屋敷内の悪意 2
「おはようございます。今日も早くからご苦労さまです」
「ありがとうございます。ですが、これも仕事ですから。むしろ、屋内は異常が起こりにくいので楽なくらいです」
さらに数日が経った。
兵たちとは挨拶だけではなく軽い世間話まで交わすようになっている。
その日の朝番だった若い兵士はにやっと笑って、
「お嬢様から差し入れまで頂けるので、むしろずっと続けたいですよ」
「まあ。では、お父様に相談してみようかしら」
調子のいい言葉にくすりと笑ってしまう。今のは半分以上が本音だろう。男は思考がシンプルでいい。
勉強漬けのうえ、アンナが不在でストレスの溜まっている俺はもう少し彼との会話を続けようとして──こほん、というジゼルの咳払いに止められた。
「お嬢様。警備の者とはいえ、殿方とあまり親しくなるのはいけません」
「あら。わたしはまだ子供よ。勘繰る方がおかしいし、彼だって不本意だと思うけれど」
見上げて「ねえ?」と水を向ければ、兵士もふっと笑みを浮かべた。
「そうですね。お嬢様は美人ですが、さすがに幼すぎます。それに、俺は結婚しているので」
「そうだったのね。お相手はどんな方なのかしら?」
「お嬢様」
彼は手袋を外して結婚指輪を見せてくれた。石も本体も高い物ではない。俺の身に着けているアクセサリーの方がよっぽど高級だが、誇らしげな様子から幸せなのがわかる。
せっかくなのでもう少し話を聞きたかったが、二度目の催促があったので仕方なく廊下を歩き出した。
「まったく……もう警備は必要ないと思うのですけれど」
部屋の前から離れると、ジゼルは愚痴をこぼし始めた。
「だって、ただドレスを悪戯されただけでしょう? それに、もう終わった話ではありませんか。旦那様も奥様も大袈裟過ぎます」
あの兵士の態度がよほど気に食わなかったのだろう。彼女にもガス抜きは必要だろうし、別に「そうね」と流しても問題はない。
ただ、ジゼルに《《それ以上の意図》》があるとしたらどうだろう。
俺は思い切って少し意地悪な返答をしてみる。
「事件は何も終わっていないわ」
「え?」
疑問の声を上げ、その場に立ち止る代理の専属メイド。
数歩分、彼女を追い越してから振り返る。ジゼルはなんとも不思議そうな顔をしていた。
「だって犯人はまだ見つかっていないのでしょう? ……それに、あれは単なる悪戯でもない」
「で、でも。ドレスが何着か駄目になっただけでしょう?」
「そうね。《《公爵家の長女のドレス》》が複数、だめになったわ」
「っ」
唇を噛み、顔を僅かに俯かせる。言いたいことはわかってくれたらしい。
「ドレスはまた買えばいい。幸い、我が家には十分な金銭的余裕があるしね。でも、それは被害が無かったという意味じゃない。あの事件で、我が家は不要な出費を強いられることになった」
貴族の服には相応の格が求められる。公爵令嬢のドレスともなれば、普段使いの品であろうと下級貴族のドレスが何着も買える。
前世にて、バイトしていたコンビニで万引きが発生するたびに店長がため息をついていたのを覚えている。
万引きは窃盗だし、ドレスを故意に傷つければ器物損壊。れっきとした犯罪だ。
「動機はわたしへの嫌がらせかしら? 時期的に殿下との婚約を止めさせたかったようにも思えるわ。他の家の陰謀? 個人の意思だとしたら、犯人は公爵令嬢の気分を害し、婚約に影響を及ぼすだけの覚悟があったのかしらね?」
「───」
言うだけ言って歩き出すと、メイドはしばらく後をついてこなかった。慌てて追いついてきた彼女の表情は硬く強張っている。
なんだ、やっぱりこいつがやったのか。
証拠も何もないただの勘だが、俺はあれがジゼルの仕業だとほぼ確信した。
そもそも、セレスティーヌの態度からして意味深だったのだ。
二度目の犯行を誘うためか、それとも俺を試すためか。何らかの意図から最も怪しい人間を敢えてアンナの代わりに指名したのだろう。俺もうすうす怪しいとは思っていた。
ジゼルに言った強い言葉には『警告』の意味も含めている。あれで自分のしたことを反省し、心を入れ替えてくれるならそれが一番いいのだが──。
残念なことに、話はそう上手くはいかなかった。
翌朝、ジゼルはいつもより大幅に遅れてやってきた。
何かあったのかと尋ねれば妙にそわそわした後、言いにくそうに口を開いて、
「アンナが犯人だという証拠が出ました」
「え……!?」
詳しくはわからないという彼女と朝の身支度を済ませていると、朝食が遅れる旨の連絡が来た。お陰で家族が食堂に集まるのは普段より三十分は後になった。
「お養母さま。いったい、何があったのですか?」
「先に食事を始めましょう。全員にしっかりと説明をしなければいけませんから」
