表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十二章
126/127

五/ある『佳き脚』の魂

※違う場所・違う視点が含まれます



 どのくらい暗闇を駆けているのだろうか。

「はあ、はあ、はあ、……」

 自分の心音と呼吸音しか聴こえない空間にて、風と匂いとを頼りに進む。方角はわからない、視界はとうに塞がれている。流れ出る己の血により。

「っく、はあ、はあ、」

 血を流し過ぎたのか、鼻も利かなくなってきた。むしろよく、この状態で動けている。頭と背の傷の深さは把握するにおぞましく、もはや治すこともできまい。しかし四肢は無傷であることが、希望だった。その事実が今の自分を動かしている。前に、進ませている。

「ぅう、はあ、はあ、はあ……!」

 脚は動けている。脈動は確かだ。

 何より。

(だめ、ここで、こんなところで、産みたくない……!!)

 この胎に在る、大切な我が仔を。この場で産み落とすわけにはいかないのだ。



 どうして、身重の自分がこんな状態になっているのか。それは彼女自身も半分以上解らない。安全であったはずの故郷の森、そこで突然異種族に攫われ、そして無理やりに連れてこられたからだ。この、人界という霊気薄い界に。


 ……あの日あの時、彼女は拠点中心の水場に居た。胎の仔も自身も、なんの問題も無く健やかで。長のつがいの初産だったため、親しくしていた群れの皆も皆そわそわと楽しみにしてくれていて。中でも若者が、天界でも珍しい栄養効能のある蓬莱桃ほうらいとうの噂を聞きつけ、その種が落ちた箇所を探索しようと言ってくれた。危険な毒茨の群生が近くにあるので行かなくてよいと止め、一旦は渋々従ってくれたことを覚えている。しかし彼らは、若者らしい血気盛んさから諦めていなかったのだ。翌朝年長者に黙ってこっそりと縄張りを離れ、其処に向かったらしい。興味を示した幼生を、口止めも兼ねてこっそりと連れ出して。

 ことが起きたのはそこからだった。朝から幾ら待てども、彼らは拠点に帰ってこない。心配した年長者達が捜索を開始し、そして毒茨の中で動けなくなっている彼らを見つけた。その報せが水場に居た彼女達に届いたのは、すっかりと日も暮れた頃。

 若者らが護りの霞を纏わせていた幼生に怪我は無かったが、何の守護も無く経験も浅い者らは深刻な負傷があり、そして落ちた場所が難儀だったため、救出作業は困難を極めた。まして、上級の肉食種が近くを徘徊しているとなると、経験豊かな者らも慎重を期す必要がある。簡易結界の展開と先導者が一頭でも多く必要なため、長はじめ他の者らもその場に向かうこととなった。自然、拠点は他の幼生と動くことのできない身重の自分、世話役の一頭だけとなり。

 時間がかかるゆえ、先に休んでいてくれと云われたが、彼女は寝ずに待つことにした。こうなった責任の一端は自分にもあると考えたからだ。そのうち幼生らは待ちくたびれて熟睡。世話役として残った一頭の雌が、徹夜の糧を得るため場を離れた。

―――そして。



 あの日から、月日にしてどのくらい経ったのか。今は血まみれとなり、居るだけで生命力が削られるこの異界にて、それでも必死に走っている自分がいる。

 何故こんな目に、と嘆く心は後回しだ。今はそれどころではない、とにかく駆けなければ。一刻も早く、一里でも遠くに、征かなければ。

(この仔を産むために)

 ただ、身体的に辛い状況に在るのは間違いない。痛みはひどすぎてもう麻痺しかけているが、呼吸がひどく苦しいのだ。これは、負傷している身で駆けているからだけではない。

(大丈夫、だいじょうぶよ、だからまだ、まだよ、お願いだからまだ出てこないで)

 器が成長し切った仔が、外へ生まれ出ずる動きを始めている。その状態で、通常ならば安静にしなければならない母体で無理やりに四肢を動かしているせいだ。不調を宥め、誤魔化しながら進んでいるので、常の数倍の脚力を行使せざるを得ない。まして、この環境。

(霊気が、薄い……!)

