第125話 思い出の腕時計
人里離れた山中……峠に向かって敷かれたアスファルトの道路脇に、切り立った崖がある。その崖下に、緑豊かな自然が手付かずのまま広がる。
うっそうと生い茂る草むらを、巨大な人影が四つん這いになりながら、何かを探すように手でかき分けていた。
『クソォ……見つからん』
……時折そんな言葉が口から漏れる。
その者は背丈6mほど、二足歩行するトカゲのような姿をしている。
かつてさやか達が戦ったヘルザードと呼ばれるトカゲ男によく似ていたが、彼よりも体は太めになっていて、体色は海中のような淡い水色に染まっている。
そして何より特徴的なのは、背中に亀の甲羅を背負っていた事だ。ただリュックサックのようなサイズ比のそれは、明らかに男の体を収納できるものではなく、単なる飾りのようにも見える。
カメ男らしきメタルノイドは明らかに探し物をしていたが、一向に見つかる気配が無い。やがてイライラが募り、周囲の草花をブチブチと乱暴に手で千切り出す。
探し物が見つからない怒りが爆発寸前まで高まった時……。
「何か探してるの?」
彼にそう声を掛けてくる者がいた。
『誰だッ!!』
カメ男が警戒しながら後ろを振り返ると、視線の先に一人の少女が立つ。
白のワンピースを着てサンダルを履き、黒い髪を真っ直ぐに下ろした十歳くらいの女の子だった。周囲に親らしき人影は見当たらない。
『なんだガキか……用が無いなら、とっとと帰れ』
カメ男は少女が自分を脅かす存在ではないと考えて、憎まれ口を叩きながら何かを探す作業に戻る。幼女の遊び相手になってやる暇など無いと言わんばかりだ。
だが幼い少女は忠告を無視して、カメ男にテクテクと近付く。そして自分に目もくれずに黙々と何かを探し続ける男を、興味深そうにまじまじと眺めた。
『帰れと言っただろう……お前、俺が怖くないのか?』
カメ男はやれやれと面倒臭そうに頭を掻きながら問いかける。内心変なヤツに絡まれたなと感じていた。
「怖くないよ。カメさん他のロボットのバケモノと違って、悪そうに見えないもん」
少女があっさりと疑問に答える。いかにも子供らしい無垢な表情でニコニコ笑っていて、全高6mで二足歩行する亀に対する恐れを全く抱いていない。
(ロボットに悪そうも何も無いだろッ! コイツ頭がおかしいのかっ!? カメである事が、そんなに重要なのかッ!!)
カメ男は思わず心の中でツッコミを入れた。
大人なら……いやたとえ子供だったとしても、普通は彼らを見たら逃げ出す。何しろメタルノイドは野山を焼き払い、町を破壊し、人々を虐殺して蹂躙する悪魔の集団だからだ。人類にとって忌むべき対象でしかない。
だがこの少女だけは違った。目の前にいるのがメタルノイドだと分かっていても、全く動揺していないのだ。まるで野ウサギが捕食者たる羆に懐いているような状態だ。
それが少女の豪胆さゆえなのか、それとも「亀だから怖くない」という先入観からなのかは分からなかったが……。
「ねえ、何を探してるの?」
少女は覗き込むように首を傾けながら問いかける。答えなければ何百回でも聞いてきそうな雰囲気だ。
『……』
カメ男は少女をどうするべきか考えた。
自分にしつこく付きまとう少女を「目障りだ」と手で握り潰すのは簡単だ。普段ならそうしていたかもしれなかった。
だが今は彼自身、少女の存在を鬱陶しいと感じながらも、心の何処かでは側にいて欲しいという気持ちがあった。
ただ探し続けるだけの作業による退屈を紛らわしたかったのかもしれない。
『……時計だ。腕時計を探している』
しばらく黙り込んでいたカメ男が、重い口を開く。
「腕時計?」
少女が顔をキョトンとさせて、目をパチクリさせる。
『あぁ……今でこそこんなバケモノの姿をしてるが、俺も昔は人間だった。その頃に付き合ってた女がいてな……彼女と初めてデートした時に、腕時計を買ってもらったんだ。決して高いブランドじゃなかったが、俺にとっちゃ一生モンの宝だ……』
カメ男は遠くを見るように空を眺めながら、昔の思い出を語りだす。懐かしさに浸りながらも、何処か悲しそうな雰囲気を漂わせていた。
『だが彼女は戦禍の炎で焼かれて死んじまった……頭がおかしくなりかけた俺は、その怒りを他人にぶつけて八つ当たりするために、こんな姿になったのさ。ハハハッ……笑えるだろ? でも彼女にもらった腕時計だけは、ずっと大事に持ってた……壊れて針も動かなくなっちまったが、それでも俺の大切な宝物なんだ。それをこの辺りでうっかり落として、失くしちまったんだ』