家族たちは全員──父もアランもシャルロットも事件が気になっているようだった。どこか浮足立った雰囲気で朝食が始まり、ようやくセレスティーヌが口を開く。
「既にある程度話が伝わっているようですが、事件の前夜、不審な行動をとるアンナを見た──という証言がありました」
証言したのは調理の下働きを担当している少年。
今朝になってメイド長に申告があり、養母へと伝わったらしい。
いわく、彼はその夜、調理道具をきちんと片付けたか気になって厨房に行こうとした。その途中、ナイフを手にしたアンナの姿を目撃したのだとか。
「少年は声をかけなかったのか?」
「ええ。アンナの顔がとても険しく見えたため、恐ろしくなって隠れてしまったのだそうです」
今まで黙っていたのも恐かったから、らしい。
「では、どうして今になって証言を?」
「数日前からアンナを仕事に復帰させたからです。それを見て、黙っている方が大事になると思ったと」
復帰したアンナは調理の手伝いも任されていたはずなので、確かに少年とも顔を合わせる。もしあの夜、アンナが少年の顔を見ていたら……? と怖くなってもおかしくない
控えているジゼルを見れば、彼女は「私の言った通りでしょう?」という顔で俺を見返してきた。『ねえ、あの子って馬鹿なんじゃないかしら』。そこまでは言わないが、確かに杜撰だ。
「お養母さま。その証言はおかしいと思います。専属部屋を使えるアンナがどうして廊下を歩いていたのでしょう? それも、抜き身のナイフを持って。まるで『疑ってください』と言っているようなものではありませんか」
普通、刃物は鞘かケースに収めて持ち運ぶ。
廊下を歩いていた理由も謎だ。これが殺人事件なら「血の付いたナイフをすぐ洗いたかった」とか想像できるが、ドレスを切って付着するのは繊維くらいだ。そんなものは振ればだいたい落ちるし、この世界に優れた鑑識があるわけでもない。
セレスティーヌもこれに頷いて、
「リディアーヌの言う通り、あまりにも不自然です。……そこでさらなる説明を求めたところ、彼が『嘘を言った』と自白しました」
ざわり、と、若手のメイドを中心に動揺が広がる。
「母上。その少年は何故嘘を?」
「何者かに『言う通りにしろ』と脅されたそうです。ただ、それがどんな人物だったのかは覚えていないと」
「ふむ。……魔法か」
「ええ。おそらくは心に干渉する魔法でしょう」
同系統の魔法で思い出させることも不可能ではないが、下手をすれば少年の心を傷つけてしまう。また、頑張って思い出させても犯人が覆面でもしていたら手がかりに繋がらない。
父は目を伏せてため息をついた。
「穏便に済ませたかったが、仕方がない。騎士団に引き渡すとしよう」
ざわめきはさらに大きくなった。
騎士団は戦争時の重要戦力であると共に平時は王都の治安維持──警察のような役割を果たしている。
これまでは内々に話を進めていたが、使用人が何者かに脅され雇用主に虚偽の申告をしたとなれば話は別だ。黒幕は家の外にいるかもしれない。他家の嫌がらせならまだいいが、最悪の場合、他国が絡んでいる可能性もゼロではない。
まあ、あくまでも可能性であって、こんなしょぼい「他国の陰謀」があるわけないが。
少年は騎士団によって取り調べを受け、必要と判断されれば魔法による精神探査を受けることになる。なお、平民の人権は貴族に比べて非常に軽いため、取り調べの過程で手や足が出る可能性は普通にある。十中八九、利用されただけなのに可哀そうな話である。
ジゼルは──俺の様子を窺っていたのか、視線を向けた途端に目が合った。慌てて目を逸らしても正直、もう遅い。
「お養母さま。これでアンナの容疑は晴れたのではないでしょうか?」
こくん、と、頷くセレスティーヌ。
「そうですね。これ以上、アンナを拘束しておく必要はないでしょう」
アンナが犯人だとすると行動の意図がわからない。最初のアリバイ工作から失敗しているし、少年の件も嘘が看破されなければ容疑が強まるだけだ。ハイリスクすぎる。
「明日の朝からアンナを専属に戻します。ジゼルは明日から通常業務に戻るように」
「ありがとうございます、お養母さま」
「……っ。かしこまりました、セレスティーヌ様」
取り調べの結果次第では犯人もわかるとあって、アランやシャルロットは明らかにほっとした顔になる。メイドたちも平穏が戻ることを安堵したり、アンナが犯人でなかったことに困惑したりする中、一人の人物だけあからさまに青い顔をしていた。
「短い間だったけれど、ありがとう」
何事もなく夜がやってきた。
俺の胸にあったのは安堵と落胆。ジゼルは(少なくとも表向きは)普通に仕事をこなしていた。後は俺が眠りにつけば、翌朝からはアンナが来てくれる。
