第8話 デストロイヤー(後編)
破壊者と化したオーガー。彼が切り裂いたビルの上部分が落下して、さやかとゆりかはその下敷きになってしまった。
「あぁっ! 何という事だ……」
彼女たちの戦いをモニター越しに見ていたゼル博士が悲痛な声を上げる。
博士だけではない。その戦いはライブカメラで撮影され日本中に配信されていたが、二人がビルに押し潰される光景を見た者は皆、彼女たちの生存を諦めて悲嘆した。
『ウォォオオオオーーーーッッ!!』
オーガーの勝利の咆哮が、戦場と化した街中に響き渡る。それはあたかも人類の敗北を知らせる絶望の狼煙のようであった。
◇ ◇ ◇
「ううっ……」
さやかが目を開けると、そこは光の届かない洞窟のような暗がりだった。周囲は倒壊したビルの瓦礫で塞がれていたが、彼女たちのいる場所だけ不自然に空隙が出来ている。
「目が覚めたみたいね……」
彼女のすぐ隣にいたゆりかが声を掛ける。二人共まだ装甲少女に変身した姿のままだ。
ゆりかは仰向けに横たわっているさやかのお腹に両手を当てて、何かオーラのような物を送っている。
「ビルが倒れてきた時、咄嗟にバリアを張ったの。おかげで潰されずに済んだけど、完全に中に閉じ込められちゃったみたい……」
彼女たちを覆っている瓦礫の山をどかすのは、たとえ装甲少女であろうと決して容易ではない。しかも二人は先程の戦いで体力を消耗しているのだ。
「ゆりちゃ……」
「動かないでっ!」
まだ頭が半分ボヤけたまま体を起こそうとしたさやかを、ゆりかが慌てて制止した。
「貴方の体は……まだ動ける状態じゃないわ。だから、こうして……バイド粒子を使って、治療してるの……」
……ゆりかの息遣いが荒い。額にはじっとりと汗が浮かんでいて、まるで全力疾走したかのようにハァハァと息を切らしている。
ビルに押し潰されないレベルのバリアを張っただけでも相当バイド粒子を消耗したのに、その上さらにさやかの怪我まで治しているため、ゆりかの体には大きな負担が掛かっていた。それはもはや、彼女の命を分け与えているも同然の行いだった。
そんな彼女の姿を見ていて、さやかの胸に罪悪感のようなものが芽生える。
「ゆりちゃん……ごめん……」
ふいにそんな言葉が口から溢れ出た。
「私、バカだ……何も分かってなかった。考えなしにただゆりちゃんが仲間になった事を無神経に喜んで、はしゃいでた。ゆりちゃんと一緒に戦えて嬉しいなんて子供みたいに喜んで、友達が危険な目に遭うかもしれないなんて、考えもしなかった……」
……さやかは自責の念に駆られていた。
オーガーに対して一切勝ち目がなく、二人共死ぬかもしれないという状況に追い込まれて、弱気になって親友を巻き込んだ事を後悔していた。
「私って、いつもそう……いつも考えなしに行動して、友達に迷惑ばっかり掛けてる……。ゆりちゃん、ゴメンね……こんなバカな親友で。私、ゆりちゃんに危ない目に遭って欲しかったわけじゃないの……。ゴメンね……ゴメンね……」
何度も謝罪の言葉を口にしながら、さやかの瞳から涙が溢れ出す。
大粒の涙をボロボロと流しながら自分を責めて泣いている彼女の目元を、ゆりかが手でそっと優しく拭った。
