公爵令嬢の休日
『やり方を変えただけよ! あの女は変わらず性悪だわ』
あの後。
抱きしめて褒められたくらいで「お養母さま大好き!」となるかといえば、もちろんそうはならなかった。
今まで遠ざけられていたことに違いはない。
優しくなったのは俺が有用だと判断したからだろう。セレスティーヌがどこまで知っていて何を狙っていたのかはわからない。ただ、兄妹の前で娘だと宣言したのは、これからはアランたちと同等に扱うという意思表示と見ていいはずだ。
そして実際、その日から俺たちの距離は近づいた。
うららかな日差しが降り注ぐ午後、公爵家の庭にある東屋に紅茶の香りが漂っていた。
円形のテーブルにはお菓子や軽食の載ったスタンドと、人数分のティーカップ。四方に配置された椅子にはそれぞれ家族が腰かけている。
当主である父は多忙を理由に不参加。当人は妻や子供と交流を持ちたがっているものの、甘い物があまり得意でないためお茶会にはあまり寄り付かない。
そういう俺も諸事情からしばらく参加していなかったのだが──。
「リディアーヌが参加してくれるのはいつ以来でしょうか」
「そうですね。こうしてお茶を楽しむのも随分久しぶりな気がします」
「お姉様が参加してくださって嬉しいです。最近はお母さまと二人のこともありましたから」
今回はセレスティーヌのたっての希望ということで参加を表明した。
席順は時計回りに養母、シャルロット、俺、アラン。一番顔を合わせやすい位置に指定され、のっけから声をかけられるという時点でこれまでのお茶会とは違っている。
穏便に話を合わせれば、シャルロットも明るく声を弾ませた。ここだけ見ると華やかな女子会である。実際は義妹以外、腹に思惑を抱えているわけだが。
「母上。僕は不参加でも良かったのでは」
姉妹に養母。給仕として控える複数人のメイドに囲まれた黒一点のアランはどうにも居心地が悪そうだ。
十歳ともなれば性差にも意識が向き始める頃。
後継者教育も既に始まっているため、女子に交じって遊ぶのは恥ずかしいのだろう。男には男の流儀があるのだ。
しかし、そんなアランをセレスティーヌはやんわりと窘める。
「あら。お茶会に慣れることも勉強のうちですよ。年頃になれば女性からお茶に誘われることもあるでしょう?」
「確かに、それは慣れないと大変そうですね」
苦笑しつつも頷く兄。父に似た深い色の瞳が「大丈夫かい?」とばかりにこちらへ向けられてくる。
俺はくすりと笑って「お兄さまこそ」と仕草だけで答えた。
「公爵家に相応しい結婚相手が見つかるといいですね、お兄さま」
「自分は決まっているからって肩の力を抜くつもりかい、リディ?」
「リディアーヌはその分、相応しいと思われる努力をしなければなりませんよ」
「責任重大ですね」
「お姉様でしたらきっと、そつなくこなしてしまうと思います」
今日はジゼルとの面会を終えてから最初の休日。
病床から復帰したと思ったらまた寝込むことになった俺には貴重な休息である。勉強が滞っているのに全く羽根を伸ばせていない。やけ酒というわけにはいかないので、せめてお菓子くらいは楽しませてもらわないとやってられない。
前世でも甘い物は好きな方だったが、今は女子の習性かはたまた単に好みの問題か、余計に甘味を美味しく感じている。
かといって我が儘放題だった頃は食事に支障をきたすほどだったので明らかにやりすぎて──『なによ! そのくらいいいじゃない!』。
大きな白いテーブルの上にはアフタヌーンティー用のスタンドが用意され、そこにスコーンやチョコレート、サンドイッチなどがたっぷりと載せられている。基本的に下から取るといったルールはあるものの、好きなだけ食べ放題である。
ちなみに食べたい物は自分で取るのではなく使用人に取ってもらうのがマナー。アンナが「どれにしましょう?」と楽しそうに皿へ取ってくれた。いっそのこと一緒に食べたいくらいだが、さすがにそういうわけにはいかない。
「リディアーヌ。チェスの練習は続けているのですか?」
「ええ。殿下からもお見舞いの品とお手紙をいただいてしまいましたし、怠けるわけにはまいりません」
リオネルから贈られてきたのは「これでも食べて元気を出せ」といった感じの、まるまる太った鶏だった。幸い、生きたまま運ばれてきたので、回復して食欲が戻った後に美味しくいただいた。
