第13章 「守れ、次世代の命!」
「うう…私は一体…?」
運転手さんがゆっくりと瞼を開けながら呻き声を上げた。
夢見心地のような表情なので、完全には目覚めていないようだけど、とりあえずは大丈夫そうだ。
「まだ、起きてはいけません。救急車が到着するまで、そのまま仰向けの姿勢をしていて下さい。」
起き上がろうとする運転手さんを制止する志帆さんのキビキビとした毅然な立ち振舞いは、ついさっき堺電気館のスクリーンで観た、科学攻撃隊SATのサトナカ・ユミ隊員その物だった。
或いは、特命遊撃士時代の感覚が完全に戻ったのかも知れないね。
「私は確か、回送中に胸が痛くなって…そうだ!私のタクシーはどうなりました!もしも誰かを轢いてしまっていたら…」
運転手さんの顔が真っ青に染まる。
タクシーから煙が上がった時の葵ちゃんも、こんな顔色だったね。
とはいえ、このままだと精神的ショックで心臓発作を起こすかも知れないね、この運転手さん。
そんな事になったら、せっかくの心肺蘇生処置が元の木阿弥だよ。
「私は人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士、和歌浦マリナ少佐です。安心して下さい。貴方のタクシーは事故に繋がる前に私達が停止させました。犠牲者だって、1人も出ておりません。」
遊撃士手帳の身分証明欄を示したマリナちゃんが、運転手さんを安心させるようにゆっくりとした口調で言った。
そんなマリナちゃんに倣って、私達も遊撃士手帳を開示する。
「同じく、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士、枚方京花少佐と申します。」
おっ!スマートな自己紹介だよ、京花ちゃん。
「同じく、自分は人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士、吹田千里准佐であります。」
私って、特命遊撃士として自己紹介する場合、一般人相手でも思わず敬礼が出ちゃうんだよな。
何しろ、グループの中で私だけ准佐で、友達相手に敬礼する機会が多いからね。
「同じく、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士、神楽岡葵准佐です。あいにく、救助活動と停車処置を同時進行で行う都合上、タクシーはスクラップになってしまいましたが…」
葵ちゃんがチラリと視線を県庁舎の方に向けながら、心苦しそうに言った。
タイヤが完全に破壊されているから、レッカー移動は難しいだろうね、あのタクシーは…
「いや…誰も傷付けていないのなら、それでいいんだよ…例え急病とはいえ、人様を死なせてしまったら、私は運転手失格だからね…それより、娘さん達の手を煩わせてしまって、本当に済まない事をしてしまったね…」
「お気遣いなく!管轄地域の善良な皆様を、ありとあらゆる脅威からお守りする。これこそが、人類防衛機構に所属する私達の本分なのですから!」
微風に青い左サイドテールを靡かせながら、京花ちゃんが誇らしげに胸を張る。
不必要なまでに誇張されたそのポーズは、どことなくコミカルだ。
運転手さんの意識が回復して精神的に余裕が生まれたのか、それとも、運転手さんを安心させようという心遣いなのか。
多分、その両方だね。
「私もこちらの方々に、命を助けて頂きました。お陰様で、お腹も打たずに済みまして…」
志帆さんの傍らに何となく立っていた妊婦さんが、このタイミングで初めて口を開いたから、私も意外に思ったよ。
過失とは言え、自分とお腹の子に危ない思いをさせた運転手さんへの、皮肉とか当てこすりとか、そういうのじゃないよね?
