第6話 地底の宝石箱と引きこもりの王様
「きゃあああああ!」
ヒュオオオオオ……!
風を切る音が耳元で轟音となって響く。
私たちは今、天空都市アイギスの床に開いた大穴から、真っ逆さまに落下していた。
上を見上げれば、小さくなっていく空の穴。
下を見れば、どこまでも続く漆黒の闇。
バンジージャンプなんてレベルではない。
成層圏から地底への、超ロング・フリーフォールだ。
「ママ、だいじょうぶ! パパがいるよ!」
レンさんの腕の中で、ユユが楽しそうに叫んでいる。
彼女の背中の翼が光り、私たちの周囲に風のバリアを作ってくれているおかげで、呼吸はできるし服も破れない。
でも、心臓に悪いことには変わりない。
「レンさん、まだ着かないんですか!?」
「もうすぐだ。……下から強烈な魔力を感じる」
レンさんは冷静に落下しながら、片手で私を抱き寄せ、もう片方の手で剣の柄を握っていた。
彼の目には、暗闇の中でもハッキリと地形が見えているらしい。
「そろそろブレーキをかけるぞ。シルヴィオ、マリアベル、No.9! 衝撃に備えろ!」
「了解です! エアバッグ用海藻、展開!」
「任せなさい! 筋肉で受け止めるわ!」
『耐衝撃姿勢、維持』
それぞれの返事が聞こえる。
そして。
「着地する!」
レンさんが黄金の翼(幻影)を大きく広げた。
風圧がクッションとなり、急激に落下速度が緩む。
フワッ。
足の裏に、硬い感触が伝わってきた。
私たちは音もなく、地面に着地した。
「……着いた?」
私は恐る恐る目を開けた。
そこは、私が想像していた「死者の国」とは、まるで違う場所だった。
「うわぁ……綺麗」
思わず声が漏れた。
暗くない。
むしろ、地上よりも幻想的に明るい。
天井――遥か頭上の岩盤には、無数の発光する鉱石が星空のように散りばめられている。
地面には、青や紫に光る巨大なキノコや、水晶の花が咲き乱れている。
空気はひんやりとして澄んでいるが、どこか甘い香りが漂っていた。
「ここが、冥界……?」
「へへん、驚いたか!」
先導していた使い魔のクロちゃんが、得意げに鼻をこすった。
「冥界は死人の溜まり場じゃねぇぞ。宝石と鉱物、そして豊かな地下水脈に恵まれた『地底の楽園』だ!」
「本当に……宝石箱みたいですね」
私はしゃがみ込み、足元に生えていた水晶のような草に触れた。
硬いけれど、温かい。
植物としての生命力を感じる。
『分析完了。……環境マナ濃度、地上の約五倍。植物の生育速度、三〇〇%増を予測』
No.9が目を赤く点滅させて報告してくる。
農業に向いている土地だ。
日照不足さえ解決できれば、ここでも野菜が作れるかもしれない。
「感心している場合じゃないぞ、フローリア」
レンさんが険しい顔で前方を指差した。
「あれを見ろ」
彼の指差す先。
美しいキノコの森の向こうに、とんでもない光景が広がっていた。
巨大な「根」だ。
太さが城壁ほどもある巨大な木の根が、天井を突き破り、地上の建物を押し潰すようにしてのたうち回っている。
それは紛れもなく、私たちが復活させたマザー・ツリーの根だった。
「あちゃー……」
私は額に手を当てた。
想像以上に迷惑をかけている。
根っこは、まるで暴れまわる大蛇のように、冥界の岩盤を砕き、美しい水晶の庭園を掘り返していた。
「ひどいありさまだろ?」
クロちゃんが肩をすくめる。
「最近急に元気が良くなりすぎて、制御不能なんだよ。冥王様の寝室なんて、天井から根っこが降ってきて串刺しになりかけたんだぜ?」
「それは……本当にごめんなさい」
寝込みを襲うなんて、植物としてあるまじき行為だ。
これは全力で謝罪しなければならない。
「案内してください。冥王様に直接お詫びします」
「おう、ついて来な! 城はあっちだ!」
私たちはクロちゃんの後について、光るキノコの森を抜けていった。
◇
数十分後。
私たちは、冥界の中心にそびえ立つ城の前に到着した。
『黒水晶の館』。
その名の通り、黒く透き通る水晶で作られた、荘厳で美しい城だった。
尖塔は天井の岩盤まで届きそうで、壁面には精緻な彫刻が施されている。
しかし。
その城門は、固く閉ざされていた。
「ここが冥王様の城だ! ……おい、門番! 地上の代表者を連れてきたぞ! 開けてくれ!」
クロちゃんが大声で叫ぶ。
しかし、返事はない。
門の向こうは静まり返っている。
「……留守か?」
レンさんが怪訝な顔をする。
「いや、気配はする。……城の奥深くに、強大な魔力の塊がある。おそらく、それが冥王だ」
「じゃあ、なんで出てこないんでしょう」
私が首を傾げると、城門の上にあるスピーカー(骨でできた伝声管)から、ボソボソとした低い声が聞こえてきた。
『……帰れ』
「えっ?」
『眩しい。……帰れ』
声は若かった。
威厳があるというよりは、布団に包まって呟いているような、気怠げな声。
「あの、はじめまして! エデンから来ましたフローリアです! 世界樹の件で謝罪に伺いました!」
私が大きな声で挨拶すると、スピーカーから「ヒッ」という短い悲鳴が聞こえた。