本当ならセレスティーヌのところへ行って罪を告白して欲しかった。仕事を終えてから行くつもりなのだろうか。それともこのまま隠し通そうとするのか。メイドを退職して逃げるのかもしれない。
いっそ問い詰めて白状させたいが、シラを切られたらおしまいだ。少なくともこれでもう悪さはできないだろうから、それで良しとしようか。
「短い間でしたが、お仕えすることができて光栄でした」
内心を隠して微笑む俺に、ジゼルは深く頭を下げて答えた。
顔を上げた彼女は俺を見て、
「やっぱり、お嬢様は私よりアンナを選ぶのでしょう?」
「ええ。アンナは明るくて優しい子だから。経験も魔力も足りなくても、わたしはあの子がいいの」
経験はこれから積めばいい。魔力の不足は俺が成長して魔道具を扱えるようになれば、あり余っているらしい俺の魔力で補ってやれる。アンナにはそんなものとは比べ物にならない、彼女だけの良さがある。
俺の返答に、ジゼルはふっと憑き物が落ちたように笑った。
「お嬢様。最後にお茶を淹れさせていただけませんか?」
「……そうね。いただこうかしら」
寝る前の紅茶を飲むことは今までにも何度かあった。
コーヒー同様、飲み過ぎるとカフェインで眠れなくなるが、一杯程度ならむしろ香りのリラックス効果でよく眠れる。
儀式のようなものなのかもしれないと快く了承し、茶葉が蒸れるまでの時間をゆっくりと待った。お互いに言葉は何もない。やがて湯気の立つティーカップが目の前に置かれたら、十分に香りを楽しんでから口に含む。
芳醇な味わいの中に僅かな苦み。
「いつもの紅茶と銘柄が違うのかしら?」
「はい。就寝前に適した茶葉を選びました」
「そう」
古今東西、幾多の王侯貴族を襲った「とある手段」が頭をよぎる。
まさか。
ドレスに悪戯したかと思えば半端に三着だけ、偽の情報を流したかと思えばすぐにバレる、そんな人間がそこまでするだろうか? ドレス事件でアンナが疑われた経緯を思えば誰が容疑者筆頭になるかは想像がつく。
ないと思いつつも紅茶を飲むペースを落とす。
ちびちびと、飲んでいるのかいないのかわからない態度をしばし続けていると、身体を眠気が襲ってくる。
これは。
「お嬢様? お口に合いませんでしたか?」
さりげなく尋ねてくるジゼルに微笑んで、
「そうね。十分に眠くなったからもういいわ。ありがとう」
カップを置いて立ち上がる。酩酊感にも似た平衡感覚の狂いを感じる。俺はそれに逆らわず、ただ倒れ方を調整してテーブル上のカップやソーサーを巻き込んだ。
陶器の割れる大きな音。
ジゼルは目を見開いて俺に駆け寄ってくる。
「本当、馬鹿なお嬢様……!」
口に小瓶か何かが押し当てられた。押しのけたいが、子供かつ同性の俺ではメイドの腕力にさえ抗えない。自慢の髪をぐいっと掴まれ上を向かされ、強引にどろりとした何かを嚥下させられる。
無理やり流し込まれたので総量の一割程度がこぼれた。
ここで誰かの足音。ぱっと手を離したジゼルは小瓶を懐にしまうと俺を優しく抱き上げる。物音を聞きつけた兵士が「何事ですか!?」と飛び込んできて、
「なんでもありません。どうやらギリギリまで眠気を我慢されていたようで。これからベッドへお運びするところです」
「たすけ……っ」
気持ちが悪い。視界がぐらぐら揺れる。
必死に助けを求めたものの伝わったかどうか。俺にだけ聞こえる音量で舌打ちしたジゼルは若い兵士と視線を合わせる。また魔法か。大きな効力はないはずだが、平民の彼相手なら違和感を打ち消す程度は可能かもしれない。
『ちょっと、しっかりしなさい! なにいいようにやられてるのよ!?』。
まったくもって不覚だ。なんだかんだ言いながら覚悟が決まっていなかった。平気で他人を陥れるような奴に常識を期待したのが間違いだった。
ここで死んだらジゼルの思うつぼになってしまう。
『そうよ! せっかく生き残ったのに、ここで死んでたまるもんですか!』
縋るような視線で兵士を見上げながら眠りの中へ落ちていく。
最後に聞こえたのはこんな会話だった。
「体調を崩されているのでは? もうアンナを呼び戻しても問題ないでしょう。連絡してまいります」
「ええ。私の仕事はこれで終わりましたので、後はアンナに任せます」
次に気づいた時には、悲痛な顔をしたアンナに顔を覗き込まれていた。
【今回の登場人物】
◇リディアーヌ・シルヴェストル:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり
◇セレスティーヌ:シルヴェストル公爵の後妻
◇シャルロット :セレスティーヌの娘。リディアーヌの義妹
◇アラン:公爵家長男
◇アンナ:リディアーヌの専属メイド。やっぱり無実だった
◇ジゼル:公爵家のメイド。何やってんだお前




