最終章 「祝宴、そして受け継がれる正義」
その日の夜、堺銀座商店街のイタリアンバルを貸し切って行われた、雪村志帆さんを囲む懇親会は、先程の出来事で持ちきりだったね。
志帆さんはもちろんの事だけど、一連の事件に立ち会った私達にも、矢継ぎ早の質問が来ちゃうんだからさ。
主だった質問に答えた後も、京花ちゃんと葵ちゃんは志帆さんと未だに話し込んでいる。
客席にいた葵ちゃんはともかく、京花ちゃんは堺電気館のトークショーで存分にお喋り出来たのに、まだまだ話す事があるんだね。
つくづく感心しちゃう。
「さっき支局の医務室に問い合わせた時に聞いたんだけど、食中毒で市内の救急車がほとんど駆り出されていて、支局のアンビュランスにも動員がかかっていたんだってさ。」
赤ワインのボトルを手酌しながら、マリナちゃんが私に話しかけてくる。質問攻勢も一段落したので、私とマリナちゃんは差し向かいで飲んでいたの。
「一条通の新町で通報したから、支局のアンビュランスだったらさっさと来ると思っていたのに、妙に遅かったのはそういう事情だったんだね。」
オレンジの酸味とシナモンの風味が存分に効いたサングリアのグラスを空にしながら、私が応じる。
私はどちらかと言うと、カルーアミルクやグラスホッパーみたいな甘いカクテルが好きなんだけど、せっかくイタリアンバルに来たんだから、ワイン系のお酒を飲んだ方がいいだろうね。
そこを行くとサングリアは、フルーティで爽やかな甘味があるワインベースのカクテルだから、私の好みにピッタリなんだよね。
それに、サングリアは個人的に思い出深いワイン系のカクテルだからね。
「それと、あのタクシードライバー、容態が安定したので総合医療センターに移送になったってさ。これで一安心だね、ちさ。」
「そっか…それは良かったね。後は妊婦さんが無事なら、それで万々歳だね。次は私が御酌するよ、マリナちゃん。その代り、その赤ワインを少し分けてよね。」
そんな時、私のスマホに着信が入ったんだ。
発信者名を見ると、さっきの妊婦さんが搬送された産婦人科だった。
万が一にも何かあった時のために、通報者である私のアドレスを教えたんだけど、早速電話が来るとは思わなかったよ。
「ちさ、電話だよ。」
マリナちゃんに言われなくても分かっているけど、出来たら出たくないんだよな。昼間の一件があるから、どう考えても嫌な予感しかしないもん。
「ちさ…」
促すような、或いは咎めるようなマリナちゃんの声に後押しされて、私はスマホを通話状態にしたんだ。
こうなったら乗りかかった船、今日はそういう日だと思って諦めるよ!
-お忙しい中失礼致します。私、黒土レディースクリニックの田所と申します。吹田千里准佐のお電話で、お間違いはございませんか?
「はい…」
看護師さんと思わしき年若い女性の声は、私の予測に反して明るかった。
-長道さんに、元気なお子さんが産まれました!それも、男の子と女の子の双子です!自分達親子を助けて下さった特命遊撃士の皆さんと雪村志帆さんに、是非とも御礼をお伝えしたいとの事です!
この長道さんというのは、志帆さんと私達が昼間救助した妊婦さんの事だよ。
双子で男の子と女の子…
つまり、二卵性双生児だね。
「そうですか!それはおめでとうございます!今、志帆さんも一緒なんですけど、良かったら代わりましょうか?」
-志帆さんもご一緒ですか!?はい!是非に!
スマホを手にして立ち上がった私は、志帆さん達のテーブルに歩を進めた。
「葵ちゃん、京花ちゃん!悪いけど、志帆さん借りるよ!」
お喋りを中断されたので、ほんの一瞬だけ興を削がれた顔をしたものの、京花ちゃんと葵ちゃんは顔を見合わせて頷いた。
「志帆さん!さっきの妊婦さん、無事に双子を出産出来たって!妊婦さんが入院している産婦人科から電話が来ているんです!」
一気にまくし立てた私は、志帆さんにスマホを差し出した。
通話状態だったから、こちらのやり取りを思いっきり聞かれているね。
いけないな…
「只今お電話を代わりました。俳優の雪村志帆です。この度は、おめでとうございます。はい…男のお子さんはキョウシロウ君で、女のお子さんはホノカちゃん…漢字で書くと…!そうですか!きっと本人も喜ぶと思います!『健やかに育って下さい。』と、伝言して頂けたら幸いです!」
私にスマホを返してくれた志帆さんは、満面の笑みを浮かべて京花ちゃんに向き直った。
「京花さん。さっきの話、電話越しだけど聞こえていたかな?」
「はい。無事に双子のお子さんが産まれたそうですね、あの妊婦さん。男の子がキョウシロウ君で、女の子がホノカちゃん。本当に良かったです!」
京花ちゃんの明朗快活な童顔に浮かんでいたのは、何の屈託も打算もない、心からの笑顔だった。
他人の喜びを我が事のように喜べる。
それが京花ちゃんの良い所だよ。
「凄いのは、ここからよ。その双子さんの名前を、漢字で書くとね…」
志帆さんはサイン用の油性マジックを取り出すと、手帳に字を書き始めたの。
「ほら!」
グッと広げられた手帳のページには、双子さんの物らしい2人分の名前が記されていたんだ。
「『京志郎』に『帆乃花』…これって!」
葵ちゃんの青い両目が真ん丸になり、大きく見開かれた。
「私と志帆さんの名前の字だ!」
京花ちゃんの驚き様は、葵ちゃんのそれを遥かに越えていたね。
まあ、それも無理もないよね。
憧れの人と力を合わせて救った新しい命に与えられた名前が、その憧れの人と自分の名前の漢字を組み合わせた物だったからさ。
「ねっ、凄いでしょ?まるで、私と京花さんの間に出来た子の名前みたいな感じがしない?」
ねえ、志帆さん…その場合、旦那さんと奥さんは、京花ちゃんと志帆さんのそれぞれどちらが担当するのかな?