『陽キャだ……。声がデカい……。キラキラしたオーラが門越しに伝わってくる……無理……』
「……はい?」
『我は光が嫌いなのだ。地上の太陽のような明るさは、我が肌を焼く。……根っこの件はもういい。勝手に切るから、さっさと帰ってくれ』
ガチャン、と通話が切れる音がした。
完全に拒絶された。
「……なんだ、あいつは」
レンさんが呆れたように呟く。
「冥界の王ともあろう者が、あんな引きこもりのような態度とは」
「引きこもりじゃねぇ!」
クロちゃんが慌ててフォローに入る。
「冥王ハーデス様は、その……極度に繊細なんだよ! 昔、地上に出た時に太陽光で火傷して以来、明るいものや元気なものが苦手になっちまって……」
「トラウマですか」
マリアベルさんが同情したように言う。
「でも、これじゃあ謝罪もできませんね。根っこを切るって言ってますけど、世界樹の根は硬いから、普通の刃物じゃ切れませんよ?」
「そうなんだよ! だから困ってるんだ!」
クロちゃんが頭を抱える。
このままだと、冥界は根っこに埋め尽くされ、地上は世界樹の栄養不足で枯れてしまうかもしれない。
共倒れだ。
「……仕方ありませんね」
私はリュックを下ろした。
言葉でダメなら、胃袋に訴えるしかない。
これは私の得意分野だ。
「レンさん、カマドの準備をお願いします。ここで料理を作ります」
「……城の前でか? 攻城戦でも始める気か?」
「ある意味、そうです。美味しい匂いで、あの頑固な扉をこじ開けます!」
私は腕まくりをした。
相手は光が嫌いな引きこもり。
なら、作る料理は一つだ。
暗闇の中でも心を癒やし、優しく染み渡るようなメニュー。
「シルヴィオ様、さっきの光るキノコ、食べられますか?」
「はい! 鑑定の結果、毒性はありません。加熱すると発光成分が旨味に変わる希少種です!」
「採用です! ユユ、お水お願い!」
「はーい!」
私は城門の目の前に、堂々とキッチンを展開した。
鍋に水を張り、刻んだ光るキノコと、エデンから持ってきた根菜類を投入する。
さらに、隠し味に【月光草の蜜】を少々。
「美味しくなーれ、優しくなーれ!」
コトコトと煮込むこと数分。
鍋からは、ふわりと湯気が立ち昇り始めた。
それは、シチューのような濃厚な香りではなく、もっと繊細で、森の奥深くを思わせるような芳醇な出汁の香りだった。
『……ん?』
スピーカーから、再び声が漏れた。
匂いが届いたらしい。
『なんだ、この匂いは。……不快ではない。むしろ、懐かしいような……』
「冥王様! 地底特製『光るキノコのポタージュ』ですよ!」
私は鍋の蓋を開け放った。
フワァァァッ!
黄金色に輝く湯気が、換気口を通って城の中へと吸い込まれていく。
『……ゴクリ』
スピーカー越しに、喉が鳴る音が聞こえた。
ちょろい。
やはり、美味しいものは世界共通、種族共通の言語なのだ。
「開けてくれませんか? 冷めないうちに食べてほしいんです」
『……む、無理だ。我は人と会うのが苦手で……』
「会わなくていいです! ドアの隙間から差し入れますから!」
『……本当か? 無理やり入ってきたり、キラキラした笑顔で「友達になりましょう!」とか言わないか?』
「言いません! お料理を置いたら、すぐに下がります!」
数秒の沈黙の後。
ギギギギ……と、重々しい音を立てて、城門が数センチだけ開いた。
そこから、青白くて細い手が、ニュッと伸びてきた。
「……今だ!」
私はすかさず、お椀に入れた熱々のポタージュをその手に持たせた。
ついでに、焼きたてのパンも添えて。
手は素早く引っ込み、門がバタンと閉じた。
「……食べたかな?」
全員で門を見つめる。
しばらくして。
『…………うまい』
震えるような声が聞こえてきた。
『なんだこれは。……キノコの味がするのに、泥臭くない。体の芯から、凍っていた魔力が溶けていくようだ……』
「よかった!」
私はガッツポーズをした。
第一関門突破だ。
『……おい、そこの庭師』
冥王様の声が、少しだけ前向きなトーンに変わった。
『おかわりは……あるか?』
「ありますよ! でも、ここじゃ遠いです。……中に入ってもいいですか?」
『……うぐぐ』
葛藤する気配。
食欲とコミュ障の戦いだ。
『……わかった。特別に許可する。ただし!』
条件が提示された。
『眩しいのは禁止だ! その黄金の男と、発光している子供は、光量を落としてから入れ! あと、大きな声も出すな!』
「了解です!」
レンさんが「俺が眩しいだと? 失敬な」と不満げにしたが、オーラを抑えてくれた。
ユユも「はーい、ひかりけすねー」と、翼の輝きを弱める。
ギギギギギ……。
今度こそ、城門が大きく開かれた。
その奥には、薄暗い廊下が続いている。
「行きましょう。冥王様を餌付け……いえ、懐柔しに!」
私たちは足音を忍ばせ、黒水晶の館へと足を踏み入れた。
その奥で待つ引きこもりの王様が、どんな顔をしてスープを飲んでいるのか。
楽しみで仕方がない。