「そうでしたか。身重の身体なのに怖い思いをさせてしまって、本当に申し訳ない事をしてしまいましたね…私が言う資格はありませんが、元気なお子さんを産んで下さいね…」
申し訳ない気持ちは分かるけど、無理に喋ったら身体に障るよ。
そうこうしているうちに、衛生隊員と医官が搭乗した第2支局所属のアンビュランスが到着し、運転手さんは担架に乗せられて運ばれていったの。
最初に私が119番で呼んだ消防局の救急車は、可哀想だけどお払い箱だね。急いで通報を取り下げないと。
「やれやれ…暴走タクシーの事故を食い止めたと思ったら、その次は運転手の救助活動か…今日は色々な事があったね。」
こう呟きながらマリナちゃんは、大義そうに伸びをしたんだ。
ストレッチをしなくてはいけない程の疲労は溜まっていないはずなんだけどな。
志帆さんが言うように、身体は疲れていなくても、精神的な疲労は別なのかも知れないね。
「とはいえ、これで肩の荷が下りた気がするな。これにて一件落着…」
「ヴッ…!ウウ…」
葵ちゃんのリラックスしきった声は、静かに響く低い呻き声で断ち切られた。
まだまだ一件は終わっていなかったみたいだね。
座り込んで呻き声を上げる妊婦さんに、私達の視線が集中する。
「大丈夫ですか?しっかりして!」
私は咄嗟に妊婦さんの手を握って、大声で呼び掛けたの。
そんな私の頭の中を無意識のうちに埋め尽くしていったのは、何とも悪いイメージばかりだったんだ。
「もしかして、お腹をぶつけていたのかも…」
先程の葵ちゃんや運転手さんを彷彿とさせる、蒼白の顔をした志帆さんの呟く声こそ、私の脳裏にある悪いイメージの最たる物だよ。
正直言って、口に出すのは勘弁して欲しかったかな。
私の頭の中の悪い想像が、余計に増幅されちゃうから。
「違います…破水しちゃいました…もうすぐ、産まれそうです…!」
「え?」
唖然とする私達の前に、けたたましいサイレン音を伴いながら救急車がタイミング良く停車してくれた。
良かった、通報をキャンセルしていなくて…
「通報者の吹田千里准佐は、貴女ですね?」
「はい、私です!あの妊婦さん、産気づいちゃったんですよ!」
私は妊婦さんを残りの救急隊員に任せると、事情聴取に応じるために立ち上がったの。事態の説明は通報者として当然の務めだからね。
「通報では、タクシー運転手の初老男性が発作を起こしたと聞きましたが?」
年若い救急隊員のお兄さんは、怪訝そうな表情を浮かべていた。
まあ、通報を受けて現場に駆け付けてみれば、急患が性別レベルで変わっちゃったんだから、無理もないよね。
「何しろ急を要する事態ですから、第2支局の医務室にも連絡をしたんですよ。支局のアンビュランスが先に来たので、それに運転手さんを乗せたら間髪入れずに、今度はこの妊婦さんが産気づいちゃって…」
そうやって事情を説明する私の声は、救急車からストレッチャーと一緒に降りてきた人影の渋い声で遮られたんだ。
「西村、その嬢ちゃん達がイタズラ目的で通報するはずがないだろう。遊撃士の嬢ちゃん達に、そんな疑り深い顔を向ける恥知らずがあるか?そっちの赤いブレザーの嬢ちゃんが持っているAEDが、何よりの証拠じゃないか。それに、妊婦さんが産気づいているんだろ?こんな埃っぽい所で産ませる気か?」
いささか伝法で荒っぽいけれども、情の深い声である事は確かだね。
「すみません、今井さん…それに遊撃士さんも…」
西村と呼ばれた救急隊員は、私に頭を下げるとストレッチャーの方に向けて駆け出した。
「黒いお下げの嬢ちゃん、済まないな。こいつ、新人だから慣れてなくてよ。根は良い奴なんだから、悪く思わないでやってくれないか?」
「い…いえ…」
このベテラン風の救急隊員さんは「今井さん」と言うらしいね。
些細な問題だけど、私の髪型は、お下げじゃなくてツインテールなんだけどな…
妊婦さんを乗せたストレッチャーが収納された救急車が走り出して、テールランプとサイレン音が確認出来なくなるまで、私達は一連の流れを見守っていた。




