カウンター悪役令嬢への道 2
公爵家の保有するドレスは普段着でも相当な高級品だが、余所行き用となるとグレードはさらに上昇する。
初の王城行きを迎えた俺は、手持ちの中でも上位にあたる一着のドレスを複数人のメイドの手によって丹念に着付けられた。
ベースは白。王子の相手に相応しい清らかな身であることを示しつつ、要所には俺のパーソナルカラーである赤をあしらっている。パーティに出るわけではないのでスカートの広がりは控えめに。上品に、それでいてたっぷりと施されたフリルが少女らしさを演出する。
紅の髪にもドレス合わせで白いレースの髪飾りをあしらい、日よけのために白いつば広の帽子も用いる。軽くだが化粧も施され、花の香りの香水がほんのりと散らされた。
例によって俺自身はほぼ座っているだけなのだが、いつにも増して丁寧に作業されるせいで待っているだけでも結構大変である。
「……陛下への謁見だものね。さすがに緊張するわ」
今日の予定はリオネルとのチェス、および国王から正式に婚約の承認を受けること。謁見自体はさくっと終わるはずだが、気分的にはむしろ前者がオマケだ。
「リディアーヌ様はまだいいです。私なんて粗相をしたら物理的に首が飛びかねないんですよ?」
アンナなんて朝、起こしにきた段階からがくがく震えている。国王は人格者だと聞いているし、さすがに即処刑とかはないはずだが。
前世の俺──高校生の感覚で例えると、コンビニバイトしていたら店長がなんかすごい賞をもらってしまい、一緒に総理大臣に会うことになった、とかだろうか。うん、滅茶苦茶緊張するだろう。
「頑張りましょう、アンナ。上手くいけばお給金が上がるんじゃないかしら」
「お給金はもう十分ですから平穏無事に過ごしたいです……」
「謙虚すぎるのも嫌味になりますよ、アンナ」
しっかりと手を動かしながらアンナをやんわり窘めたのは、経験を買われて着付けに参加したベテラン、マリーだった。
「貴女はリディアーヌ様の専属です。であれば、どのような状況でも最善を尽くし、リディアーヌ様をお助けするのが役目。不服なら代わって欲しい、と思う者はたくさんいることを忘れてはいけませんよ」
「っ。……申し訳ありません。仰る通りです」
目を瞠ったアンナはぎゅっと拳を握りしめると表情を引き締めた。あまり気負って欲しくはないが、マリーの言うことも正しい。公爵令嬢の専属というだけでも羨望の的なのに、主人が王族入りする可能性まで出てきたのだ。アンナは若くしてこの屋敷の出世頭になってしまっている。
ジゼルのやったことは間違っているが、アンナを羨む気持ちは当然のもの。他のメイドも同意見だというように小さく頷いている。
「マリーも、私の専属になれるならなりたい?」
少し空気を変えようと尋ねれば、マリーは微笑んで首を振った。
「リディアーヌお嬢様をお世話したい気持ちはあります。ですが、私では年齢的に不相応でしょう。専属としてはもっと若い者を指名し、育てた方が良いかと」
「お嬢様。専属は一人でなくても良いのですから」
「二人目を指名してくださっても構わないのですよ」
ここぞとばかりに売り込みをしてくるメイドたちはなかなか逞しい。しかし、そんな風に軽口を叩いてくれるようになっただけ進歩かもしれない。少なくともその程度の度量はあると認められているということだ。
玄関へ移動すると、セレスティーヌもまた自らの専属を従え、普段以上に気合いの入った装いで俺たちを待っていた。
採点するような、あら探しをするような視線に表情を動かさないよう気をつけつつ耐えていると、
「馬車は既に待たせてあります。参りましょうか」
「はい、お養母さま」
どうやら合格点は出たらしい。内心ほっとしつつ馬車の待つ外へと移動した。
「今日はまずリオネル殿下にご挨拶をした後、一緒に陛下へ謁見する流れなのですよね?」
「ええ。婚約の承認ですから、殿下と共にお目通りを願わなくてはなりません」
動き出した馬車内は揺れる。公爵家が用いている上質な馬車でもカーブの多い在来線レベルだ。蹄や車輪の音もあるのでとても落ち着くというほどではないものの、歩くよりはずっと楽だし話をするのにも支障はない。
