第89話 ホロコースト・バタフライ(後編)
……アミカが敵の手に落ちていた頃、さやか達三人は研究所へと戻っていた。
あれから必死に捜索を行ったものの、彼女を見つける事が出来なかった。
応接室のような部屋に置かれたソファーに、変身を解いた姿の三人が腰掛ける。テーブルを挟んだ向かい側のソファーに、ゼル博士が座っている。
少女をさらわれた喪失感は大きく、重く淀んだ空気が室内に立ち込める。部屋の空気は換気されていたにも関わらず、まるで車の排気ガスが充満したような錯覚すら与える。
「今、ドローンと人工衛星を使って必死に彼女を探している……」
ふいに沈黙を破るように、博士が口を開いた。
真剣にアミカを探しているアピールは、少しでも三人に責任を感じさせまいとする気遣いだった。
「……」
だがそうして配慮されても、三人の表情は暗いままだ。
いくら博士が「君たちは悪くない」と慰めた所で、彼女たちにとっては気休め程度にしかならない。仲間を守れなかった自分の不甲斐なさに嫌気が差して、深く落ち込んでいた。
「もしアミカの身に何かあったら、私は……ッ!!」
ミサキが悔しげに目を瞑ったまま下唇を噛む。
三人の中でも取り分け彼女のアミカを思う気持ちは人一倍強く、その身を案じずにはいられなかった。実の妹のように大切に思う少女が、もし酷い拷問を受けていたら……そう考えると、いても立ってもいられなかった。
「あのワウムって男、一体何なのかしら……アミちゃんの父親だって言ってたけど」
さやかが、ふと気になった疑問を口にする。
そもそも少女がさらわれたのは、敵に娘だと思い込まれた事が原因だった。
「アミカの両親は二人とも地球の生まれだ。別の星で生まれたワウムと彼女が血縁関係にあるなど、断じてありえない筈だが……」
博士が両者の親子関係を明確に否定する。そして顎に右手を添えながら、フゥーームと声に出して考え込む仕草をした。
何故敵があのような行動に走ったのか、あれこれ思案を巡らせるものの、納得の行く答えは見つからない。博士にしてみれば、ワウムは頭がおかしくなったとしか思えなかった。
「もしかしたらだけど……」
ゆりかが、ふいにそう呟いた。
「ワウムには昔死んだ娘かなんかがいて、アミカちゃんがその子にソックリだったんじゃないかしら? それで、娘の生まれ変わりかなんかだと思い込んじゃったのかも……」
ワウムがアミカを娘呼ばわりした理由について、彼女なりに仮説を立ててみた。
「なるほど……一理ある」
博士が彼女の意見に同意して頷く。
他にこれといった考えが浮かばない以上、彼女の推測が一番正しいと思えた。
そうして四人が、敵がアミカをさらった動機について話していると……。
「大変ですっ! 再びワウムが姿を現しましたっ!」
助手が大声で叫びながら、慌てて部屋へと駆け込んでくる。
三人は報せを受けると、すぐに現場へ向かうべく、立ち上がって部屋から出ていく。アミカの事も心配だが、まずは虐殺による被害を食い止める方が先だった。
◇ ◇ ◇
街を見下ろすようにそびえ立つ、電車が通るための巨大な高架橋……その下にワウムはいた。
前回の襲撃から日をまたいでいないため、周辺住民は避難しており、犠牲者の死体が転がったりはしていない。だがその事にワウムが慌てている様子は特に無かった。
変身済みのさやか達が駆け付けると、ワウムはゆっくり彼女たちの方へと振り返る。まるで敵の到着を待っていたと言わんばかりだ。
『……お前たちから先に殺す事に決めた。まずは邪魔者を消し去って、それから街の人間を一人ずつ殺していく事にしよう』