 此処は己の居るべき場所ではない、そのことを全身が訴えている。本能が、今の状態ではこの界は危険に過ぎると警告を発している。

 だからこそ。

(止まっては駄目。今脚を休めてしまっては、二度と動けなくなる)

 そのことが解っているからこそ、自分は脚を動かす。限界を迎えて尚、それを越えて行く。

 目指すべきものこそが、自分の魂が在り処だから。


◆ ◆ ◆


「よく……よくぞ還ってきたねえ……本当に嬉しいよお」

 おいおいと泪を流しつつ、ワカバの角に角を擦り合わせるは年嵩の雌である。萌葱が雄のつがいで、この群れで一番の年長者である、とのこと。群れの皆は血縁関係になくとも、彼女を長老として慕っているらしい。

「長によく似ているのは勿論、あの橙の仔にもそっくりだねえ。まるであの仔が還ってきたみたいで、本当に嬉しいよお」

 視界の隅で何頭かが、そっと視線を伏せた。

「わたしのお母さまがわたしに似てるって、本当、ですか」

「ああそうさあ。あたしにはわかる。あなたの魂は、あの仔そっくりさあ」

「魂……」

「霊気の質って言えばわかるかねえ」

 殆ど見えていない、白く膜の張った双眸はそれでも、こちらの本質を見抜いてくる。年季の入った角が、白樺の若々しい角にそっと合わされた。

「ああ、同じだねえ。広く澄んだ泉。森の緑を映す清らかな水面。水精も風精も、そして火精や地精だってあなたが好きさあ。穏やかで安定した明るい霊気。波立ちさえ鮮やかで快い。どういう相手でも良きところを彩り、見出し、活かしてくれるからねえ」

「ええと、」

「我がつがいは目を悪くしている分、霊視が得意でな。ただ、口上が独特だからわかりにくいか。最上級に褒めているんだよ」

「あ、はい、ありがとうござい、ます」

 注釈を入れる萌葱が雄と彼のつがいに、あたふたとしつつ礼を返すワカバ。

「うんうん。あなたは優しくて賢い、素敵な仔だあ。きっとこの先も、良いことが沢山あるよお」

 色の薄い鬣の隙間よりにこやかな念を発しつつ、次いで我輩の方に向き直る長老。ただし、少々距離がある。彼女のつがいの前であるし我がつがいの前でもあるので、異性に遠慮があるのは当然であるが。

 見えない双眸が、少し眇められる。

「あなたは……判断するにちょっと難しいねえ」

「左様か」

「高い霊力を持っているし脚力も充分、きっと得意なことが多いだろう。深き森の深き先。性質も穏やかだし、若さの割に落ち着いているし、この森で棲むに易いけど、難くもある。少々鋭すぎるねえ、その霊気は。まるで木賊とくさのようだ」

「ふむ。……」

『騎者持つ騎獣であることは、同族には出来るだけ隠した方がいいね。……云わずとも気づいてしまった者は仕方ないけれど』

(出来る限り霊力を抑えてはいても、勘づかれる者には勘づかれるということか)

 森の主どのの言がその通りであること、薄らと感じる。不審に思われるより早く、準備していた言の葉を紡いだ。

「――独り立ちした直後より下層をよく行き来していたゆえ、雑多な気配に耐性はついている。群れに属さず成長期を過ごしたゆえ、同年代の者より行動範囲は広く脚力も鍛えられた。……人界に征けたのも、良き出逢いが連続したのも、運が良かった。諸々の事情積み重なり、常よりも霊気が強くなったのだろう」

 嘘は云ってはいない。「騎者と逢えた」は省いているだけだ。

「なるほどねえ。だから人界でこの仔と逢えて、それでつがいとなれて、此処に……。ああ、我らが偉大なる始祖に感謝だよお。本当にあなた、運が良かったねえ……年ごろの仔が群れにもいないで一頭きりって、本当にもう、苦労したのだねえ。だから若いのにそんな鋭い霊気に……うう、かわいそうにねえ。これから沢山たくさん幸せになるんだよお」

