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第2話 一触即発の戦場にお茶とお菓子を持ち込みました

「ふぅ……これでよし、と」


世界樹の根元にたっぷりと特製肥料を撒き終え、私は額の汗を拭った。

土からは芳醇な香りが立ち昇り、幹を通してドクン、ドクンと力強い脈動が伝わってくる。

遥か頭上の虹色の蕾も、心なしか艶を増したようだ。


「ママ、おわった?」


「ええ、終わったわよ。さあ、お客さんたちをお迎えに行きましょうか」


私は泥を払うと、ユユの手を引いてエデンの入り口へと向かった。

レンさんが飛び出していってから数十分。

外からは、何やら重低音のような唸り声や、空気がピリピリと震えるような気配が伝わってくる。


「パパ、おこってるかな?」


「大丈夫よ。きっと、歓迎の挨拶が熱烈すぎるだけだわ」


私はにっこりと笑い、結界の境界線へと急いだ。

マリアベルさんやシルヴィオ様も、心配そうに後ろからついてくる。


エデンの外縁部。

そこには、とんでもない光景が広がっていた。


「……うわぁ」


思わず声が漏れる。


荒野を埋め尽くすほどの軍勢。

東には、黄金の鎧を纏った帝国騎士団。

西には、荒々しい海の男たちを率いる海賊船団(空飛ぶ魔法で浮いている)。

南には、白装束の神聖教団と、黒いローブの冥界の軍勢。

そして北には、天空都市の機械兵団。


文字通り、世界中の武力がここに集結していた。

そして、その中心。

すべての軍勢をたった一人で押し留めるように、レンさんが仁王立ちしていた。


「一歩でも踏み込んでみろ。……国ごと灰にしてやる」


レンさんから放たれる黄金の覇気が、物理的な壁となって軍勢を圧倒している。

彼の背後には、巨大な黒竜の幻影が揺らめき、喉を鳴らしていた。

完全に「魔王」の風格だ。


対する各国の代表者たちも、負けじと殺気を放っている。


「ガハハハ! 相変わらず愛想のない息子だ! 親父に向かって剣を向けるとはな!」


帝国の陣営から進み出たのは、筋骨隆々の巨漢。

私のトマトを食べて全盛期まで若返った、カイザー皇帝陛下だ。

手には巨大な戦斧を持っている。収穫用には見えない。


「アタイらを締め出す気かい、旦那? その果実は海のもんだろ(言いがかり)」


海賊船の舳先へさきには、マリーナさんが二丁拳銃を構えて立っていた。

以前よりさらに美しくなった彼女は、不敵な笑みを浮かべている。


「神聖なる植物の管理は、我ら天空の民の義務だ。……地上の汚れを持ち込むな」


空からは、機械の翼を広げたゼファーさんが降りてくる。

彼の後ろには、無表情なNo.9も控えていた。


「……眩しい。帰りたい。……だが、あの果実は冥界の瘴気浄化に必要なのだ……」


地面の割れ目からは、日傘をさしてサングラスをかけた冥王ハーデス様が顔を出している。

相変わらず光が苦手なようだ。


一触即発。

誰かが石ころ一つ投げれば、世界大戦が始まりそうな緊張感だ。

レンさんのこめかみに青筋が浮かび、剣の柄に手が掛かる。


「……警告はしたぞ。死にたい奴から前に出ろ」


「上等だ! かかってきな!」


マリーナさんが引き金を引こうとした、その瞬間。


「みなさーん! お久しぶりですー!!」


私は大きく手を振って、戦場のど真ん中へ飛び出した。


「……あ?」


全員の動きが止まった。

殺気の渦の中に、エプロン姿の私がポツンと立つ。

場違いにも程がある光景に、数万の兵士たちが呆気にとられた。


「フローリア!?」


レンさんが驚いて振り返る。

その隙に、私は彼の隣まで駆け寄った。


「もう、レンさんったら。お客さんを外で待たせるなんて失礼ですよ」


「客だと? こいつらは強盗だぞ」


「違いますよ。懐かしい顔ぶれじゃないですか」


私はくるりと向き直り、並み居る王たちを見渡した。


「皇帝陛下! マリーナさん! ゼファーさんにハーデス様も! よく来てくださいました!」


私は満面の笑みでカーテシーをした。


「エデンの新しい収穫を祝いに来てくださったんですね? 嬉しいです!」


私の言葉に、彼らは毒気を抜かれたような顔をした。


「う……む。まあ、祝いに来たと言えなくもないが……」


皇帝陛下が歯切れ悪く斧を下ろす。


「あー……まあ、アンタの顔を見に来たってのもあるけどさ」


マリーナさんも銃口を下げた。


「ふふっ、ありがとうございます。立ち話もなんですし、お茶にしませんか?」


私はパンパンと手を叩いた。


「マリアベルさん、テーブルセットをお願いします! シルヴィオ様は椅子を!」


「了解よ! とびきり可愛いのを出してやるわ!」

「は、はい! ただちに!」


私の合図で、後ろに控えていた二人が動き出す。

マリアベルさんが種をばら撒くと、地面からつるが伸びて、瞬く間に白いガーデンテーブルと椅子が編み上げられた。

シルヴィオ様がテーブルクロスを広げ、花瓶に花を生ける。


殺伐とした荒野の最前線が、数秒で優雅なティーパーティー会場に早変わりした。


「さあ、どうぞ座ってください! 今、お茶を淹れますね!」


私は四次元収納リュックから、人数分のティーカップとポットを取り出した。

そして、とっておきのバスケットを開ける。


フワァッ……。


甘いバニラと、香ばしいバターの香り。

今朝焼いたばかりの、マドレーヌとスコーンだ。

さらに、冷やしておいたフルーツゼリーも並べる。