この国(この世界?)の食文化は十分に発達していて、サンドイッチもフライドチキンもシチューもグラタンも、ハンバーグだって存在している。実に都合のいい話で、お陰でそこまで食に不自由はしていない。欲を言えば日本食や中華やカレーがないことだが、さすがにそれは望み過ぎだ。どうしても食べたくなったらシェフに相談して自力開発を試みようと思う。
話が逸れたが、リオネルのところへも近日中に訪問する予定だ。公爵令嬢と王子なので、会いに行くにも互いに予定を合わせたりで結構大変だったりする。
「お兄さまもチェスの勉強をされているのでしょう?」
「ああ。男子はお茶会の代わりにチェスや狩りをするものだからね」
付き合いのためにもある程度の腕前が必要、というわけである。チェスは令嬢にとっても教養の一つだが、女子の場合は「最低限ゲームが成立していればOK」程度なのに対し、男子だと「チェスが下手な奴は頭の出来も大したことない」くらいの厳しさになる。
「リディも練習しているなら、今度対局しようか」
「いいですね、是非」
「そ、それなら私もお二人と一緒にチェスがしたいです!」
シャルロットが可愛らしく参加を表明したため、三人で練習をすることになった。普段は食事の時くらいしか顔を合わせないが、どうせならこういう交流も必要だろう。時間を捻出するためにもより一層、勉強を頑張らないといけない。
「ところで、お姉様達は普段どのような勉強をされているのですか?」
「わたしはシャルロットとあまり変わらないんじゃないかしら」
教師の大部分が同じ人だし、歳が違うだけでカリキュラムに大差はない。
強いて言えば王族との婚約が決定した関係で宮廷関係の知識を先取りして詰め込まれていることくらいか。
一方、男であるアランの授業内容はかなり違った。ダンスや礼儀作法は当然男性用だし、アランは既に魔法の練習も始めている。それから宰相の仕事に関する予習に加え、男子の嗜みとして剣の稽古なども盛り込まれているらしい。
宰相である父も身体を鍛えているように、剣術は貴族男性にとって必修科目。
騎士になったりしない限り戦う機会はそうそうないが、いざという時に自衛できるようにするためにも公の場において成人男性は帯剣するのが基本だ。
「剣術ですか。……格好良さそうで憧れますね」
「リディ。それはひょっとして、自分でも習いたいという意味かい?」
「そうなのですか、お姉様?」
「リディアーヌ。貴女の場合は他に学ぶべきことがたくさんあるでしょう?」
はっきりと何か言う前に総出で「何言ってるんだお前」と言われてしまった。
「で、ですが、自衛のためなら女性も覚えた方がいいではありませんか」
「ドレス姿のまま帯剣するのは難しいですし、剣を握って指が太くなっては男性に嫌われるかもしれません。学ぶにしても身体が出来上がった後、嗜み程度にするべきでしょう」
騎士団には少数ながら女性がいて要人護衛に役立っているが、それはあくまでも例外。
公の場において婦人は男性に守られるのが当たり前だという。まあ、身体能力からして劣っているのだから妥当ではある。
剣術にはそこはかとないロマンを感じたのだが、少なくとも成長するまではお預けされてしまった。これは成長したらしたで「はしたない」とか止められそうな気がする。
「ところで、お養母さま。魔法の勉強はまだ始められそうにはありませんか?」
魔法で体温調節する、という荒業を用いてジゼルの毒を乗り切った俺。
晴れて魔法を使えるようになったのだが、練習については「危険だから」と禁じられているのが現状だ。アンナを教師としたのはあくまで非常手段。本格的に学ぶのであればきちんとした教師に依頼しなければならない、というのがセレスティーヌの言い分である。
既にアランが師事しているのでは、と思ったが、属性──得意な魔法に応じて教え方も変わってくるので、俺とアランでは別の教師が必要らしい。
しかし、どうせなら早く練習したい。
昼間、照明の魔道具を意味もなく点灯させてみたりして感覚の維持には努めているが、魔道具の扱いは自由に魔法を使うのとは少し気分が違う。