 またおいおいと、見えない両眼から泪が零れ落ち始めた。内心大いに慌て、つがいに慰めるよう視線で促す。どんな年代の者でも雌に泣かれるのは昔から苦手だ。

 萌葱が雄は慣れた様子でつがいの角をひと舐めし(実際飽きるほどこういう状況になるのだろう)、我輩に向き直った。

「我がつがいはかの草原が群れにも、肉親が居たんだよ。若き緑の、憶えているか? この鬣を」

「? ……う、む」

「その様子だと、憶えていないか」

「そうだよねえ。こんな婆さんだものねえ……」

 やれやれと角を落とす雄と、がっくりと角を落とす彼のつがい。これには我輩も急ぎ記憶を辿る。が、どうも引っかからない。

「……、……済まぬ」

「はあ。萌黄もえぎ色のふわふわした鬣の、大きな身体の雄が居たでしょう?」

 云われた途端に蘇る、淡く優しい黄色の鬣。そして太い地鳴り声。

「! かの雄か!!」

「そうそう。あの仔はねえ、歳の離れたわたしの弟なのよお」

「ほう!」

「ああ。かの群れはこの森の出身者が多いんだ。そう、」

 萌黄のつがいもつ萌葱の獣は、優しく続けた。


「おぬしの養父である橙の雄は―――かの雌の兄でもある」


 ああ、と。我輩とワカバの声が合わさった。それほどまでに、納得のゆく事実であった。

(やはり、そうだった)

 逢ったことも無い獣に感じていた、懐かしみ。互いの親が同じ燃え立つような橙色の鬣を持っていたこと、共に感じ入り勝手に親しんでいた。霊視で一度視ただけの鬣が、これほど我が脳裏に印象深く残っている理由。それは見事さと同様に、遠き昔見知っていた懐かしさゆえに相違ない。

「やはり我が養父は………ワカバの、伯父であったのだな」

「やっぱりそうだったんだね……!」

「うむ」

 新緑の瞳が感動に打ち震えている。我輩も釣られて感動していた。違う群れ同士のこういった血縁関係は、別段珍しいことではない。しかしどうも、この新緑の新鮮な感情表現の前では、自分の感性も豊かになってしまう。

 そんな我輩らを微笑まし気に見つめ、白濁した瞳は、だいぶ色を薄くした萌黄色の隙間から感慨深い表情を載せた。

「……若い仔らが喜びの念は、何度感じても嬉しいものだねえ。これも始祖のお導き、いや、『強運は天命にあらず、足掻くものに訪れる』か」

 蒼のも云っていた、一族の諺。

(実際、人界という場所を思えば出逢えたのは奇跡だ。しかしこの巡りあわせは、妙なる運は、やはり、ワカバの母御が力の限り足掻いてくれたお陰なのだ)

 我が一族にとって「足掻く」は決して消極的な意味合いではない。絶望的な状況においても折れることなく努力し続けた、その行動自体を指す。自らの脚を使って目的とする場所に辿り着く、結果的にそれをなし得た者こそが勝者であるから。

(そして、実際になし得たワカバの母御は)

 誰が何と言おうと、克ったのだ。……例え、どんな苦しい状況に陥っていたとしても。


◆ ◆ ◆


「ぐっ、はあ、はあ、はあ、は……」

 脚を止めてはいけない、止まってはいけないのだ。それが解っていてなお、身体的な限界は無情にも彼女を襲った。

(まずい、だめ、もう動けない)

 脚を動かそうにも、もう下肢が収縮し始めている。前進は出来ず、これ以上我慢すればお腹の仔も危ないだろう。

(産まれる、もう産むしかない)

 霊気薄い場所から駆けること数時間、やっと霊気の在る場所に辿り着いてはいる。しかし、こきょうに比べると、実に危うい。

(こんなところで、この仔は、)

 果たして、健やかに生まれるのか。



(悩んでる場合じゃない、この仔を、絶対に死なせない……!)

 諦めない。それが、自分の魂の在り処だからだ。

(絶対に……!!)

 集中する。何も視えない暗闇で、ずっと確かなものに。

 今にも生まれ落ちようとしている胎の仔。脈動。生の証。

 それだけは、護る。

(他は、どうなったっていい)

 集中する。残った霊力を振り絞り、己の腹へと注ぐ。

 集中。

(癒しを。わたしの器じゃなく、この仔へ)

 生まれ出ずるこの小さないのちに、怪我が無いように。例え通る産道が傷ついていようと母体の血が足りなかろうと、無事に出て来れるように。そして。

(立って、そのままこの場を去って生きてゆくのよ)

 草食種の赤仔は、生まれ落ちたその瞬間から四肢が丈夫だ。外の世界に適応するべく、頼りない足取りでもその場からすぐに離れられるように最低限の筋力は備わっている。血の匂いが長くその場に留まり、肉食種を招き寄せないように。天界霊獣とて例外ではない。しかし霊気薄いこの界で、どこまでこの仔が自在に動けるのか判らない。ゆえに、余分に力を注ぐ。分け与える。己の、残り僅かな生命力を。

(お願い、どうか、)

