あばよ、戦友……
ハンカチをご用意下さい(大げさだな…….)
ーー時間は少し遡る。
宮廷魔導師団が防御結界を展開している正面から、第三軍はぶつかって来た。
その勢いは凄まじいものがあったが、馬を進めようにも、見えない壁が立ち塞がり、彼らを陣地に入れるのを阻んでいる。
「ふん、小癪な。解除魔法」
レスターが解除魔法を唱えると、後続の者たちも次々に解除魔法を唱えていく。
第三軍の兵たちは、みな、解除魔法
防御結界は瞬く間に消え失せ、レスターたちは堂々と陣地に乗り込み、魔導師たちを蹴散らして進んだ。
まるで草原を駆け抜けるが如く、テントとテントの隙間を通り抜けるレスターたち。
目指すは中央にある、豪華絢爛な飾りのついたテントだ。
(こんな戦場のど真ん中に煌びやかなテントを張るとは。ここにいると教えているようなものだな)
胸の中でそう呟くと、レスターは剣を振りかざし、そのテント目掛けて馬を走らせた!
テントが目の前に近付いてくると、レスターは馬から降りてテントの中へと駆け込んだ。
すると、中ではアルベルトが皇族専用の甲冑に身を包み、ブルブルと全身を震わせながら剣を構えていた。
「……兄上」
こうして顔を合わせるのは、実に何年振りなのだろうか。
アルベルトは目尻を釣り上げ、必死の形相でレスターを睨み付けていた。
対するレスターはそんな視線など、どこ吹く風程度と涼しげに眺めている。
この時点で、実力の差が決定的に開いていた。
アルベルトはレスターに向かって声を張り上げようとしたが、その声はかなり上ずっていた。
「レ、レスター! 今更何用か? 我が軍に加わるというのならば、話をき、聞いてやってもよいぞ!」
「馬鹿を申されますな。兄の立てた愚作の尻拭いに馳せ参じただけのこと」
レスターはアルベルトに対し、冷ややかな視線を向けた。
「此度のこと。審問に掛け、兄上に問いかけとうございます。処罰は然るのちに」
「ふ、ふざけるな! 弟が兄を審問に掛けるというのか!?」
「ふざけてはおりません。既にあなたの皇位継承権は剥奪された。第三軍は皇帝陛下の命を受けてこの場におります」
「な、なん、だと?」
アルベルトは耳を疑った。
レスターは確かにこう言ったのだ。
皇帝陛下の命を受けて、と。
「馬鹿な! 父上はど、毒を……!」
「ん? 毒がどうかしたのですか? 兄上」
「い、いや……」
「ご心配召されますな。発見が早かったため、解毒魔法が間に合いました。経過も良く、間も無く公務にお戻りになられるでしょう。我が帝国の宮廷魔導師団は、本当に腕が良い」
「げ、解毒……」
「えぇ、危ないところでしたが。ご無事で何よりでした。これから毒を盛った者を炙り出します。まぁ、よくて晒し首…….、もしくは血縁者を含めて取り潰しになるでしょうか」
「あ、あぁ……!」
アルベルトは愕然としていた。
全てが彼の計画通りならば、皇帝は既に死去し、自動的に第一皇位継承権を持つアルベルトが皇帝の座につくはずだったのだ。
一体、何がどうなっているのか?
それを考えようとするが、皇帝が存命であると聞き、身体中が震え、力が抜けていった。
程なくして、アルベルトはその場にへたり込んでしまう。
彼が座り込んだ周囲に、ジワっとシミが広がっていく。
アルベルトはうつむき、虚ろな目つきで何かブツブツとつぶやき始めた。
「父上の前では、そのような醜態を晒されぬよう、お気をつけください。もっとも……」
ーーもっとも、兄上が毒を盛るようなことはなかったと存じ上げますが。
そう言おうとしたが、もう、アルベルトにレスターの声は届いていなかった。
ただ、うつむき、ブツブツと呟いているだけだ。
レスターは「ふん」と鼻から息を抜いて目を細めた。
「もはや聞こえてはいない、か。連れて行け」
そう言って顎でしゃくると、部下がそれぞれアルベルトの腕を担いでテントから連れ出して行った。
後には彼が座っていたところのシミが残っているだけ。
それを見て眉をしかめたレスターは、剣をしまい、外に出た。
既に戦いの喧騒は消え失せ、辺りは怪我人のうめき声がチラホラと聞こえてくるだけ。
ところどころ煙が上がっているが、火は見えない。
この程度の陣地、焼き払うまでもなかったのだろう。
完全に第三軍の圧勝だった。
「ふん、訓練にもならんな」
「レスター様」
レスターが周囲を見回して佇んでいると、ベンがやって来た。
「宮廷魔導師団はどうした?」
「最後まで防御結界を展開していた師団長は死亡を確認しました。他の者は怪我こそしていますが、死亡者はおりません。それから、左翼に待機していた部隊ですが、すでに投降しています。如何されますか? 反逆に加担したことになりますが……」
「兄の身勝手な暴走に巻き込まれただけだ。見逃してやれ。師団長の遺体は?」
「は、五体満足な状態ではありません。他の遺体同様に、布を被せたままですが……」
「皇帝陛下の解毒を行なった者だ。彼のおかげで陛下は一命を取り止められた。それに、部下の命を救うために、最後までたった一人で防御結界を展開し続けた彼の行動は尊い。遺体は敬意を持って丁重に扱え。ーーさてと」
ベンにそこまで指示を出すと、レスターはテントの前に留めていた自分の馬に跨った。
「レスター様?」
「アルブラム領へ挨拶に行ってくる。弟が世話になっているからな。ベンは後で来い。他の者は事後処理が終わり次第、帝都へ戻らせろ」
「御意」
そうして、レスターはアルブラム領へと向かった。
彼が領主ジェドと謁見し、和解したことで、アルベルトの暴走で引き起こされた進軍は止められた。
ユリシーズはレスターの手引きで帝都に戻り、再び公務に戻ることとなった。
レスターは帝都に残るよう説得をされたそうだが、王宮の暮らしや公務は肌に合わないと言って断り、例の森の小屋でゆったりとした日々を過ごしている。
アルベルト・フォン・ナザール。
調査の結果、今回の件を引き起こした張本人といあ うことが判明し、ナザール帝国第一皇位継承権を剥奪。
その身柄は皇帝陛下預かりとなり、帝都の地下深くに造られた牢獄の奥に幽閉された。
陽の光はおろか、他人とも隔絶された空間が広がるその場所で、廃人と化したアルベルトは、死にゆくその日まで牢屋の隅に縮こまり、虚ろな目でブツブツとつぶやき続けていたという。
アデロ率いる第五歩兵連隊は、アルベルトの勝手な行動に巻き込まれただけということでお咎めなしとなった。
これは兄の暴走に加担したのではなく、単に巻き込まれただけだと主張するレスターの計らいだった。
他の者たちも同様である。
戦死した宮廷魔導師団マイケルの葬儀は、レスターの計らいで国を挙げての葬儀となった。
多くの参列者が詰め寄せる中、彼の棺に最初に献花をしたのは、アデロだった。
「お前に会えて良かったよ。なんの手向けも出来ねぇが、せめて花を添えさせてくれ。あの世でまた会おうぜ」
そして、アデロの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。
「あばよ、戦友…….」