宣戦布告する言葉を吐きながら、自信ありげにふんぞり返る。そして前回とは異なり、いきなり両肩にあるソーラーパネルのような機械を発光させると、七色にまばゆく光る猛毒の蝶の大群を一斉に解き放った。
さやか達も敵の技に備えるように構えて、戦いが始まろうとした瞬間……。
「父さん、もうやめてっ!」
何処からか、そんな言葉が発せられた。
その直後、さやか達が立っているのと反対側の方向から、エア・ライズに変身済みのアミカが姿を現す。よほど急いで駆け付けたのか、顔を真っ赤にしてハァハァと息を切らしている。
ワウムは三人と一人の少女に、それぞれ前後を挟まれた形となる。
「アミカ、無事だったかっ!」
仲間の姿を確認して、ミサキが喜びの声を上げる。特に拷問を受けた様子が無いのを見て、まずはホッと一安心した。
ゆりかは少女が敵を父親呼ばわりしたのを聞いて、微かな疑問を抱いたが、戦闘中だけにそれを気にかける余裕は無かった。
『あっ、アミカ……何故だ……何故ここに来たッ!』
ワウムが慌てて彼女の方へと振り返り、震える声で問い質す。
戦いから遠ざけたいと願った父にとって、当の娘が戦場に現れた事は、もっともあってはならない事だった。今この場で会いたくなかったという思いは強く、深く動揺するあまり体の震えが止まらなくなる。
「……私、父さんにこれ以上罪を重ねて欲しくない」
ワウムの問いにしばらく沈黙した後、アミカが重い口を開く。
「昔の私が死んだ時、父さん凄い悲しかったかもしれない……深く傷付いて、絶望したかもしれない。でも……それでも、村人と何の関係も無い人々を巻き込むのは、復讐でも何でもないっ! ただの八つ当たりだよっ! 私、そんなの全然望んでないっ! やってくれなんて頼んだ覚えも無いっ! だから、もうやめてっ!」
目を瞑って顔をうつむかせながら、思いの丈をぶちまけるように大きな声で叫んだ。彼の不幸な境遇を知らされて哀れみを抱いたからこそ、不毛な殺戮を犯して欲しくないという、強い意思のようなものが伝わってくる。もはやアミカは演技ではなく、彼を実の父親のように感じていた。
『何故だ……』
亡き娘の生まれ変わりと信じた少女の言葉を聞いて、ワウムは戸惑いの色を隠せない。
『何故だ……アミカっ! 父さんは、お前のために戦っているんだぞっ! もう二度と、お前が誰かに傷付けられる事の無い……そんな理想郷を築こうとしているのに、何故それが分からないんだっ! 何故父さんの邪魔をするっ!』
必死に声を張り上げて、娘の言い分に真っ向から反論する。
絶対に自分の考えが正しいと信じて疑わない彼にとって、愛する娘にそれを否定されたショックは大きく、体はわなわなと震えていた。
もっとも理解して欲しい相手に理解されなかった困惑と絶望のあまり、正気を失って頭がおかしくなりそうな雰囲気さえ見せていた。
そしていくら娘に止められた所で、殺戮をやめようと思う気持ちは皆無だった。
「父さん……」
ワウムが説得に応じないのを見て、アミカが悲しい目をする。その瞳にはうっすらと涙が浮かび、一滴の雫となって頬を伝って地面に零れ落ちる。
もう彼の中にある憎しみを消し去る事は出来ない……そんな諦めの気持ちが胸中に広がる。
「たとえ血は繋がってなくても……父が過ちを犯そうとするなら、体を張ってでもそれを止めるのが、娘の役目ッ! エア・ライズ……ファイナルモードッ!!」
父を倒す覚悟を決めると、右腕にある三つのボタンを全て同時に押す。そしてまばゆい金色の光に包まれると、百倍に跳ね上がった速さで光のように走り出した。
ワウムは娘を殺す決断に踏み切れず、七色に光る蝶の大群を、自分の身を守るように周囲に漂わせる。
