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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十一章
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 いつ頃であったか、人界に居た頃に体験した娯楽のひとつに「活動写真」というものがあった。何枚もの凄まじい数の写画を連続して専用の機具に取り込み、それを大きな白面に回しながら映し出すことで只人であっても自由な情景を視覚出来るという。

 大量の活動写真が用意されている活動写真館とやらへ騎者どのと共に赴いた際、我輩は人間の細やかな創意工夫に感嘆し、「霊力の視えない只人らは、残留思念を読み取れぬ欠点をこうして昇華したのだな」と発言して騎者どのに「大体合ってねえしイヤミは小さな声で言いやがれ」と叱られた。他意は無かった。

 それはそうと。活動写真で見た像のひとつに、二本足のおとこが二本足のおんなに求愛する、という場面があった。人間の愛憎機微なる日常描写並び恋愛過程は我輩にはとんと理解が及ばず興味もさほど湧かなかったのだが、唯一、その場面だけがとても響いたのである。


 彼は、初めて恋した彼女を自分の一番気に入っているとっておきの場所へと誘った。不器用ながら誠意の証として。自分なりの、心の見せ方として。

 その様を見て、強く感じたのだ。

 我輩も、つがいが出来たらかのようにしたい、と。


 どのような映像であったかはやはり、部分的にしか覚えていない。けれど、その時分のその人物の行動理念は我輩にとって何より共感出来るものであったがため、当時感じた強い願望と共に今こうして、思い出すに至っている。動物として求愛のかたちが似通うなどよくあることだが、二本足らのそれが我ら獣のそれと重なるなど思いもよらなかったので、余計に印象的であった。

 漠然とした心象の視覚化、娯楽の中の真実、無限の夢。思えば、かの文化が真髄とはそういうことだったのかもしれない。生きる上で心に余裕を持たせるための「寄り道」、それを視覚での娯楽に求める人間の多さも、そう考えれば納得だ。異種である我輩にも響いたように、目で得る情報の共有し易さは他の比ではないからだ。

 話を戻す。


 今のおのれが唯一の恋を捧げ、誰よりも大切に想う存在。

 彼女に見せたいものが、連れていきたい場所があるとするなら。

 それは……


〇 ● 〇


 下層に留まったのは数刻ほど。一通り別れの挨拶を済ませたワカバが戻ってきたのを合図に、中層へ向かうこととする。

 気候や内在霊気に問題はない。ただ、若干の懸念があるとするならば。

(人界育ちであるワカバが、層越えを負担とせねばよいが)


 天を源流とするならば層越えは誰でも可能だが、慣れぬ者ほど時間を要する。低位天使の翼で半日以上、我ら「イヴァ」の独り立ち直後の脚で半日弱。育ち尽くし要領を得た成獣の脚では、一刻から半刻ほど。初心者の、しかも未成熟の脚では幾ほどかかることか。

 いつか天使の我が友を背に乗せて上層へ駆けた時のように、騎乗していたり先導者が居たりする場合は、その者の要領如何に関わらず時間を短縮して到達できる。ただそのいつかと違うのは、我輩に付いてくる者がまったくの層越え未経験だということだ。歳若く他の界で育ち天が心象の薄い者が、成獣おとなの脚についてこれるのか。それだけならまだしも、ふとした気流の乱れに華奢な身体が吹き飛ばされでもしたら。我輩の脚では中層に着くまで半刻とかからないが、かのような急激な移動に当のワカバが疲労困憊になってしまったら。

 本能的に大丈夫だとはわかっているのだが、我輩の個獣的な気持ちとして、心配でたまらない。

「ワカバ、我輩から目を逸らさずついてくるように」

「わかった」

 万一を考え、ワカバに護りの霞を纏わせる。我が霊力が白煙が如く、若草色の鬣や滑らかな体表を包んで覆う。これならば、外圧より身を護れると同時に体力の回復も見込める。小さな身体が移動に不都合無い程度に防護されたのを確認し、我輩は風を集めた。