「別に謝らなくていいよ……さやかは何も悪い事なんてしてない。私、嬉しかったの。だってさやか、いつも私に相談しないで自分一人だけで抱え込もうとするから。私、さやかの力になりたかった……助けたかった。だから、一緒に戦って……一緒に苦しんで、悩んで、痛みを分かち合えて……それがとっても嬉しかった。私、装甲少女になれた事を少しも後悔なんてしてない。だから泣かないで……」
彼女の口から出たのは……とても優しい言葉だった。
罪悪感に苛まれて自分を責め続けていたさやかは、罪を赦された心地がして、胸がたまらない気持ちでいっぱいになる。
「ううっ……ゆりちゃん……私……私……」
そう言って感激するあまり子供のように泣きじゃくる。
そんなさやかを見て、ゆりかが儚げにニッコリと微笑んだ。まるで愛しき我が子を見つめる母親のような眼差しで……。
「もう、泣かないでって言ったのに……ねえ、さやか……私たち……これからも……ずっと……いっ……しょ……」
言葉の途中で、突然ゆりかがドッと床に倒れ込んだ。
自力で起き上がる気配もなく目をつむったままの彼女を見て、さやかは顔面蒼白になる。
「ゆりちゃんっ!?」
倒れて意識を失ったままの彼女を慌てて抱き起こす。その額に手を当てて、さやかは深刻そうに呟いた。
「……凄い熱」
友達の怪我を治すために相当無理をしたのか、ゆりかの体は高熱に侵されて、うなされていた。そのうなされている声も、次第に弱ってきている。このまま時間が経てば、彼女が命を落とす事は目に見えていた。
確かにさやかの体は良くなったが、そのために支払った代償はあまりにも大き過ぎた……。
「いやぁっ! ゆりちゃんっ! 死なないでぇっ! ゆりちゃんが……ゆりちゃんが死ぬなんて……そんなの、やだよぉっ!」
冷たくなっていく親友の体を強く抱きしめたまま、さやかは大声で泣き叫んだ。その瞳からこぼれ落ちた大粒の涙は、ゆりかの頬を伝って地面へと落ちていく。
「こんなのって……ないよぉ……」
そう口にしながら悲嘆に暮れる。さやかの胸の内に広がる深い悲しみは、かつて瓦礫に潰された親子の死体を見た時と全く同じものだった。そしてある一つの決心が心の中に湧き上がる。
「アームド・ギアっ! 私の声が聞こえてるんでしょっ! だったら私にもっと……もっと力をちょうだいっ!」
右腕のブレスレットに向かって、必死に大声で訴えかける。
彼女の言葉に反応するかのように、脳内に謎の声が鳴り響いた。
「力なら、もう既に与えた……」
アームド・ギアに搭載された人工知能と思しき声が、そっけなく答える。変身させてやったんだから、もう十分だろうとでも言いたげだった。
だがそれで大人しく引き下がる彼女ではない。このまま何も出来なければ、最愛の親友は間違いなく死ぬのだ。手段を選んでいる暇など無かった。
「足りないっ! こんなんじゃ、まだ足りない! 全然足りないっ! もっともっと……どんなヤツにも絶対負けない、どんなヤツでもブチ殺せる、無敵の力をっ!」
……もはや彼女は正気ではなかった。大切な友を失うかもしれないという絶望は、自分自身の非力さに対する苛立ちへと変わり、最後は底無しの力を求める渇望と、敵に対する無限の憎悪へと変わっていた。
今ここで友達を助けられるなら、いっそ自分はどうなってしまっても構わないとまで考えるようになっていた。
「私はもうどうなってもいいッ! あいつを……あの敵を一撃で木っ端微塵に粉砕できる、究極の……無敵の……最強の力をッッ!!」
彼女の思いに答えたのか、腕のブレスレットが赤く光り出す!