 少しでも健やかに、生まれることが出来るように。生まれ落ちて尚、すぐに走り出せるように。


―――その日、人界の片隅で小さな霊力の炸裂が起きた。極々小さな、取るに足らない霊気の塊が集中したことで乱れた霊圧。―――


 一瞬で終わったそれは、されど霊力界隈の片隅で小さな花を咲かせた。―――霊圧の差により一日だけ気温感覚の狂った、東鈴蘭アズマスズランの花を。



 ……もう、既に自分の呼吸も心音も聴こえない。

「すう、すう、」

 聴こえるのは、健やかに生まれた我が仔の寝息だ。

(うまれ、たけど。……眠っている)

 四肢健康に産み落とすことができた、それは間違いないのだが、肝心の赤仔の意識が無い。否、肺呼吸は成功しているし、直後はちゃんと意識があった。しかし。

(どうしよう、わたしの血のにおいで、気絶、させてしまった)

 当たり前だ。自分達一族は、血の臭気に弱いのだ。

(どうしよう、どうし、)

 そして、自分の意識も遠のきつつある。―――こちらは仕方ないこととはいえ。


 赤々とした夕暮れ。それが、彼女自慢の鬣を照らす。もう殆ど失いかけている意識のさなか、ふと彼女は想った。遠き地に居る――界を隔ててしまったからこそ、思念すら届かず気配も感じ取れない、彼女の大切な半身を。

(ごめんね……貴方のもとに還れなくて)

 想う。いとしきつがいを。かけがえのない仲間かぞくらを。

 自分は、とうとうこきょうに還ることが出来なかった。

(でも、この仔は、還ってほしい。だれか、還らせて、あげて、)

 死にゆく身で、我儘な願いだけど。







―――りぃん








 風と共に、何かが鳴った。幾度か、同じ音が続けて鳴らされる。


―――りぃん、りん


 続いて、さくさくと草叢を踏み分ける音。小さな、独り言。

「――うーん、アズマスズランだべか? めっずらしいなあ」

 何も見えないなりに、気配がした。不思議なことに、その存在が解った。

(人間が、いる)

 この界における最多の人型種族。その一体が、彼女らの方に近づいてくる。「秘境のベル」に呼ばれて。

 かの音と気配に励まされるよう、薄れかけた彼女の意識が舞い戻ってくる。最期の仕事を果たすために。

―――りぃん

 一日だけ狂い咲いた東鈴蘭の花が、静かに音を響かせる。こちらだと、これがお前の運命だと報せるように。

―――りぃん

 人間の足音がそれを頼りに、近づいてくる。彼女の前に、姿を現そうとしている。

「どこに咲いてるべかな~」

 それは、ある意味賭けだった。しかし、彼女は賭けるしかなかった。

(このことづけが、わたしの今生の願い)

―――りぃん、……



「に、んげん、のかた。たのみが、ある、のです。……」



 すべて、託し終えた直後。彼女の意識は誰にも追いつけない場所へと駆け去っていった。

 賭けに勝った、満足気な感情を残して。

 ただ。


(わたしはもうしんでしまうから、だれにもつたえられなかった)


 それだけが、後悔であるけれど。この仔が天に還ることが出来さえすれば、きっと同族の誰かが護ってくれるだろうしなんとかなるだろう。そう信じたい。


(どうか、まけないで)


 真実を同族が知ったとしても、脚を折らず前に進んで欲しい。この先どんな天命が待ち受けていたとしたって。

 敗けないでほしい。


……自分を攫った人型種族は、耳の長い妖精エルフではなく、翼持つ御使いの一族―――天使であったという事実に。





萌黄の雌・・・萌葱の雄のつがいで、森の群れ最年長。毒茨から仲間を救うために老齢で霊力を酷使したせいで目がほぼ完全に見えなくなってしまった。でも精神はめっちゃ元気。霊視に優れているので悩める若者相手に時々占いババみたいなことをしている。リョクが騎者持つ騎獣であることに気づいていないのは、角を直接触れ合わせていないため(つがいがいる異性には遠慮するのが一族のマナー)


橙の雌・・・ワカバの実母。勝気且つ心優しい雌で、得意なのは癒しの霊力。リョクの養父である草原の群れ長とは実のきょうだいで、兄が群れを離れてからも仲良く交流していた。もし騎者を見つけていたらリョクよりも強くなれていたであろうイヴァは、この橙色の兄妹二頭です。元から実力者なので騎獣になってしまったらもう手がつけられない←

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