね」
「あらかじめ地図をいただいていなければ確実に迷っていましたね」
あれからオーレリアは俺宛ての手紙を一通送ってきた。そこには寮の位置を記した簡単な地図と「来る時は食事を持ってくるように」という指示。
学園内には美味しい学食──といってもレストラン的なところらしい──もあったはずだが、何故わざわざ食事を持って来させるのか。一緒にのんびり食事しながら歓談、というタイプにも思えないので、おそらく自分で用意するのが面倒なだけなのだろうが。
アンナは軽食の入ったバスケットを抱えているので、日傘は俺が自分で持つ。白いパラソルを支えるのと逆の手に地図を持ち、寮へ向かって歩いていく。途中、年頃の男女と何人もすれ違う。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
挨拶されれば返すのが礼儀だし、目が合った場合はこちらからも挨拶する。
俺たちは心なしか周囲から注目を浴びていた。まあ、こんなところに来る子供はあまりいないのだろう。それを言ったら学生に教えを乞うのも異例なのだが。
「ここね」
学園の女子寮。初老の管理人(貴族だ)に挨拶をし、オーレリアの部屋の位置を教えてもらう。最も奥まった一角にある広い部屋を使っているらしい。礼を言って中へ。
「これが学園の寮なんですね……!」
アンナが小さく歓声を上げた。テンションが上がるのもわかる。寮と言われて想像する、古かったり狭かったりごちゃごちゃしていたりといった雰囲気は微塵もない。廊下は広く、部屋ごとの間隔も大きい。中を歩く人物も一定以上の礼儀作法を収めた令嬢やメイドばかりなので華やかかつ穏やかな雰囲気が漂っている。
寮には中庭や談話室なども用意されているらしく、移動する途中、そうした場所でお茶を片手に歓談を楽しむ生徒の姿を見ることができた。
「社交的な生徒が多いのかしら」
「そうですね。学園は同世代の貴族が集まる貴重な場ですから、休日は人脈作りのためにもお茶会や食事会、勉強会などが積極的に催されるそうです」
「ただのお休みというわけじゃないのね。……でも、それならオーレリアさまが『暇だから』とばかりに休日を指定したのはなんなのかしら」
「あの方は規格外ですので、常識が通用しないのかもしれません」
アンナの言うことはだいたい当たっていた。
奥に行き過ぎて空室が目立つ突き当たりの部屋。ドアをノックすれば「どうぞ」との返答。
顔を見合わせた後、アンナがゆっくりとドアを開けば──。
「これはまた、典型的ね……」
あちこちに山積みされた本やがらくた。クローゼットは雑に閉じたせいか服がはみ出している。さすがに食べ物や食器が散乱している様子はないしベッドの上だけは物がない状態に保たれているものの、全体の印象はひどく退廃的。
例えるなら片付けられないオタク女子か、あるいはマッドサイエンティストの部屋。
そんな部屋の奥から、オーレリア・グラニエは下着のように肌も露わなナイトドレスだけを纏い、椅子へ横向きに座って俺たちを出迎えた。
「ようこそ、我が生徒。ここが魔女の棲み処よ」