だがアミカは障害物を避けるネズミのように、蝶と蝶の間をスイスイと高速ですり抜けて、瞬く間に敵の前に立つ。
「父さん……貴方の終わらない憎しみの連鎖、私の拳で断ち切りますっ! シャイン・ナックルッ!!」
右拳にグッと力を溜め込むと、正面に拳を突き出した姿勢のまま駆け出す。そして光る弾丸のように、敵の腹を一瞬にしてブチ抜いた。
『グゥゥォォオオオオオオオッッ!!』
どてっ腹に少女と同じ大きさの風穴を空けられて、ワウムがドスの利いた声で絶叫する。直後、穴の空いた箇所から大量の金属片が衝撃波と共に周囲に飛び散る。
羆の断末魔にも似た悲鳴は、彼が致命傷を受けたであろう事を、その場にいた者に容易に悟らせた。
ワウムが深手を負った事によって制御を失った蝶のうち一体が、彼の真上にある高架橋へと激突し、大きな亀裂が入りだす。
「アミカっ! 早くそこから逃げるんだっ! 崩落に巻き込まれるぞっ!」
ミサキが藁にもすがる思いで、少女に呼びかけた。
「ハァ……ハァ……」
だがワウムの背後にいたアミカは、全身汗だくになってグッタリしている。五秒が経過してファイナルモードが解除された事により力を出し尽くした今の彼女には、逃げる余力は残っていなかった。
そしてさやか達からは距離が離れており、今から救出に向かっても、とても間に合わない。高架橋の崩落は始まろうとしており、少女を救えない諦めと絶望が、三人の中に広がりだす。
アミカが膝をつきかけた時、何者かが少女の背中をドンッと強く押した。その衝撃で彼女はさやか達の元へと突き飛ばされた。
「……父さんっ!」
アミカが後ろを振り返りながら叫ぶ。
少女を突き飛ばしたのは他の誰でもない、彼女に致命傷を負わされたはずのワウム本人だった。
『アミカ……生キロ……セメテ……セメテ、オ前ダケデモ……』
そう言い終えるや否や、高架橋の一角がガラガラと音を立てて崩れ去り、彼は降ってきた大量の岩石に呑み込まれる。そして完全に埋もれた後、ピクリとも動かなくなった。
それは彼の命が尽きた事を、さやか達に悟らせるには十分だった。
「……」
ワウムの死を見届けた後、辺りがシーーンと静まり返る。誰一人言葉を発する事なく、沈痛な表情を浮かべたまま押し黙る。
敵を倒した喜びと呼べるものはそこには無く、敵であるはずの彼が、自らの命を賭して仲間を救った事に、うまく言葉では言い表せない気持ちになっていた。
「あの人……最後まで私を、死んだ娘の生まれ変わりだって、信じてた……」
アミカがふいにそう口にしながら、今にも泣きそうな顔をする。
実の父親にも似た感情を抱いた彼を、救えなかったという無力感に打ちのめされ、胸が張り裂けそうになる。
「最後の最後に、愛する娘の命を救えたんだ……きっとそれだけで、満足だったろう」
ミサキが穏やかな笑みを浮かべながら、優しく言葉を掛ける。二人の間にあったやり取りを、状況から何となく察して、少しでもアミカの悲しみを和らげようとした。
「ううっ……うっ……うわぁぁああああん」
アミカは堪えきれずにミサキの胸にしがみつくと、大きな声で泣き叫ぶ。ボロボロと大粒の涙を瞳から溢れさせながら、いつまでも泣き続けた。
ミサキも少女の悲しみが癒えるまで、両腕で包み込むように抱き締めた。
ワウムが必殺技を受けた時に飛び散ったのか、彼の形見と思しきロケットペンダントが、さやか達の近くに落ちている。表面の金属部分は熱で焦げている。
さやかがそれを拾い上げてペンダントの蓋を開けてみると、中に入っていた写真らしきものが、ブスブスと黒く焼け落ちていた。
「……」
さやかは重苦しい表情を浮かべて、無言のまま、ただペンダントを握り締める事しか出来なかった。