自嘲気味に笑いながら、大切な恋人を失った事……それによりメタルノイドになった事、彼女からもらった腕時計を落としてしまった事などを伝えた。
話を終えると、男は再び落とし物を探す作業に戻る。
「……」
男の過去を聞かされて少女はしばらく黙り込んだが、やがて思い立ったように口を開く。
「時計、私も探すの手伝うよ」
そう言うと、男から少し離れた草むらを、しゃがんだまま手でゴソゴソとかき分ける。
『オイ、誰も一緒に探してくれなんて頼んだ覚えは無いぞっ!? そんな事をして、一体お前に何の得があるっていうんだっ! ひょっとして暇なのかっ!!』
カメ男が少女の態度に深く困惑する。一緒に時計を探してくれるなら助かるという気持ちは確かにあったが、それでも男には少女の考えが全く理解できなかった。
何故いちいち自分に良くしてくれるのか分からず、理由を問わずにはいられない。
「時計の話をした時、カメさん悲しそうだった……時計見つかったら、カメさんとっても嬉しいでしょ? それに……ゴホッゴホッ!」
話の途中で少女が苦しそうに咳き込んだ。
『大丈夫かッ!!』
カメ男が血相を変えながら、急いで少女の側に駆け寄る。
ふと目をやると、口元を押さえた少女の手に尋常じゃない量の血が付着しており、地面にまで零れ落ちる。
『ボロボロじゃないか……一体何があった!? こんな体の不調を、今まで隠していたのか!? もうお前は探すのを手伝わなくて良いッ! 今すぐ横になって休めッ! でないと、本当に死んでしまうぞッ!!』
少女の体調が芳しくない事に、男が慌てふためく。どうすれば良いか分からずに大きな体であたふたしながら、ひとまず体を休めるように忠告する。
「ゴホッゴホッ! 何日か前にね……村に毒ガスが撒かれたの……それでみんな死んじゃった。父さんも、母さんも、犬のポチも……その時たまたま山に遊びに行ってた私だけが生き残った。でも半日経ってガスが消えた後の村に戻っても、まだ毒がちょっぴり残ってて、それでこんな体に……」
少女は尚も咳き込みながら語りだす。彼女の口から伝えられたのは、何者かのガス攻撃によって家族を失った事、彼女自身も毒に体を蝕まれたという悲壮な現実だった。
(俺じゃない……俺以外の誰かがやったんだ。毒ガスの散布実験による、村人の集団虐殺を……クソッ! 一体誰がッ!!)
話を聞きながら、カメ男は村人を殺戮したガス散布が同僚の手に拠るものだと断定する。そして仲間が犯した凶行に憤りを覚えずにはいられなかった。もし見つけたら顔を殴ってやりたい気持ちにすらなった。
「私、たぶんあと何日も生きられない……自分で分かるの……だからそうなる前に、思い出に残る事をしたい……だから腕時計を見つけて、カメさんを喜ばせてあげたいの……」
少女は顔を真っ青にして、息も絶え絶えになりながら、探し物を手伝おうとした理由を明かす。
自分がもう長くない事を悟った幼子が、残された命を使って何かを成そうとする姿は、とても健気で儚げだった。
『……分かった。一緒に時計を探そう。だがお前はひとまず横になって、体を休めていろ。それで体調が良くなったら、探すのを許可する。そうでなければ足手まといだ』
カメ男はしばらく黙り込んでいたが、やがてぶっきらぼうに言い放つ。少女を平らな地面に運んでいってそっと寝かせると、自分は時計を探す作業に戻る。
口調は乱暴だが、その根底には病弱の体を労わる優しさがあった事が、少女にも十二分に伝わる。
「……イリヤ」
『はぁ?』
「私……イリヤって言うの」
少女が地面に横たわったまま、顔だけカメ男の方に傾けながらニッコリと笑う。
『トータス……アダマン・トータスだ』
男は背を向けたまま手で草をかき分けながら、少女の名乗りに自分も言葉を返す。
……かくして巨大なカメ男と、余命わずかな少女との間に、本来ありえない筈の奇妙な友情が芽生える事となる。
だがその時、制服姿の四人の少女と、白衣を着た一人の老人が少し離れた場所まで来ていた事……そして更にそこから遠く離れた岩場にもう一体、別のメタルノイドが潜伏していた事に、彼らは気付きもしなかった。