◇ ◇ ◇
……その頃オーガーは、瓦礫の外で自衛隊と交戦していた。
『オォ……オ……オレヲワラウヤヅハ、ゼンインゴロズッッ!!』
大声で叫びながら隊員たちに向かって歩き出す。まだ破壊者モードになったままだ。
むろん隊員たちはオーガーを笑ってなどいない。こんな獰猛で醜悪な怪物を前にして笑っていられる余裕など、とても無かった。
オーガーが勝手に笑われたと思い込んで、一人で憤っているだけだ。
それでも彼は決して止まらない。目の前にある物全てを破壊し尽くすまで、徹底的に暴れまわるだろう。正に破壊者という名の通りに……。
「うぉぉおおおおっっ!! 嬢ちゃん達が最後まで戦ったのに、俺達が逃げてなんかいられるかぁっ!」
隊員たちはそう口にして仲間同士で鼓舞し合いながら、オーガーに向かって必死に撃ち続ける。
オーガーは装甲を捨てた事によって防御力は著しく低下したが、自衛隊の武器では致命傷を与えるには至らなかった。
それでも彼らは一歩も後ろに下がろうとはしない。たとえ無謀だと分かっていても、少女が命を賭して戦い抜いた後で自分たちが逃げる訳には行かないという使命感があった。
『オマエダヂ……ジネ……ゴロズ……』
彼らの覚悟を嘲笑うかのようにオーガーが無傷のまま前進していると、オーガーの背後にあった瓦礫の山が突如地を裂くような轟音と共に吹き飛んだ。
『ナンダッ!?』
突然の事にオーガーが驚いて、慌てて後ろを振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。
「生きていたのか……」
少女の姿を見て、隊員の一人がそう呟いた。
そこにいたのは、ビルに押し潰されて死んだと思われていたエア・グレイブ……赤城さやかだった。
彼女は意識を失ってグッタリしたままのエア・ナイトをお姫様だっこしており、全身が赤いオーラのような光に包まれている。
そしてよく見ると、体の各部に付いている装甲がより大きく、より鋭利に尖っている。それは一目見てパワーアップした事が分かるような外見だった。
彼女はゆりかをそっと地面に寝かせると、オーガーを睨み付けたまま一歩ずつ前進していく。
『ナンダ……ゾノズガダハ……』
今まで見た事もない彼女の姿を前にして、オーガーが露骨に警戒する。
彼の問いかけに、さやかは無表情のままズカズカと歩きながら答えた。
「二段階変身……エア・グレイブルッ!」
◇ ◇ ◇
「にっ……二段階変身だとぉっ!?」
その光景をモニター越しに見ていたゼル博士が、慌てて立ち上がる。
さやかの言葉に誰よりも一番驚いたのは、アームド・ギアの開発者である筈の博士本人だった。
二段階変身……つまり彼女はエア・グレイブに変身した姿のまま、もう一度変身をしたのだ。
だが博士はそんな機能を実装してなどいない。開発者である博士自身の考えでは、そんな事は不可能な筈だった。
だが彼女は、それをやったのだ。
アームド・ギアには装着者の欲求に応えて自己進化する能力があった。
エア・グレイブは、開発者の想定をも超える進化を遂げてしまったというのか……。
もはや彼女がどんな能力を持っているのか、博士には想像も付かなかった。
◇ ◇ ◇
『エッ、エア・グレイブル……ダドォ!? ゴ、ゴロズッ!!』
オーガーはさやかがパワーアップした事に困惑しつつも、怒りに任せて猛然と突進する。やがて間合いに入り、彼女の頭を叩き割らんと一直線に鉈を振り下ろす。
『ジネエエエェェッッ!!』
「……」
迫ってきた鉈に対して、さやかが無言で回し蹴りを放つ。
その足先が触れると鉈を握っていたオーガーの右手は、まるで爆弾でも仕掛けられていたかのように一撃で吹き飛んだ。
『グアアアァァッッ!! オッ、オレノ……オレノ……ミギデガアアアァァッッ!!』
右手を失った痛みに、オーガーが悲鳴を上げて慌てて後退する。
その蹴りの凄まじい破壊力に、隊員たちは思わず息を呑んだ。
悶え苦しんでパニックに陥るオーガーに、さやかは凍るような冷徹な眼差しを向ける。
それまで怒りに満ちていたはずのオーガーの中に、一転して恐怖と焦りの感情が芽生える。
『ヂ……ヂグジョウッ! イッダイ……イッダイ、ナンナンダ……ナンナンダ、オマエェェッッ!!』
オーガーは内心訳が分からなかった。それまで圧倒的優勢を保っていた筈なのに、目の前の敵がいきなり自分の数倍強くなったのだ。