ベタな突っ込みで、本当に申し訳ないけれど。
「はい!志帆さんと私の名前が組み合わせられているなんて、感無量ですよ!それに…」
「それに?どうしたの、京花さん。」
微笑みながら促す志帆さんに、京花ちゃんはこのように答えたの。
「こうやって誰かに感謝して貰えると、『特命遊撃士をやっていて本当に良かったなあ!』って、改めて実感するんですよ!」
京花ちゃんの言っている事は、私にも当てはまるよ。
いや、人類防衛機構に所属している防人の乙女全員が共感出来る思いだよね。
仮に誰からも褒められなかったとしても、私達は正義のために戦うけれど、助けた人から感謝の声が伝えられた時の喜びはひとしおだよ。
「貴女達と一緒に人助けをする事を通して、私も現役の特命遊撃士だった時の素晴らしい日々の感覚を呼び覚ます事が出来て、本当に感謝しているわ。でも、私は京花さん達に、ちょっぴり嫉妬してしまうな…」
「志帆さん、それは何故ですか?」
私が疑問に思っていた事を代わりに聞いてくれてありがとう、京花ちゃん。
「だって、貴女達は現役の特命遊撃士で、これからも正義のために輝いていけるから…」
「それは違うよ、志帆さん!」
ピンク色のロングヘアーをフワリと翻し、ガタリと椅子を鳴らせて立ち上がったのは、私と同じ御子柴高等学校1年A組の神楽岡葵ちゃんだった。
「志帆さんだって、今もみんなに勇気を与えているよ!志帆さんが変身前と変身後の両方を演じたマスカー騎士ブラストは、小学校の時の私の憧れだった…ううん、今も私の憧れのヒーローだよ!今年の春休みに公開された『マスカー騎士超決戦!』で、志帆さんがブラストに変身するシーンを見て、今の幼稚園の子達も歓声を上げるんだよ!」
「私にも言わせて、葵ちゃん!」
志帆さんに向かって『マスカー騎士』シリーズへの愛に満ちた思いの丈を滔々と語る葵ちゃんに、『アルティメマン』シリーズを愛して止まない京花ちゃんも触発されたようだ。
「今日の堺電気館には、サトナカ隊員と、サトナカ隊員を演じた志帆さんを愛して止まない人達があんなに詰めかけていました。私や葵ちゃんも、その1人です。映画の中で、超古代魔獣に怯えるナガセ隊員に向かってサトナカ隊員は、このように言っていました。『諦めたら、そこでお仕舞い。でも諦めない限り、私達は立ち上がれる!』って…その言葉に励まされた人はたくさんいます!私だってその1人です!特命遊撃士を除隊しても、志帆さんはたくさんの人を助けて励ましています!私の方が、志帆さんを羨ましく感じてしまう位に!誰かに勇気を与えている限り、志帆さんの魂は永久に特命遊撃士です!」
憧れの人に思いの丈を全てぶつけきったからなのか、言い終えた京花ちゃんは少しふらついていたんだ。
そこでさり気なく京花ちゃんの両肩を後ろから支えるマリナちゃんの心遣い、私はちゃんと見ているよ。
「ありがとう。貴女達のような後輩を持てて、私は誇りに思うわ。私も初心に戻った気持ちで、次の撮影に望めると思うの。」
そう言うと志帆さんは、再び油性マジックを取り出して席に着いた。
「京花さん、葵さん。さっきのサイン会に持って来てくれたブルーレイボックスの、ブックレットを貸してくれないかしら?」
2人が差し出したブックレットに、志帆さんはサインを記して返すのだった。
「やった!ジャケットだけじゃなく、ブックレットにもサインをして貰えたよ!」
「志帆さん、ありがとうございます!」
今にも飛び上がりそうな弾んだ声を上げる葵ちゃんに、最敬礼をしそうな京花ちゃん。
「宛名書きもよく見てね、2人とも。」
いたずらっ子のような得意気な表情を浮かべる志帆さんにつられた京花ちゃんと葵ちゃんがブックレットを覗き込むと、そこには次の一文が記されていたの。
「我が愛しき後輩へ捧げる。」
その後に続く宛名書きは、2人のフルネームと階級になっていたの。
つまり、「枚方京花少佐」と、「神楽岡葵准佐」だね。
「私も頑張るから貴女達も挫けないでね、可愛い後輩さん達!」
「はいっ、志帆さん…いいえ!雪村先輩!」
「この神楽岡葵准佐、ご期待に沿えますよう努力する所存であります!」
威儀を正して敬礼の姿勢を取る京花ちゃんと葵ちゃん。
それにつられた私とマリナちゃんが同じ姿勢を取ると、微笑みながら志帆さんも答礼の姿勢を取ってくれた。
私達の敬礼に、他の席に座っていた特命遊撃士や特命機動隊曹士の子達が続く。
懇親会を訪れた一般のお客さん達が打ち鳴らす拍手が、まるで私達を讃えるBGMのようだったよ。
この日の出来事は、京花ちゃんと葵ちゃんにとって、きっと忘れられない思い出になるだろうね。
そして私も、改めてサトナカ・ユミ隊員のファンになったよ。
頂いたサインを毎朝拝んじゃおうかな。