「ええ。伝手をあたっている最中です。すみませんが、もう少し待ってください」
「そうですか……わかりました」
あっさりとした返答に俺は仕方なく引き下がる。
セレスティーヌがどんな教師を見つけてくるかで彼女の狙いも少しは読めるかもしれない。
お茶のお代わりを何度か挟み、用意されたお菓子がだいぶ少なくなったところでお茶会はお開きとなった。家族たちはそれぞれに使用人を伴って立ち上がり、俺もまたアンナと共に東屋を離れる。せっかくなので少し散歩していこうと思い、遠回りする道を選んだ。
ついでに世間話としてさっきの話を続けてみる。
「魔法の勉強ってそんなに属性が大事なのかしら?」
「えっと……そうですね。魔法の使い方というよりは性格の問題かもしれません」
「どういうこと?」
「なんでも、得意な属性が同じだと性格が似通うことが多いらしいです」
尋ねられたアンナは少し考えるようにしながら俺に教えてくれた。
「例えば、アラン様は公爵様と同じで土の属性ですよね? 土属性を持つ方は穏やかで堅実な性格であることが多いそうです」
「なるほどね。お父さまとお兄さまにぴったりだわ。……じゃあ、アンナの水属性は?」
「え? ええと、その、清らかで柔軟な性質を持つことが多いとか……」
「ぴったりじゃない」
笑顔で見上げると、アンナは「恥ずかしいです」と目を背けてしまった。
くすくす笑いながら、俺は火属性について尋ねるのを止めた。聞かなくてもだいたいわかる。まあ、そうすると優しかった俺の母が火属性なのが「?」なのだが、要は血液型とか星座みたいなもので、必ず当てはまるわけではないのだろう。
「ですから、同じ属性の方が魔法を教えやすいんだそうです」
「そう言われると納得するしかないかもね」
ちなみにセレスティーヌは光の属性らしい。似合わない気もするが、この「光」は神聖という意味ではなく文字通りの光だ。光のない状態、すなわち闇も司っているので──うん、案外似合っている。
うんうんと勝手に頷いていると、注意散漫になっていたせいで、とん、と、向こうから来た誰かにぶつかってしまった。
「ごめんなさい、前を見ていなかったから……」
「いや、こっちこそ申し訳──ああ、なんだお嬢様か。散歩かい?」
「ヤンさん、ごきげんよう。ええ、お茶を飲んだ帰りに少しね」
相手が俺だと分かった途端、丁寧な口調を崩した人物は、屋敷で庭師をしているヤンだ。初老と言っていい年齢だが足腰はしっかりしており、職人らしく頑固なところと、気に入ったものに入れ込む性質がある。
普段は厳めしい顔に笑顔を浮かべ、彼はしゃがんで頭をわしわしと撫でてきた。
「そうかそうか。いや、しかし、日に日にアデライド様に似て来るなあ。このまま美人に育つんだぞ」
「もう、ヤンさん。いつもそればかり言っているわ」
「はっはっは! 悪い悪い。お嬢様はアデライド様によく似ているが、性格の方はじゃじゃ馬だからなあ」
「あ、あの、ヤンさん。リディアーヌ様に手荒な真似はあまり……」
俺たちの傍でアンナがおろおろとしている。ヤンは平民。普通なら公爵家の長女にこんな真似はしないのだが、
「いいのよ、アンナ。この方がわたしも話しやすいもの」
「いい性格になったなあ、お嬢様。生意気なのは相変わらずみたいだが」
「ありがとう。ヤンさんこそ、レディの扱いを勉強した方がいいんじゃないかしら?」
当の俺が許していること、俺の母が存命だった頃からの古株であることなどからこうした振る舞いを許されている。
俺としては母を知っている人間との会話は貴重だし、男と気兼ねなく会話するのも楽しい。自分はお嬢様らしくしないといけないのは不満だが、セレスティーヌとの会話のように言葉の裏を読まなくていいだけでかなり気楽なのだ。
ヤンとは母が亡くなってから疎遠になっていたものの、前世の記憶を取り戻し、庭を散歩するようになってからまた仲良くなった。母、アデライドのことを大変気に入っていたらしく、その娘であり母親似の俺のことも可愛がってくれている。
「ヤンさんは植え込みの剪定をしていたのかしら」
「ああ。見ていくかい? なかなかの自信作だ」
「ええ、是非見せてちょうだい」
せっかくの休日。俺たちはしばし、ヤンの話に付き合いながら彼の作品をのんびり眺めた。