ゲームで例えるなら、最弱のザコ敵が突然裏ボスに変身したような物だ。理不尽にも程があった。その状況が全く理解出来ない、到底受け入れられない気持ちだった。
『……ゴロズッ! オマエハ、ゴロズッ! ゼッタイゴロズッ! ジネッ! ジンデジマエェェッッ!!』
その強さに怯えながらも、オーガーは半ばヤケになってさやかに襲い掛かる。
勝算などあろうはずもない。それでも最終的には彼女を憎いと思う気持ちの方が勝った。
感情の赴くまま残った左腕でオーガーのパンチが放たれた時、それまで冷徹だったさやかの顔が、一瞬にして怒りの形相へと変わった。
「死ぬのは……オマエの方だぁぁあああっっ!!」
そう吠えると、迫り来るオーガーの拳に向かって全力のパンチを叩き込んだ。
拳と拳がぶつかり合い、一瞬静寂が訪れる。
「オメガ・ストライク……オーバーキルッッ!!」
彼女がそう口にした直後、オーガーの巨体がフワッと宙に浮き、物凄い速さで上空へと打ち上げられる。体のあちこちに亀裂が入り、そこから火花が散り始める。
『オオォッ! オレヲ……オレヲミデ……ワラウ……ナ……ガァァァアアアアアアッッッ!!』
オーガーは怒号とも悲鳴ともつかない断末魔の叫びを上げると、轟音と共に大爆発して跡形もなく消し飛んだ。
彼の部品と思しき鉄クズが空中に散らばり、地面に落下していく。鉄のみぞれが降り注いだかのように、パラパラと音が鳴る。
「……笑えないわ」
彼の哀れな最期を見て、さやかが腹立たしげに呟いた。その様子からは、勝利に対する喜びを感じ取る事は出来ない。
不快なゴキブリを素手で叩き潰しても、なお不快な……そんな雰囲気すらあった。
それ程までに彼女にとって、オーガーのした行いは許せる物では無かったのだ。
彼女がふと周囲を見回すと、自衛隊の救護班が地面に寝かされているゆりかに駆け寄って、応急手当をしている。
「ゆりちゃん……私……やったよ……アイツを、やっつけたよ……」
そう言って満足げな笑みを浮かべて歩き出そうとするさやかであったが、力尽きてその場に倒れてしまった。
「おい、嬢ちゃんっ! 大丈夫かっ! 誰か、こっちにも救護班を……」
……意識が次第に遠ざかっていく。
それでも薄れゆく意識の中、さやかはただゆりかの無事だけを願っていた。
◇ ◇ ◇
「……ゆりちゃんっ!」
さやかが目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。服は変身前の姿に戻っている。
「ゆりちゃんはっ! ゆりちゃんは何処っ!?」
自分よりもまずゆりかの安否を心配し、キョロキョロと周囲を見回して大声で叫ぶ。
そんなさやかに、病室のカーテンの向こうから誰かが声を掛けてくる。
「……私ならここにいるよ」
その声に促されてカーテンをめくると、隣のベッドにゆりかが寝かされていた。
彼女は点滴を打たれており、今すぐ起き上がれる状態ではない物の、命に別条は無さそうだった。
親友が無事なのを見て、さやかの胸に急激に喜びが湧き上がる。
「ゆりちゃぁああんっ! ゆりちゃんが無事で良かったよぉぉおおっっ!!」
そう言ってすぐさまゆりかの胸に抱きつくと、大声でわんわん泣き出す。
「もう……病院の中でそんな大声で泣いたら、他の人が迷惑するじゃない……」
照れ隠しにそう言いながらも、ゆりかはなすがままにさやかを受け入れる。内心まんざらでも無かった。
さやかはゆりかに抱きついたままひとしきり泣くと、やがて彼女の頬にキスをした。
「ちょっ……何すんのっ! コラーーーーッ!!」
彼女の突然の行動に、ゆりかが顔をトマトのように真っ赤にして怒りだす。
「だってぇーーー、ゆりちゃんにお礼がしたかったんだもんっ!」
さやかは悪びれる様子もなく、いたずらっ子のように舌を出して笑う。むしろ親友にキス出来た事を喜んでいるようですらあった。
そんなさやかの頭を、ゆりかが興奮して大声で喚き散らしながらポカポカと両手で叩く。
「もうっ! さやかのバカっ! バカっ! バカっ! エロゴリラっ!」
「痛い痛いっ! ゆりちゃんやめてっ! 死ぬっ! 死んじゃうっ! あとゴリラって言うのだけはやめてっ! マジで傷付くからっ!」
……そんな二人の会話を、ゼル博士が病室の外で微笑んで聞いている。
二段階変身など不確定な要素もあるが、それでも今はただ彼女たちの無事を喜ぼう……そう決心すると、あえて病室には入らず静かにその場から立ち去った。




