第7話 陰キャ冥王の晩餐会と暴れる根っこ
「……暗いですね」
黒水晶の館の廊下は、足元が見えないほど薄暗かった。
窓には分厚いカーテンが引かれ、照明は壁に埋め込まれた微かな発光石のみ。
コツ、コツという私たちの足音だけが、静寂の中に響き渡る。
「おい、フローリア。足元に気をつけろよ」
レンさんが私の手を引き、前方を警戒しながら進む。
彼は発光を抑えているとはいえ、その身から漏れ出る金色のオーラが、頼もしいランタン代わりになっていた。
「ここが冥界の王の城か。……まるで墓場だな」
マリアベルさんが身震いする。
確かに、豪華な装飾はあるものの、生活感がまるで感じられない。
埃ひとつ落ちていない清潔さが、かえって住人の不在を強調しているようだ。
「ここだぜ。冥王様がお待ちだ」
案内役のクロちゃんが、大きな両開きの扉の前で止まった。
扉には、ドクロと百合の花をあしらった重厚な彫刻が施されている。
ギィィィ……。
クロちゃんが扉を押し開けると、そこは広い謁見の間だった。
いや、部屋の中央に長いテーブルが置かれているところを見ると、ダイニングルームも兼ねているらしい。
そのテーブルの奥。
一番上座にある、背もたれの高い椅子に、一人の人物が座っていた。
「……よく来たな、地上の民よ」
低い声。
黒いローブを深々と被り、顔の半分以上を大きなサングラスで隠した青年。
肌は陶器のように白く、口元だけが僅かに見えている。
線が細く、どこか儚げな印象を受ける美青年だ。
彼が、冥王ハーデス様だろう。
「初めまして、ハーデス様。エデンのフローリアです」
私がカーテシー(礼)をすると、彼はビクッと肩を震わせ、サングラスの奥から私たちを凝視した。
「……明るい。その男と子供、もっと光を絞れぬか」
「これ以上は無理だ。俺の輝きは内側から溢れ出るものだからな」
レンさんが不遜に答える。
ハーデス様は「うぐっ」と呻き、さらに深く椅子に沈み込んだ。
「まあよい……。それより、約束のものだ」
彼はテーブルの上を指差した。
そこには、空になったポタージュのお椀が置かれていた。
綺麗に舐め取ったように完食されている。
「あれは美味かった。……続きがあるのだろう?」
「はい、もちろんです!」
私はリュックを下ろし、即席キッチンを展開した。
薄暗い部屋だが、調理の手元くらいは見えればいい。
「メインディッシュは、地底の食材を使った『根菜ハンバーグ』です!」
私はエデンから持参したレンコンとゴボウ、そして先ほど採取した地底の巨大キノコを刻んだ。
つなぎには、マリアベルさんが育てた粘り気のある長芋を使う。
お肉は使わない。
光を嫌う彼には、消化に良く、大地のエネルギーを直接取り込める野菜料理が一番だ。
ジュウウウッ……。
フライパンの上で、ハンバーグが焼ける音が響く。
醤油とみりんを焦がした、香ばしい和風ソースの香り。
薄暗い部屋に、食欲をそそる匂いが充満していく。
「……ゴクリ」
ハーデス様の喉が鳴った。
彼はソワソワと貧乏揺すりを始めている。
「お待たせしました!」
私は焼き上がったハンバーグを皿に盛り、湯気を立てるそれを彼の前に置いた。
付け合わせは、光るキノコのソテーと、ニンジンのグラッセだ。
「……いただく」
ハーデス様はナイフとフォークを手に取り、恐る恐るハンバーグに入刀した。
サクッ。
レンコンの歯ごたえがナイフ越しに伝わる。
一口大に切り、口へ運ぶ。
モグモグ。
「…………ッ!」
彼の動きが止まった。
サングラスがずり落ち、切れ長の瞳が露わになる。
その瞳は、深いアメジスト色をしていた。
「なんだ、これは……」
震える声。
「シャキシャキとした歯ごたえ。噛むほどに溢れる野菜の甘み。そして、このソース……濃い味付けなのに、後味は驚くほど爽やかだ」
彼は夢中で二口目を食べた。
「うまい……。土の味がする。暗くて、湿って、でも温かい……我の故郷のような味が……」
「気に入っていただけましたか?」
「ああ。……我は今まで、何を食べていたのだ。ただの魔力塊や、味気ないキノコばかり……」
彼は涙を流しながら完食した。
食べ終わると、彼は深く息を吐き、満足げに椅子に寄りかかった。
「……礼を言う、庭師よ。久しぶりに『生』を実感した」
「どういたしまして。美味しいご飯を食べれば、元気が出ますからね」
「うむ。……さて、腹も満たされたことだ。約束通り、問題の場所へ案内しよう」
ハーデス様は立ち上がり、サングラスをかけ直した。
そして、部屋の奥にある扉を開けた。
「ついて来い。……我が寝室だ」
◇
案内された寝室は、惨状だった。
「うわぁ……これはひどい」
部屋の中央。
本来なら天蓋付きの豪華なベッドがあるはずの場所に、巨大な木の根が突き刺さっていた。
天井の岩盤をぶち抜き、床を粉砕し、部屋を占拠するように太い根がのたうち回っている。
根の表面は荒々しく波打ち、バチバチと緑色の火花を散らしていた。
「世界樹の根ですね……」
私は根に近づき、そっと触れた。
熱い。
暴走した魔力が、行き場を失って渦巻いている。
『くるしい……せまい……』
根っこから、悲鳴のような声が聞こえた。
地上で急激に成長したせいで、根を張るスペースが足りず、パニックになっているのだ。
「これが数日前から急に伸びてきてな。……おかげで我はソファで寝る羽目になった」
ハーデス様が恨めしげに言う。
「切ろうとしても、硬すぎて刃が立たぬ。魔法で焼こうとすれば、再生してさらに暴れる。……手詰まりだ」
「切っちゃダメです。痛がりますから」
私は根っこを撫でた。
「落ち着いて。もう大丈夫だよ」
私が魔力を送ると、根の暴走が少しだけ収まった。
でも、まだ足りない。
この溢れ出るエネルギーを、正しく循環させてあげなければ。
「ユユ、お手伝いできる?」
私はレンさんの背中にいる娘を呼んだ。
「うん! やるー!」
ユユが元気よく飛び降りた。
彼女はトコトコと根っこに歩み寄り、小さな両手で抱きついた。
「ねっこさん、いいこいいこ」
ユユが頬擦りをする。
その瞬間。
フワァァァ……!