「……ゴクリ」


どこからか、喉が鳴る音が聞こえた。

一人ではない。

皇帝陛下、マリーナさん、そしてハーデス様までもが、お菓子に釘付けになっている。


「これは……新作か?」


ハーデス様がサングラスを少しずらして尋ねてきた。


「はい! 『世界樹のハチミツかけスコーン』です。疲労回復に効きますよ」


「……いただく」


ハーデス様が真っ先に席に着いた。

それを見て、他の面々も我慢できなくなったようだ。


「ちっ、毒見だ毒見!」

「ワシにも寄越せ!」

「当機も味覚データの更新を要求する」


各国のトップたちが、我先にと椅子を取り合い、座り込んだ。

レンさんは呆れたようにため息をつき、剣を鞘に収めた。


「……君には敵わんな」


「ふふ、お腹が空いてイライラしてただけですよ。さあ、レンさんも座って」


私はレンさんを上座に座らせ、皆のカップにハーブティーを注いで回った。

ルビー色の美しいお茶からは、心を落ち着かせるラベンダーの香りが立ち昇る。


「うめぇ……! なんだこの菓子、口の中で解けるぞ!」

「このゼリー、海の味がするねぇ。懐かしいよ」

「……光が、優しい味だ」


殺気立っていた表情が、一口食べるごとにとろけていく。

彼らは美味しいものを前にすれば、ただの食いしん坊な知人たちだ。


「それで、フローリアよ」


スコーンを三つ平らげた皇帝陛下が、紅茶を飲みながら切り出した。


「あの頭上のデカい蕾……あれの処遇はどうするつもりだ?」


全員の視線が鋭くなる。

やはり、本題はそこらしい。


「処遇って……収穫して、みんなで食べようかなって思ってますけど」


私が答えると、全員が「は?」と声を揃えた。


「た、食べる!? あの『千年果実』をか!?」


ゼファーさんが立ち上がって叫ぶ。


「あれは古代のエネルギー結晶体だぞ! 一つあれば国が富み、軍事バランスが崩壊するほどの力を秘めているんだ!」


「そうなんですか? でも、果物ですよね?」


私は首を傾げた。

どんなにすごくても、食べられなきゃ意味がない。


「独占するつもりはありませんよ。ジャムにでもして、小瓶に分けて配ろうと思ってました」


「ジャム……だと……?」


マリーナさんが絶句している。


「世界を統べる力を、パンに塗って食う気かい……」


「美味しいと思いますよ? あ、もちろん種は取っておいて、また育てますけど」


私の提案に、彼らは顔を見合わせ、そして一斉に大笑いした。


「ガハハハ! 違いねぇ! この嫁ならやりかねん!」

「傑作だね! 戦争しようとしてたアタイらが馬鹿みたいじゃないか」

「……フッ、やはり地上の民は面白い」


張り詰めていた空気が、完全に緩んだ。

彼らは理解したのだ。

私が、そしてエデンが、権力争いなんていう土俵には乗っていないことを。


「わかった。ワシは降りるぞ」


皇帝陛下が宣言した。


「その代わり、ジャムができたら一番最初にワシに寄越せ。瓶詰めでな!」


「アタイもだ! 船員全員分頼むよ!」

「冥界にも配送を頼む。……送料は弾む」


次々と予約が入っていく。

商談成立だ。


「はい、喜んで! 収穫までもう少し掛かりそうですけど、待っていてくださいね」


私は胸を撫で下ろした。

これで、とりあえず戦争は回避できたようだ。

レンさんも、肩の力が抜けたように微笑んで、ユユを膝に乗せている。


「パパ、クッキーあーん!」

「ああ、うまいな」


平和な光景だ。

世界最強の軍勢に囲まれてのお茶会なんて、エデンくらいでしか体験できないだろう。


そう思って、私はポットのお代わりを取りに行こうとした。


その時。


『――大変です! フローリア先生!』


後ろから、シルヴィオ様が血相を変えて走ってきた。

彼は手にした測定器を振り回し、顔面蒼白になっている。


「どうしました、シルヴィオ様? お茶菓子が足りませんか?」


「違います! 蕾が……蕾の魔力値が、異常上昇しています!」


「えっ?」


私が振り返り、世界樹を見上げた瞬間。


ドクンッ!!


世界中に響き渡るような、重く大きな鼓動が聞こえた。

そして、虹色の蕾がカッと眩い光を放ち始めたのだ。


「な、なんだあの光は!?」

「目が……目が開けられない!」


皇帝たちが手で顔を覆う。

光は収まるどころか、ますます強くなり、天に向かって光の柱を打ち上げた。

雲が渦を巻き、空の色が変わっていく。


「甘い……匂いだ」


レンさんが呟く。

光と共に、濃厚な甘い香りが爆発的に拡散していた。

それは、ただ美味しそうなだけではない。

生物の本能を根底から揺さぶり、理性を溶かすような、魔性の芳香。


「マズいぞ……!」


レンさんが立ち上がり、私を引き寄せた。


「この匂い……世界中の『飢えた奴ら』を呼び寄せるぞ!」


「えっ?」


ゴゴゴゴゴ……。


空の向こうから、低い地響きのような音が近づいてくる。

それは雷鳴ではない。

何かが、空気を切り裂いてこちらへ向かってくる音だ。


雲が割れた。

そこに現れたのは、私たちの島よりも巨大な――『空飛ぶクジラ』の影だった。


「……うそ」


私は呆然と見上げた。

せっかくお茶会で平和になったのに。

どうやら、本当の「お客さん」は、これから来るらしい。

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