 先ほどまで縦横無尽に戯れていた風精らが、無言のうちに引き寄せられる。彼らが四肢と結界越しに集うその中で、風を支配するものとして言霊を発す。

《如何な風雨も我らの道を遮るもの足り得ぬ、それを示せ》

 下層から中層への層越えにしては些か本気過ぎる、と蒼のなら失笑するだろう。なんとでも言うがいい、我が背後に続くは、我が命以上に尊く護らねばならぬ存在。万全を期するが旨。

「準備はいいか」

「うん!」

 きらきらと清らかな新緑は、全幅の信頼を示しこちらを見上げてくる。千里も駆けたら折れてしまいそうなほどに細い脚、嵐を受けたら飛ばされてしまいそうなほど小さく軽い身体。この前に立ち塞がるものあらば、すべて我が蹄で蹴散らしてやる。

「征くぞ」

 愛するつがいが後に続くことを確認してのち、地を蹴った。


〇 ● 〇


 脚こそが、我ら一族そのもの。


 誇りであり、最大の武器。


 そして、自分が自分であるための、至高の表現。



 そうして征くなか、我らは己がことわりを識る。

 身の内に燃える炎、吹く風、きらめく光に忍び寄る闇。時に冷たく凍りつき、時に落ち着かなく揺らぐことはあっても。それはすべて、おのれ自身だと。おのれを信じる限り、道はどこまでも駆ける意志を否定しない。目指すものが遠ければ遠いほど、そこまで征きたいと望む心は、動く脚は、どこまでも成長してゆけるのだ。

 脚と、心が健全ならば。

 我らはどこまでも、つよくなれる。


 やがて。

 道は長く遠くも、なればこそ見つけた楽しみは濃く深く。

 無心であったはずのひとときが、いつしか心の置き場となり。

 過ちを繰り返しながらも、次こそはより正しいと信じるものを選ぶにつれ。


 いつしか。

 魂が色の同じ者と出逢い、豊かに枝葉は茂る。見つけた花は自然に落ち、水と共に流れる。

 行き着いた場所にて、新たなものを育むことをおしえられる。そしてまた、新たなおのれを識る。

 己が理を貫いた先には、生命の理が待つ。


 なんという僥倖か。

 なんという……祝福であろうか。


 騎者を背に乗せ駆けるが快ならば、番いと共に駆けるは悦。


 ああ、我らは生きている。


〇 ● 〇



 無論、懸念は懸念に留まり、ワカバの層越えに問題は無かった。


「ここが……中層?」

「うむ」


 風の軌跡の後、ふわり、と我らは其処に降り立つ。天が中層の一端、とある森の外れ。

 あの巨大な霊樹の前に。

(――自然と、此処を目指していた)

「……」

 護りの霞が解かれ、ワカバは蹄を踏み出した。最初の一声のち、何も発さずかの存在を見上げる。七千の歳月を越え、今も尚堂々と支えも無しに聳え立つ巨木を。

(母御の、眠る場所)

 その小さな後姿を見つめるに、思い出す。今のワカバよりももっと小さな我輩が、過去にここに立っていた。大切なものを失い、消えぬ傷を負い、深いかなしみに遭い、己を傷つけ。夏の晴天に励まされ、ここに連れられ独りでこの偉大な存在と向き合っていた。そうして、己が理の一端を識った。

(まず先に、此処に)

 過去、生まれ直した場所に。

 今の我輩の、はじまりの地に。

 今のおのれが誰よりも大切に想う存在を、連れて来たかったのだ。



 下層よりも澄まされ強く、しかし上層よりは柔らかくひろい霊気の圧。

 密に繁った枝葉の隙間より、天光あまつひかりが木漏れ日となって我輩らに落ちてくる。陽光はわずかなれど、影となった地表はそれほど冷たくない。無数の命を受け取ってきた霊樹は、梢先や根に至るまで霊気という生命力に満ちている。自身は動かずとも自身のかしこに動く命を棲まわせるかのものは、全体が何かに包まれているかのように暖かいのだ。