屋敷の窓から何度も目にはしていた白く大きな王城が次第に近づくのを感じながら王都の街並みを眺める。馬車四台分以上の広さのある大通りの左右には高級住宅街が広がっている。馬車を使える人間用のエリアなので道行く人の姿は多くないものの、買い出しに出たメイドやどこかへ訪問する途中らしき執事の姿がちらほらと見えた。
城は王都の中央に位置し、その周囲には高級住宅街や貴族向けの高級商店などが広がっている。外周に近づけば近づくほど住居や店のグレードは下がっていく仕組みだったはずだ。
「学園は左手の方向です。黒い屋根がここからでも見えるでしょう?」
「ああ、あれが学園なのですね」
さすがに王城ほどではないが、学園もなかなかに広く大きい。特定の年頃だけとはいえ貴族の子が一斉に集まるのだからそれも当然だろう。
「あまり遠くないようなので安心しました」
馬車を使えば十分もかからない。オーレリアの授業は週二回、土曜日と日曜日(にあたる日)の午後に行われることになった。なんで連日かといえば学園は週休二日だからだ。不思議なことに俺よりも休日が多い。詐欺じゃないだろうか。
「勉強の進度には余裕がありますが、気を抜かないように」
「油断せずに進めてまいります」
深く広い堀にかかった橋の上の前で馬車が停まり、騎士による確認の上でまた走り出す。高い塀の向こうに広がっていたのは我が家の数倍の規模からなる広い庭園。そして重厚さと華やかさを両立した白壁の城が陽光を受けながらそびえ立っている。
正面玄関前に停まった馬車からセレスティーヌに続いて降りれば、複数名の騎士とメイドが出迎えてくれる。
「ようこそお越しくださいました、セレスティーヌ・シルヴェストル夫人。並びにリディアーヌ様」
周囲をぞろぞろと固められながら広いロビーへと入り、ゆっくりと、しかしスムーズに奥へ。
自宅でメイドに囲まれるのはいい加減慣れてきたが、こういう待遇を受けるとあらためて自分の立場を思い知らされる。
『それにしても、うちのお屋敷以上に迷いそうな造りね』。戦時には最終防衛拠点になるわけだから、敢えてそう造っている部分もあるだろう。何度も利用していればそのうち慣れるのだろうが。
「リオネル殿下。リディアーヌ様とセレスティーヌ様がお見えになられました」
「通せ」
リオネルの部屋は俺の私室よりもさらに広かった。モノトーンの落ち着いた配色の中、要所に金色が散りばめられている。
約二週間ぶりに会った少年の様子は前に会った時と変わりない。俺が母と共に挨拶を済ませると、開口一番、
「元気そうで安心したぞ、リディアーヌ。まあ、お前のような図太い女が死ぬわけがないが」
こいつ、こっちの気も知らないで、と思いながら「恐縮です」と答え、見舞い品の礼についてもあらためて述べる。
「お手紙でも申し上げましたが、素敵な鶏をありがとうございました。家族で美味しくいただきました」
「それは良かった。公爵家なら羊肉の方がいいかとも思ったのだが、普段から食べ慣れているかもしれないからな」
「ええ。羊はよく食卓に上ります」
俺たちが会話を交わしているうちにお茶の準備が整えられ、暗黙のうちに歓談を勧められる。謁見の準備が整うまで待てということだろう。
リオネルが紅茶を口にしたのを見てティーカップを手に取ると、その様子をじっと注視される。
「? どうなさいました?」
「いや。お前は砂糖もミルクも使わないのだな」
「ええ。菓子や食事と一緒にいただくことが多いので、お茶には味を付けない方が好みです」
「ああ、わかる。特に菓子は甘いからな」
なお、セレスティーヌのカップには給仕のメイドにより一匙の砂糖を入れられた。屋敷で飲む時と同じ分量である。
城のメイドは来客の好みまで把握し、わざわざ尋ねるまでもなく仕事を完遂させるらしい。アンナが俺の傍に控えながら感心したようにその一挙一動を観察している。
「ところでお前、前に会った時よりも服が派手だな」
「お恥ずかしながら、前回はお客様をお迎えする予定がなかったものですから。普段着でお迎えした無礼をお許しください」
「ああ、そう言えばそうだったな。まあ、俺には服の良し悪しなんてわからないからどうでもいいが」
なんとも色気のない返答である。
「殿下。最低限、お洒落を褒められるようにならなければ女性に嫌われますよ」
「ん? お前と婚約するのだから他の女なんてどうでもいいだろう?」