ユユの全身から、柔らかな翠緑の光が溢れ出した。
その光は根っこに吸い込まれ、荒々しかった魔力の奔流を優しく鎮めていく。
「な……なんだ、あの光は」
ハーデス様が目を見開く。
ゴゴゴ……。
根っこが震え、そして変化が起きた。
茶色くゴツゴツしていた表面が、見る見るうちに滑らかになり、若草色に変わっていく。
そして、あちこちから小さな芽が吹き出し、色とりどりの花が咲き乱れた。
ポンッ、ポンッ、ポンッ。
殺風景だった寝室が、一瞬にしてお花畑に変わった。
天井の穴も、伸びた蔦が網目のように塞ぎ、美しいステンドグラスのような木漏れ日を作り出している。
「……すごい」
クロちゃんが口をあんぐりと開けている。
「暴れていた根っこが、インテリアになっちまった……」
「これで大丈夫です!」
ユユが振り返り、ピースサインをした。
「ねっこさん、ここが気に入ったって! もう暴れないよ!」
「……信じられん」
ハーデス様がふらりと歩み寄り、花咲く根に触れた。
「破壊の権化だったものが、これほど清らかな気を放つとは。……それに、この花」
彼は一輪の青い花を摘み、香りを嗅いだ。
「懐かしい……。遥か昔、地上で嗅いだことがある香りだ」
ハーデス様は、サングラス越しにユユをじっと見つめた。
その視線には、驚きと、そして微かな郷愁が混じっていた。
「娘よ。そなた、名は?」
「ユユ! 5さい(自称)!」
「ユユか。……似ているな」
彼はポツリと呟いた。
「あの方に。……世界を創り、我らに役割を与え、そして去っていった『始祖の女神』に」
「女神……?」
私が聞き返すと、ハーデス様はハッとして首を振った。
「いや、独り言だ。……とにかく、助かった。これで安眠できる」
彼は感謝するように、ユユの頭を不器用に撫でた。
その手つきは優しく、引きこもりの陰キャとは思えないほど温かかった。
「お詫びと言ってはなんですが、この根っこから採れる樹液は、極上のシロップになりますよ。ホットケーキにかけると最高です」
私が補足すると、ハーデス様の目が輝いた。
「ホットケーキ……。それは、美味いのか?」
「ほっぺたが落ちます」
「……詳しく聞こう。レシピも含めてな」
どうやら、冥王様はすっかり食いしん坊キャラにジョブチェンジしたようだ。
これで地底の問題も解決だ。
「さて、と」
レンさんが伸びをした。
「根の問題も片付いた。飯も食わせた。帰るとするか」
「そうですね。地上のみんなも心配ですし」
私たちは帰る準備を始めた。
ハーデス様は名残惜しそうにしていたが、「また来ますよ、お弁当を持って」と約束すると、嬉しそうに頷いてくれた。
「送っていこう。……この城の奥に、地上への直通ゲートがある」
ハーデス様の案内で、私たちは城の最深部へと向かった。
そこには、巨大な転移魔法陣が描かれた広間があった。
「ここを通れば、一瞬でエデンに戻れる。……達者でな、庭師の一家よ」
「ありがとうございました! ハーデス様も、たまには外に出てくださいね!」
私たちは魔法陣に乗った。
光が視界を包み込む。
これで、一件落着。
天空、そして地底の問題を解決し、世界樹も元気になった。
あとはエデンに戻って、ゆっくりユユの成長を見守るだけだ。
……そう、思っていた。
光が収まり、私たちが目を開けた時。
そこに広がっていたのは、見慣れたエデンの風景ではなかった。
「……え?」
私の足元には、真っ白な雲海が広がっていた。
そして目の前には、空中に浮かぶ巨大な神殿。
背中には、冷たい風が吹き付けている。
「ここ、どこだ?」
レンさんが剣を抜いて警戒する。
転移先がズレた?
いや、違う。
誰かに、強制的に呼び出されたのだ。
『ようこそ、世界を繋ぐ者たちよ』
頭上から、荘厳な声が降ってきた。
見上げれば、神殿の頂上に、光り輝く存在が立っていた。
「……神様?」
ユユがポカンとして呟く。
私たちの冒険は、まだ終わっていなかったらしい。
天と地を繋いだその先で、最後の、そして最大の謎が私たちを待っていた。