 ほろり、と。

 清く清い新緑より、透き通ったなみだがこぼれる。あの日あの時の幼い仔どもが、ここでも泣いていた。ただし今のこれはかなしみが溶けた泪でなく、純粋なる感動の泪。

 風が清らかな泪をさらう。その流れに任せ、雫を振り払うことなく彼女は頤を上げた。自身の角より高い位置にある浮き上がった根、木肌の窪みひとつひとつが自身の蹄より大きい幹、例え全身で飛び乗っても渾身の力で蹴りつけたとしてもびくともしないであろう枝。我輩とて未だこの巨木を見上げる度、己の小さきを思い知る。

 されど、それは卑屈になるということではない。この風景が齎すものは、まなこに映る大樹のすがたは、世界の限りが無き巨きさの象徴だ。

 広く豊かに腕を伸ばした樹上は、されど優しく影を作り光を通す。この霊樹が生けるものへ与うる印象は威圧でなく、慈愛。

「……――」

 声無く、彼女は云った。すごいね、と。

(そうであろう)

 緑に緑が重なる。我輩も声無く、寄り添うことで同意を示した。


 この巨きな世界が、我らの生きる場所。



 風を纏い、風を切り。

 光を受け、光を流し。


 樹下の揺り籠の次は、小さき森を二頭で駆け抜ける。ぐるりとそこを廻ったのちは、ひとけりですぐ隣の山に駆け上がり、他愛のない谷を越えて楽しむ。つがいが越え辛そうだと感じたら、より蹄を載せ易い箇所へと誘った。天に生けるものにとって、中層は下層よりも更に霊力が発揮しやすく身体も軽い。彼女は最初こそ戸惑っていたが、直に慣れ、内なる霊気が活性化するまま大気に身を任せることをすぐに把握したようだった。そう、我らは天の獣。天は我らの魂が故郷。

 人の界と同じく、雪解けの清水が高き峰より滾々と湧き出る。ただ違うのは、水精の密度が凄まじく濃いことだ。山頂に近いその場所では飛沫ひとつにも精霊が宿り、山肌から落ちては砕けるように笑い、中空を回転しながら好きに躍り戯れている。給水に立ち寄った沢のほとりにて、悪戯好きの水精が我輩らに揃って突撃し必要以上に体表を濡らしてくれた。風とは違うが属するものとしては近い水、そしてこれは彼らなりの友好の証。悪意の無い戯れに我がつがいはびしょ濡れのまま楽し気に笑い、つられて我輩も笑った。無論、人界のものより芳醇な霊気含む水は大変に美味かった。

 給水と少しの腹ごしらえを済ませたのち、渓流のさなかより駆け上がるようにまた我輩らは移動する。山間を越え、西へ進むとそれまでかしこに戯れていた水精らが少なくなり、替わって風精らが多くなる。ここから先は風の楽園だ。そこから南方に向かうと更に風精達は多くなり、起伏少なく草の一本も生え難い荒野が見えてくるのだが、流石に我がつがいを誘うに相応しくないと思ったのでそれよりはやや穏やかな場所を選んだ。

 開けた地平。森に比ぶると格段に背の低い草木が生え、また平地を駆ける獣にとって視界も大変良好な平原である。陽光は強いが吹く風も強く、温みと涼感を同時に生き物へ届ける。若草色の鬣と揃いの双眸が輝き、我輩が導かずとも小さな蹄は自然と前に出た。やがて嬉し気にそこらを駆けて友好的な風精と共に跳び回り始めた彼女は、ここの気候風土が懐かしいそれに似ていることに気づいたのであろう。懐かしい、と感じるほどに、今の我輩らにとって人界でのそれは遠くなってしまった。