まあ、浮気の心配がないのは良いことだが。お前、この時の発言を将来後悔しても知らないからな。
「お言葉ですが、それでもお世辞程度に褒めるのが殿方の礼儀作法というものかと」
ここで養母に視線を向ければ、優雅な首肯が返ってくる。
「夫のジャンは女性に対してとても紳士的です」
「ああ、ジャンは細かいからな……。あいつにはよく小言を言われるのだ」
「宰相という役職はそうでなければ務まらないのかもしれませんね」
「ふん。娘のお前が口うるさいのもジャンの影響か?」
「申し訳ありません。差し出がましいことを申し上げました」
八歳の男子にはまだ難しいよな、と思って謝ると、前にも会ったリオネルのお付きの青年が口を開いて、
「いえ、リディアーヌ様。どうか遠慮なさらず殿下を諭してください」
「お前はどっちの味方だ! もういい、リディアーヌ。チェスをするぞ」
「今からですか? おそらく最後まで終わらないと思いますが」
「父上に呼ばれたら中断して向かえばいいだろう」
雑談しているだけでは退屈だと思ったのか、リオネルの希望でチェスを始めることになった。俺を倒すために特訓したという王子に微笑み返しつつ、俺も適度に気合いを入れる。手を抜かれたなどと言われてしまったら目も当てられない。
そして、勝負が終盤にさしかった頃、
「リオネル様、リディアーヌ様。謁見の準備が整いました」
「なんだと。今、物凄くいいところなのだが」
「殿下。陛下をお待たせしてはなりません」
謁見そっちのけでチェスをしていました、なんてことになったら俺が困る。渋るリオネルをよそにさっさと立ち上がって対局を中断させた。
「アンナはここで待機していてちょうだい」
「リディアーヌ様、頑張ってください」
案内役の騎士と共にリオネル、俺、セレスティーヌで移動。
謁見の間に到着すると、そこは既に厳かな雰囲気で包まれていた。左右に控える衛兵、騎士。要職にあると思われる文官、ドレス姿の貴婦人まで数名いる。奥の高い位置には立派な玉座があり、そこに髭を蓄えた凛々しい男が座っている。
左隣には屋敷の庭で顔を合わせた王妃。赤みの強い金髪に深い青色の瞳。歳はセレスティーヌとそう変わらないだろう。
王の右隣には仕事用の畏まった服装をした俺の父──宰相ジャン・シルヴェストルが立っている。仕事中なので生真面目な表情を崩さないものの、頑張りなさいとでも言うように一瞬だけ視線を向けてくれた。
国王は父よりも十歳近く年上だったか。王妃とは案外歳が離れている。
目線を合わせないよう前を向いたまま半ば七割ほどの道のりを歩き、揃って跪く。息子であるリオネルは浅く、俺とセレスティーヌは深く。
「面を上げよ」
公爵令嬢という立場にある俺にとって目上の存在というのは少ない。リオネル、およびオーレリアとの対面は色々例外だったのでこれが実質初めての「上位者と会う場」になる。
「よくぞ参った。リディアーヌ・シルヴェストル。およびその母セレスティーヌよ」
「お初にお目にかかります。宰相ジャン・シルヴェストルが長女、リディアーヌでございます」
リオネルと会った日以降、礼儀作法については猛特訓が行われた。お陰で(男としてのプライドをすり減らしながら)俺のカーテシーは以前よりもぐっとマシになっている。それでもまだまだ心許ないが、
「あれが宰相殿のご令嬢か」
「毒殺未遂の後遺症はないようですね」
八歳の子供として及第点には達しているのか、ひそひそと聞こえてくる声には明確にネガティブといえるものはなかった。
そんな中、俺を真っすぐに見つめた国王は小さく呟く。
「なるほど。……アデライドに良く似ている」
母の名。
似ているとはよく言われるし、俺自身もそれは誇りにしている。それだけに母がこの場にいないことは悲しいが、母は亡くなってもなお、その人柄と人脈によって俺を守ってくれているのかもしれない。
リオネルと俺の婚約はいともあっさりと認められ、その場にいる全員へ知らしめるように宣言された。
「其方──リディアーヌ・シルヴェストルと我が息子、第三王子リオネルとの婚約をここに認める。今、この時を持って二人は将来を誓い合う間柄となった」
一斉に巻き起こる拍手の中、おそらくは当事者であり子供でもある俺とリオネルがこの場で最も、婚約の重みをはっきりと理解していなかった。