 この草原はその昔、我輩と蒼き幼馴染が駆け比べによく訪れた場所。ここで幼き日、気心の知れた若い連中と共に駆け、角を突き合わせて力比べもし、そして日の暮れる間際になってやっと家族の元へ帰った。我輩にとって楽しかった思い出のみが蘇る場所。

 ここの草は背が低いとはいえ、生命力は大変に強い。我らがどんなに駆け回っても、踏み負けることを知らぬように逞しく根を張り葉を繁らせる。そして――春から夏にかけ、実に多様な花が咲く、らしい。らしいというのは、我輩は春の此処をあまり知らず記憶もおぼろげゆえだ。鬣を花弁と花粉まみれにして群れに帰ると身だしなみがなっていないと養母どのに怒られるので、我輩らは春季のみ此処には近寄らないようにしていた。鬣の汚れを落とすのが面倒だったのだ。

 そう語ると、我がつがいはまたも嬉し気に言った。じゃあまた春に来ようよ、わたしと一緒に春の草原を見よう、汚れた鬣は一緒に洗おうねと。



 広大な草原よりまた舞い戻るように道なき道を辿る。次なる場所へ向かう前に、どうしても彼女に識ってもらいたい場所があったのだ。

 霊樹の在る森から二つほど小山を越えた先にあるのは先ほどのものよりも更に小規模の野原、そしてぽつんと建つ小さな木造家屋。人の界より本格的に離れた中層なれどその中で異端ともとれる、「ひと」の手を感じるそれ。

 新緑の瞳が好奇に驚く。

―――これは?

 無言の問いかけには言の葉と、そして行動で返した。


「これは―――翼持つ我が親友の元住居。そして、今の我輩ら・・・の休息場だ」


 すう、と溶け消えるように視界に躍っていた深緑の鬣が消える。四本の脚が二本足となり、重心の位置が変わり、感覚の大半が、周囲に感じる気配の在り様も瞬時に変わり。

 褐色の肌と深緑の長い髪を持った「男」――もうひとつの姿へと転じた我輩は、人界で倣った所作で家屋の扉を開いた。人型の鼻腔に優しく届く、あの匂い。

「ここでは、こう言おう。『ようこそ、ワカバ』」

「―――!」

 もう一度見開かれた新緑は、我輩と家屋とを見比べるように幾度も視線を彷徨わせた。

「我が友は今現在、上位天使となったので上層にて過ごしている。ゆえにこの家屋は実質空き家だ。住人はほぼ居ないに等しいが、信用おける者に頼み定期的に手入れとやらをしているそうので、滞在するに支障はない」

「……」

「我輩もつい先日、立ち寄った際に確かめた。ワカバが好む繊細な『家具』は未だ何も無いに等しいが、二本足の者が座する箇所や横臥の用具は有る。『ひと』が用いるに相応しい休息場と言えよう。いや……、」

「……」

 休息所というより、かのような場所に相応しき名称があった気がする、と思い立った。

(なんと言ったか、騎者どのならなんと称するか、)

 先ほどまで、人界で過ごした時間は遠き過去と感じていたのに。人型になった途端、色濃く鮮やかに押し寄せてきた魂の相棒の声。

『なんだリョク、知らねえのか。そいつはな……、』

(ああそうか)


「ワカバ。――我らが秘密基地へ、ようこそ」


 そうして我がつがい――ワカバの華奢な姿は、我輩と同じくもうひとつの形態へと転じ始める。角が発光しながら頭部におさまっていき、春の若草がかたちを変え、ふわふわと柔らかくたなびく新緑の髪となる。やわく清い印象そのままに、細身の「少女」へと。

 本性と変わらない、全幅の信頼と喜びに溢れたいとしき表情が我輩を見上げた。

「……えへへ。じゃあ『お邪魔します』!」

 人界で言い慣れていただろうその言の葉で返し、ワカバはいそいそと我輩の方へと歩を進める。が、途中で何やら白い頬を赤らめて止まった。

「あの、ねリョク」

「うむ」

「……やっぱり服、着ようか?」

 つい、失念していた。



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